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2017.4.24(月)  テーマ  <変えられた人生

  世界にも、日本にも、問題はたくさんあります。それらの問題をどう解決し
  ていくのか、本当の知恵が求められているのでしょう。それ以上に、人が
  変えられなければならないことも事実であるように思います。
            
  金持ちで何の不自由もなく生活していたザアカイという人が新約聖書にで
  てきます。彼は「取税人のかしら」とあり、彼の職業が彼を富ませていたこ
  とがわかります。彼の築いた財産は、彼の生活を潤したに違いないと思い
  ますが、彼の心までも潤すことはありませんでした。否、むしろ、心は空し
  く、孤独で、幸せではありませんでした。何とかしたい、自分の人生を変え
  たいと思っていました。しかし、自分ではどうすることもできなかったようで
  す。そんなザアカイに人生を変える機会が訪れたのです。
  イエスさまがザアカイの住んでいる町に来ることを知ったザアカイが、イエ
  スさまにお会いしようと思ったことが人生を変えるきっかけとなりました。
  
人垣で見えないので、木に登ってイエスさまを見ようとしたザアカイにイエ
  スさまの方から声をかけられました。「ザアカイ。降りてきなさい。
きょう
  あなたの家に泊まることにしてあるから。」 ルカ19:5 
  その晩、ザアカイにとって人生を変える時となりました。ザアカイの心の
  変化を見て取ったイエスさまは彼に言われました。
きょう、救いがこの
  
家に来ました。」 同19:9 
     
  イエスさまのこのことばは、ザアカイの人生が変えられたこと、イエスさま
  が与えてくださる救いに与ったことを示しています。ザアカイに今まではな
  かった喜びが与えられたのでした。イエスさまは、私たちの心に喜びを与
  え、私たちを作り変え続けてくださいます。  
  

      
心に喜びと平安を与えてくださる神さまに感謝します。



2017.4.17(月)  テーマ  <イースター

  桜の花びらが散り始めています。今年も桜の美しさを味わわせていただき
  ました。一年の大半を、あたかも沈黙を守っているかのように立ち続けてい
  る桜の木ですが、必ず、毎年美しい花を咲かせてくれます。厳しい冬の間
  もいのちは失われていないのですね。
          
  昨日は「イースター礼拝」でした。新約聖書の4つの福音書には、イエス・
  キリストのご生涯が書かれていますが、そのクライマックスは十字架の死
  とよみがえりです。死んだ者がよみがえる、生き返るなんて到底信じられ
  ない! そう思われるのは当然です。イエスさまの弟子たちもそうだったの
  ですから。しかし、弟子たちは、イエス・キリストの十字架の死とよみがえり
  を語っていく者となりました。たとい、殉教が待っていてもです。
  二千年前、エルサレムから始められ、今や世界各地に建てられているキリ
  スト教会が、変えることなく、変わることなく伝え続けた「福音」の中心は、
  「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められ
  るために、よみがえられたからです。」 
ローマ4:25 ということです。
  私たちの罪のために死に、よみがえられた主イエスをキリスト(救い主)と
  信じる時に、救われる、神は義と認めてくださると聖書は約束するのです。
        
  イエスさまは今も生きておられます。だから、私たちの祈りを聞き、みことば
  をもっていつも励ましてくださるのです。
  

       
神さまから、恵みと平安が豊かにありますように。



2017.4.10(月)  テーマ  <十字架

  イエス・キリストのよみがえりを記念し祝う「イースター」の前には、むごた
  らしい十字架刑による死がありました。不当な裁判にかけられ、十字架を
  背負わされ、いばらの冠をかぶらされ、息を引き取るまでの6時間の十字
  架刑は言語に絶する苦しみ痛みだったことでしょう。
         
  イエスさまは十字架上で7つのことばを発せられました。最初のことばは、
  「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分ではわか
  らないのです。
」 ルカ23:34 でした。
  彼らとは、イエスさまの十字架刑にかかわった者たち、「十字架につけろ」
  と激しく叫び続けた群衆でしょうか。それだけではないようです。
  弟子のペテロはこう書いています。「自分から十字架の上で、私たちの
 
 罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のため
  に生きるためです。
」 Ⅰペテロ2:24 
  ペテロは「私たちの罪」と書いています。弟子のペテロも喜ばれない言動
  をなし、イエスさまの十字架の前には、イエスさまを裏切るということをして
  しまいました。ことばや思いの通りには生きていけない罪の現実を私たち
  はもっているのではないでしょうか。
  イエスさまの最後のことばは、「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」
  
でした。
ルカ23:46
       
  イエスさまの地上の生涯は閉じられたように思われたことでしょう。しかし
  これで終わりではないのです。続きがあるのです。
  4月16日は「
イースター礼拝」です。お近くの教会の礼拝に出席なさいま
  せんか。教会はあなたを大歓迎します。

  
    
         今週も神さまの祝福が豊かにありますように。



2017.4.3(月)  テーマ  <バーネット師来日100年記念聖会

  私たちの教会が所属している福音伝道教団の聖会が、先週の金曜日か
  ら昨日まで、群馬県伊香保温泉ホテル天坊で開催されました。
  片道90km程の距離ですが、運転しながら桜の木を遠くから見ました。
         
  さて、毎年のことですが、聖会ではたくさんの恵みをいただきました。久し
  ぶりにお会いできた方々と挨拶を交わし、集会の合間や食事の席で話し
  をし、お風呂を楽しみ、通常とは違う空間と時間となりました。
  今年は、私たちの教団の創立者、英国から来られた宣教師バーネット師が
  日本に来られて100年ということで、それを記念しての聖会でした。
  バーネット師が大切にされたみことば、「・・・私は神の福音をもって、祭
  司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるも
  のとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。」
   
ローマ15:16
 が聖会の主題聖句となりました。
  バーネット師は、39歳で日本に来られ、34年間、イエス・キリストの福音
  を伝え、各地にイエス・キリストを信じる者の群れが起こされました。また、
  働きの最初から牧師を養成する聖書学校をも開設されました。
       
  羽生キリスト教会のロビーの壁には、バーネット師の写真が額に収められ
  て飾られています。写真の下に英語で、「彼女は彼女の生きていた時代に
  仕えた」ということばが書き添えられています。
  私も生かされている時代の中で、神に仕える者でありたいと思います
。    

  
  今週も神さまの祝福が豊かにありますように。



2017.3.27(月)  テーマ  <塩狩峠 昔も今も

  東京では桜の開花宣言がなされましたが、北海道では雪が降り、北の地
  の大変さを改めて思いました。北海道の宗谷本線は、旭川から稚内までを
  結んでいます。旭川から北へ30km程の地点に「塩狩峠」という険しい峠が
  あります。塩狩駅の近くに、長野政雄さんの顕彰碑があります。
     
  長野政雄さんとは、作家三浦綾子さんの小説「塩狩峠」の主人公永野信
  夫のモデルになったその人です。
  明治42年2月28日、塩狩峠を登る列車の連結が外れ、客車が逆走しまし
  た。丁度、その列車に乗り合わせていた鉄道職員の長野政雄さんは、そ
  の客車のデッキに出て、ブレーキを力一杯締め付けましたが、客車は止ま
  らず、この先の急勾配で脱線すると判断した長野政雄さんは、自らの身を
  投げ出して客車を止めました。
  旭川在住の三浦綾子さんは、取材を重ねて、小説「塩狩峠」を書きました。
  私は、若き日にその本を読み、後日作られる映画「塩狩峠」を観て感動しま
  した。三浦綾子記念文学館のある学会員は、「衝撃的なラストばかりが印
  象に残りがちですが、この作品は一人の青年の成長物語としても優れてい
  ます。・・・神の愛を追求する主人公は、どんな相手にも親身に接しようと
  努める。悩み苦しみながら」と話されました。長野政雄さんの死から108年
  が経って、今はディーゼル車となっていますが、和寒~塩狩駅の間の峠は
  今もうなりをあげて懸命に登っているそうです。
       
  「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだ
  れも持っていません。」 
ヨハネ15:13  
イエスさまはその通り、いの
  ちを捨ててくださって、あなたや私の友となってくださいました。
  満開の桜に、今年も感動させていただこうと思います。
    

     神さまの恵みの中に幸いな日々でありますように。



2017.3.20(月)  テーマ  <バイブルナビ

  私が持っている聖書の中で、一番大きく重い聖書は、新改訳解説・適用付
  「BIBLE navi」という名前の聖書です。使い始めてから5年になります。
  ほぼ毎日、お世話になっています。
           
  「navi」というのは、ナビゲーターやナビゲーションの略語でしょう。ナビゲ
  ーターは、①航海士②自動車のラリーで速度や方向を指示する同乗者で
  す。ナビゲーションは、①航海術・航空術②経路誘導、自動車のラリーで
  ナビゲーターが速度・位置・進路の状況を知らせることです。ナビゲーター
  ナビゲーションはとても重要な役割を担っています。
  さて、あなたには人生の「ナビ」がありますか。それはどのようなものでしょ
  うか。私にとっては、「聖書」がナビゲーション・ナビゲーター、そういう意味
  でも「バイブルナビ」です。
  旧約聖書の中に、こんなみことばがあります。
  「まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。
  詩篇119:24 「あなた」とは、聖書の中にご自身を示しておられる神さ
  まです。「さとし」とは、教えとか戒めとかの意味です。聖書を神のことばと
  信じる者にとって、聖書はまさに相談相手なのです。「聖書に聴く」のです。
   
  「BIBL Enavi」は、重くて持ち運びには不便なのですが、可能な限り、
  どこへでも持って行きます。ほころびも見え始めていますが、これからもお
  世話になろうと思っています。神さまご自身がナビゲーターであることは、
  心強い限りです。
  
       

         神さまの祝福が豊かにありますように。



2017.3.13(月)  テーマ  <明日、卒業式です

  明日、14日(火)、私たちの教団立の聖書学院の卒業式が行われます。
  今年は3人が卒業します。3年間の過程を修了して、聖書学院から巣立
  っていきます。3年前の入学式には、60名の方々が集いました。明日は
  どの位の方々が集われるのでしょうか。
      
  卒業生の中の2人は寮生活を送り、水曜日の夜の羽生キリスト教会の聖
  書研究会・祈り会に1年間出席しました。また、卒業生のひとりは、3年目
  に羽生キリスト教会が実習教会となり、1年間、土曜日と日曜日は羽生キ
  リスト教会で過ごしました。
  ですから、私たちの教会からも多くの兄姉方が卒業式に列席させていただ
  くことでしょう。卒業式を明日に控えて、卒業生たちは、今どんな気持ちな
  のかなと思います。卒業式の後の感謝会で、卒業生たちのスピーチがあり
  ますので、それを聞くことも楽しみです。
  私が一人思うことなのですが、入学した日から、明日の卒業式までの3年
  間、実に多くの方々が関わりをもってくださり、兄弟たちを育ててくださった
  こと、それぞれに役割が神さまによって与えられ、用いられてきたことを。
       
  使徒パウロのことばを思い起こします。「
ところが、神の恵みによって、
  私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだ
  にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しか
  し、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
 Ⅰコリント15:10
  
この一節の中に、「神の恵み」が3回でてきます。卒業式も、「神の恵み」
  を思う時なのかなと、一人考えています。
  
       
この一週間も、主にあって幸いな日々でありますように。



2017.3.6(月)  テーマ  <しあわせになるために

  「啓蟄」になり、いのちの躍動を感じる候となりました。
  「いのちの理由(わけ)」という曲が、シンガーソングライターのさだまさし
  さんの曲目の中にあります。
  「私が生まれてきたわけは、父と母に出会うため」という歌詞から始まり、
  「しあわせになるために、誰もが生きているんだよ」と歌い上げます。
          
  ある心理学者がこんなことを言っています。、「人類は大昔から『しあわせ』
  を考え続けてきたが、今は科学的な『幸福学』の研究が始まっている」と。
  その研究の成果として発表されていることは、それは逆境の乗り越え方と
  言うことができるものです。
  ❖先ず第一に、悲しみを受け入れること。悲しみも苦しみもすぐには去って
  いかないので、しっかりと悲しむこと。
  ❖第二は、幸せを数えること。しっかりと悲しんだ後で、残されている良い
  ことを見つけること。(残されている良いことは実際に多いとのこと)
  ❖第三に、人に親切にすること。悲しみと苦しみの経験は、人の役に立つ
  そうなのです。 
     
  イエスさまのことばを思い出します。「
悲しむ者は幸いです。その人は慰
  められるから。
 マタイ5:4 決して無責任なことばではありません。
  何よりも人の悲しみを知り、慰めのことばを持っていたイエスさまのことば
  です。
  「
三寒四温」は冬の季語だそうですが、実際は今頃が当てはまる気候の
  変化なのでしょう。この季節を大いに楽しみましょう。

  
       
神さまの恵みと平安が豊かにありますように。



2017.2.27(月)  テーマ  <蟻から知恵を学べ>

  聖書の中にはたくさんの歴史上の人物が出てきますが、動植物や虫たち
  もたくさん登場します。油虫もいなごも、蟻も出てきます。旧約聖書の箴言
  の中に、蟻が3回登場するのですが、この小さな蟻から、人間が学ぶよう
  に言われるのです。何を学ぶようにと言われるのでしょうか。
        
  「なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。蟻
  には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り
  入れ時に食糧を集める。」 箴言6:6~8
  「蟻は力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。」 同30:25
  
ここに二つの教訓があるように思われます。一つは、勤勉さです。日本人
  は勤勉な民族です。今は働き過ぎが問題になています。現代的には働く
  ことと休むことのバランスを考えることでしょうか。
  もう一つは、より強く勧めていると思いますが、備えることです。「夏のうち
  に食糧を確保する」とは、働くことができない冬が必ず来ることを予測させ
  ます。「備えあれば憂いなし」ということわざもあります。災害への備えも
  ありますが、〝もしも〟に備えて、〝エンディングノート〟が市販されてい
  ます。「もうそろそろ」ではなく、「まだまだ」の時に書いておくことが大切な
  のだそうです。「日々の私のことばが遺言だ」と言われたお父さんもおられ
  ました。
   
  あと一週間で「
啓蟄です。地面の中に眠っていた虫たちが外に出てきて
  活動を始めます。季節を与え、季節を楽しませてくださる創造主なる神の
  愛と恵みを感じることができますように。

  
       
神さまの祝福が豊かにありますように。



2017.2.20(月)  テーマ  <喜び・祈り・感謝>

  二十四節気の「雨水」が過ぎ、もう少し寒い日は続くのでしょうが、確実に
  春は近づいていることを実感することができます。
       
  さて、聖書の中には「祈り」について、そして「祈る人」のことについて書か
  れているいる箇所は少なくないと思います。もし、それらの箇所を除いてし
  まうならば、聖書の分量はぐっと減るのではないでしょうか。
  「祈り」のことが言われている中で、「
いつも喜んでいなさい。絶えず祈
  
りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」 Ⅰテサロニケ5:16
  ~18
 はよく知られています。 ことばに出してみると、とてもリズム良く
  言うことができます。ここには「祈り」のほかに、前に「喜び」、後ろに「感謝」
  が言われています。ある方が言われました。「このことばの中に、幸福に
  なるカギがあります。」と。
  いつも喜んでいられるわけはないと知っていながら、敢えてそう勧めること
  は、喜びを見つけるようにとのチャレンジでもあるのかなと思います。
  祈りは、神さまとの対話です。対話の中に、神さまに愛され、守られている
  ことがわかります。それは感謝につながっていきます。 
      
  現実に起こってくる出来事に、喜びの対応、祈りの応答、感謝の気持ちの
  表現、「これがキリスト・イエスにあて神があなたがたに望んでおられる
  ことです。」と続いています。
    
 神さまの恵みの中に幸いな日々でありますように。



2017.2.13(月)  テーマ  <神への祈り>

  先週は西日本、日本海地方に大雪が降ったり、関東でも雪になる地域が
  あったり、梅の便りも聞こえてきたり、地球儀で見ると日本は小さな島国で
  すが、それでも地域によって様々な冬を過ごし、春の迎え方も様々です。
       
  「健全なる精神は健全なる身体に宿る」ということばがあります。それは、
  身体が健康であれば、それに伴って精神も健全であるということ、また、
  何事も身体がもとであるということのようです。ローマの詩人ユベナリスの
  『風刺詩集』にある「大欲を抱かず、健康な身体に健全な精神が宿るように
  祈らなければならない」ということばの一部が訳され、広まったのがこのこ
  とばだそうです。それは、不健康な身体には健全な精神は宿らないという
  意味ではないということです。
  
旧約聖書の中にこんなことばがあります。「人の心は病苦を忍ぶ。しか
  し、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか
。」 箴言18:14
  これは、身体的な苦痛以上に、精神的な心の痛みは耐え難いことを示し
  ているのでしょう。身体も心も、健康・健全が当然だと考えるのではなく、
  身体も心も弱くなり、不健康になってしまう私なのだと受け止め、私の全て
  をご存知の神さまに「強めてください」と祈ることが大切なのでしょう。
      
  使徒パウロは人間の弱さを知っていたからこそ、「
どうか父が、その栄光
  の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強
  くしてくださいますように。
エペソ3:16と書いたのではないでしょうか。
    
   神さまの恵みと平安が豊かにありますように。



2017.1.30(月)  テーマ  <幸いなひととき

  「春は名のみか 風の寒さよ」で始まる歌をご存知でしょうか。口ずさみ
  たくなる気持ちです。「立春」はもうすぐというところまできています。
  
  私は、毎週水曜日の夜は、羽生市上岩瀬にある「聖書学院」に宿直し
  翌朝は学院生たちと一緒に聖書から学び、祈りの時をもっています。
  私にとっては、この朝のひとときがとても幸いな時間となっています。
  旧約聖書から一章ずつ読み、黙想し、分かち合い、祈り合っています。
  今は「ヨブ記」を読んでいます。実は、昨年10月~12月、羽生キリスト
  教会では毎日の聖書通読としてみんなで読み、礼拝の時にも講壇から
  語らせていただいたテキストです。3月中旬頃まで、学院生と一緒に読み
  考え、教えられたことを分かち合い、祈り合う時間が備えられています。
  同じ聖書の箇所を読んで、学び合い、祈り合うというこの経験は、生涯の
  宝となることでしょう。
  この聖書学院は、40年近く前、私も牧師となるための学びと訓練を受け
  た場所です。後輩たちが日々、学びと訓練を受けている姿を見ることは、
  とても嬉しいことでもあります。
       
  あなたが毎日の生活の中で、特に幸いと思える時はいつですか。
  「静けき祈りの時はいと楽し」という麗しい賛美歌があります。
  「
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと
  願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
」  
                                     ピリピ4:6

     神さまの恵みと平安が豊かにありますように。

   
 


2016.9.5(月)  テーマ  <最期まで背負ってくださる神

  「敬老の日」(今年は9月19日)は祝日となっています。9月の最初の
  礼拝で、ご高齢の方々への感謝と祝福の祈りをささげました。そして、
  感謝のことばと聖句入りの手作りのカードをお渡しいたしました。その
  聖句は、「
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
  あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそう
  してきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い
  出そう。
」 イザヤ43:4 を選びました。
   
  聖書の中には、特に老人について記述されている箇所があります。
  「
若い男の光栄は彼らの力。年寄りの飾りはそのしらが 
  箴言20:29 
若い男は、身体全体から出てくるみなぎる力が魅力で
  すが、老人の飾り(尊厳)はしらがだと聖書は語るのです。
  さらに、次のようなみことばもあります。「
あなたは白髪の老人の前で
  
は起立し、老人を敬い、また、あなたの神を恐れなければならな
  い
。」 レビ記19:32  
  
     
  
老人の前で起立するとは、老人を心から尊敬し、その尊敬の行為を・
  行動をもって示すようにということでしょう。目に見えるご老人に対して
  そのようにすることは、目に見えない神さまに対しては、いつも畏敬の
  念をもつということでしょう。神さまは、私たちの最期まで愛し、守り、
  支えてくださるお方です。
  
主の目にかなう歳のとり方ができますように。

 


2016.8.29(月)  テーマ  <主の祈り②

  イエスさまが教えてくださった「主の祈り」は、「天にいます私たちの
  父よ」ということばで始まります。天地万物の創造主、英知と力に満ちた
  神さまを「お父さま」と呼びかけなさいと言われるのです。
       
  その次にことばは、「御名があがめられますように」です。御名とは、
  神さまのお名前であり、神さまご自身を表しています。神さまが神さま
  として認められ、神さまが尊ばれますように、ということです。また、この
  ことばは「聖別する」という意味もあります。神さまは、人間とは全く違う
  存在であり、神聖なお方です。
旧約聖書の中にある「十戒」の最初の
  戒めは、「
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはなら
  ない。
出エジプト20:3 三番目の戒めは、「あなたは、あなたの神、
  主の御名を、みだりに唱えてはならない。」
 同20:7 です。
  
    
  
神の御名があがめられるとは、私たちが神さまの命令を守り、神さまの
  喜ばれる生き方を選んでいくことです。唯一の神さまは、全世界であがめ
  られるべきお方です。今、ご一緒に祈りませんか。
  「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように
  
  
今年は台風の上陸が多い年です。「厳重な注意が必要です」と言われま
  すが、安全を第一に心がけていきたいものですね。

    
神さまの守りを祈り、恵みと平安が豊かにありますように。

 


2016.8.22(月)  テーマ  <主の祈り①

  8月は平和を考え、いのちを思い、祈りをささげることが、日本において
  多くあったことでしょう。私たちは、日曜日には礼拝式を行い、その中で
  「
主の祈り」をささげています。
       
  「主の祈り」はイエスさまが弟子たちに教えたもので、「天にいます私た
  ちの父よ
」ということばから始まります。この父とは、天地万物を創造さ
  れた創造主、聖書の神です。人間は偶像を形造って、それを神と呼ぶ
  ことはできても、創造主である神を造ることはできません。人間は「神の
  かたち」に造られた被造物であると聖書は語っています。神は目に見え
  ませんので、「神のかたち」とは、神と人格的な交わりを持てる存在、言
  い換えれば、祈ることができる存在と言えるでしょう。私たちは、困った
  時に、自分の力に頼れない時に祈ることをします。
  
     
  
イエスさまは「天におられる私たちの父よ」と、先ず呼びかけなさいと言
  われました。子どもの呼ぶ声に、父親は耳を傾けます。創造主であられ
  る神、天のお父さまは私たちの祈りに耳を傾けてくださるのです。あなた
  は今日、何を祈りますか。
 
   「
イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、
   そこで祈っておられた。
」 マルコ1:35
  
祈りによって、あなたの心が、いつも平安でありますように。

 


2016.8.15(月)  テーマ  <平和の君キリスト

  71年前の今日、8月15日は、日本がポツダム宣言を受け入れ、戦争は
  終わりました。それから71年間、日本は戦争をしてはいません。世界に
  ただ一つの被爆国であり、今なお苦しみ続けておられる方々がおられ、
  自らの体験を語り、戦争の恐ろしさ、平和の大切さを語り続けておられる
  姿は胸を打ちます。
       
  私は、広島にも長崎にもいまだ行ったことがないのですが、この時期に
  その地から届けられる報道に、平和を祈念する思いを一層強くします。
  また、この時期には、山内修一さんが作られた「きょうちくとうはさいた
  けど
」という歌を思い出します。
  1 
きょうちくとうは咲いたけど ねむった人はかえらない 七つの河
    は きょうもまた あの日のように流れてる  くずれたドーム 
    傷のあと ねむった人は かえらない

  2 
ひとりひとりのまごころに 平和の君を受けるまで 悲しい塔は
    立つだろう 悲しい雨にぬれながら ひとりひとりのまごころで
    平和の君に ちかうまで 

  
      
   
この歌は、東京から広島に向かう新幹線の中で作られたそうです。
   その時、山内さんは「平和の君キリストの これは挑戦だ」と思った
   そうです。キリストを私たちクリスチャンは主と呼び、礼拝しています。
   
あなたの心が、キリストの平和によって満たされますように。

 


2016.8.8(月)  テーマ  <平和を考える月に

  リオオリンピックが開催されました。世界が平和であるようにと祈ります。
  南米で初めて開催されるオリンピックです。 「願わくはわれ太平洋の
  橋とならん
」とは、新渡戸稲造のことばです。
       
  稲造は、札幌農学校、東京大学に学んだ後、アメリカに私費で留学しま
  した。その後、ドイツの大学でも学び、世界を駆け回り、世界に日本を
  紹介し、日本に世界を知らせることに尽力しました。『武士道』を書いた
  のもその一環でした。それによって、稲造の名は一気に広まり、国際
  感覚豊かな教育者として活動し、業績と国際的な知名度のゆえに、国
  際連盟の事務次長に就任し、活躍の場を広げました。稲造は札幌農学
  校時代に
イエス・キリストを信じ、クリスチャンになりました。そして、終
  生、敬虔なクリスチャンとして信仰の道を歩み通しました。
     
    
  
「橋(架け橋)」ということばを思う時、イエス・キリストの十字架を連想し
  ます。稲造の「橋」は日本と世界を結ぶものでした。
  イエスさまは、地上(今の世)と天上(次の世)の架け橋となられたと言
  えるでしょう。
  「
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通して
   でなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません
。」  
    ヨハネ14:6   イエス・キリストだけが天国への道なのです。
   
 平和を思い、願い、実現するお互いでありましょう。

 


2016.8.1(月)  テーマ  <聖書は特別な本

  ようやく関東地方も梅雨明けと報じられ、今年は最高気温が更新される
  ことでしょうか。先週、教団の「バイブルキャンプ」(ファミリー、小学生)
  が行われ、今週は「夏期聖書講座」が開かれます。
       
  「夏期聖書講座」は、野外活動があったり、リクリエーションがあったりの
  「バイブルキャンプ」とは異なり、聖書を学ぶ時間がぎっしりと組まれてい
  る集会です。「バイブルキャンプ」が4日間あるのに比べて、「夏期聖書
  講座」は2日間ですが、集中して聖書を学ぶ時間が与えられることは、
  とても幸いなことです。クリスチャンにとって、「
聖書」は信仰の土台
  なのです。
  私たち福音伝道教団の信仰告白の最初の部分には、「
旧新約聖書66
  巻は、神の霊感によるもので誤りのない神のことばであり、救い主
  イエス・キリストを示し、信仰と生活の唯一の基準である。
」とあり
  ます。
  毎年夏に行われているキャンプが「バイブルキャンプ」であり、「夏期
  聖書講座」の名称も、その信仰告白のゆえであると言えるでしょう。
     
    
  
私たちの身体の健康が、日々の規則正しい、栄養のバランスのとれた
  食事からできているように、正しい信仰と信仰の成長は、聖書の学び抜
  きにはないことを、私は実感しています。「
聖書」は、あなたが、私が、
  幸いな生き方ができるようにと、神が与えてくださったものなのです。
  「
聖書」ということば自体、特別な響きがあるのではないでしょうか。
  
心身共にお元気であってください。恵みと平安を祈りつつ。

 


2016.7.25(月)  テーマ  <失ったものはあったけれど

  もうすぐリオオリンピック、その後にはリオパラリンピックが開かれます。
  特に関心・興味のある種目はありますか。
        
  スペインのカトリック神父、ルイス・デ・モヤさんをご存知でしょうか。
  モヤ神父は、37歳の時に交通事故に遭ってしまい、首から下が動かな
  くなってしまいました。車椅子の生活になってしまい、多くの制限ができ
  ましたが、神父の仕事を辞めることなく、それどころか、特殊なパソコン
  で本を書いたり、大学で教鞭をとったりと大活躍しています。
  モヤ神父にある方が尋ねました。「ご不自由なお身体になってしまった
  のに、どうしてそんなに明るく生きられるのですか。」と。
  「怪我をして失ったものは確かにあります。でもそれは、億万長者が
  千円を落としたようなものです。」がモヤ神父の答でした。
     
    
  
数えよ主の恵み 数えてみよ主の恵み」が繰り返される聖歌が
  あります。「
望みも消えゆくまでに」という聖歌です。望みがなくなって
  しまったと思える状況で、神さまのしてくださったことを思い出そう、思い
  起こそう、恵みを 数えてみようと促します。なくなってしまって、失ってし
  まったからこそ、気づかせられることもあるのでしょう。神さまと隣人へ
  の感謝が見えるように生活したいと願っています。
  
ご健康が守られて、恵みと平安が豊かにありますように。

 


2016.7.18(月)  テーマ  <風も波もおさまった

  気候が不安定な日が続きますね。如何お過ごしでしょうか。
  今日は「海の日」です。「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の
  繁栄を願う」ことがその制定の趣旨だそうです。
        
  昨日午後に、羽生キリスト教会では子どもたちを対象に、「夏のお楽し
  み会
」を行いました。一緒に焼きそばを食べ、たこ焼きも作り、ゲームを
  し、スイカ割りもしました。「海と空造られた主」という曲を賛美しました。
  「海と空つくられた主は あなたの主 私の神 罪を赦し 救い給う
  みんなの主 イエスは主ハレルヤ イエスは主ハレルヤ イエスは主
  ハレルヤ みんなの主」という歌詞です。
     
    
  
ルカの福音書8章に、「ガリラヤの湖」で起こったことが書き記されて
  います。豊かな自然とたくさんの魚を供給してくれる場所ですが、時には
  自然の猛威の舞台となりました。イエスさまと弟子たちが、小舟で湖に
  漕ぎ出したのですが、突然の大嵐に見舞われてしまい、非常に危険な状
  況になったのです。「
先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」
  (24節)と弟子たちはイエスさまに助けを求めました。イエスさまは「

  と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。
」    (24節)のでした。主イエスさまは、神の御力をもって大嵐を静められ
  ました。私たちの人生にも、大雨や台風がやってくるでしょう。その時は、
  弟子たちのようにイエスさまに助けを求めましょう。
       神さまの恵みと平安がありますように。

 


2016.7.11(月)  テーマ  <求めなさい

  昨日は暑い、そして熱い(参院選投票日)一日でした。
  今週はどんな一週間になるのでしょうか。
        
  あなたのそばに赤ちゃんがいますか。「泣く子は育つ」ということばがあ
  ります。赤ちゃんは泣くことが仕事(?)ですが、泣くことによって、お母
  さんはどうして欲しいのかを察知し、お母さんは行動を起こし、やがて
  赤ちゃんは泣き止みます。そんなことを二人の間で取り決めたわけでも
  ないのに、そして赤ちゃんの成長は目を見張るものがあります。
  
   主イエスさまはある時、弟子たちにこう言われました。
    「
求めなさいよ。そうすれば与えられます。捜しなさい。
    そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば
    開かれます。」 
マタイ7:7
     
  
ひそかに期待しているだけではだれも気づいてくれません。待っている
   だけでは届けられません。本当に何かを欲しいならば、何か行動にうつ
   すでしょう。イエスさまは口先だけの無責任なお方ではありません。
   イエスさまにはそう言われる確かな根拠をもておられたのです。
   「
天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良い
   ものを下さらないことがありましょうか。
」 マタイ7:11
   私たちの求めるお方は、創造主である「天のおとうさま」です。
   
   梅雨明けも近いでしょうか。心身共にお元気で

 


2016.7.4(月)  テーマ  <クロスオーバー

  リオオリンピックのことが報じられている昨今です。あなたは定期的に
  何か運動をしていますか。。
        
  私は月に一回位の割合で、羽生市体育館・サブアリーナでバスケットを
  楽しんでします。私たちの教団の青年有志が作っている「
クロスオーバ
   ー
」というグループに私も所属して、バスケットを楽しんでいます。7月
  2日(土)午後にもバスケットを楽しみました。3時間、汗を流した後、
  羽生キリスト教会に再集合して、青年たちは交わりと賛美の時を持ちま
  した。私は、翌日の礼拝のために、二階の牧師室に一人こもりましたが、
  礼拝堂からの賛美の声が聞こえてきました。
  クロスオーバーのメンバーはクリスチャンかその友だちです。青年たちが
  一緒になってスポーツを楽しみ、一緒になって創造主なる神、救い主なる
  神を賛美する姿を見ることは、私にとってとても嬉しいことです。
           
   主イエスさまが来られる前、すなわち、旧約時代に作られたものです。
   「
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわ
  せ、なんという楽しさであろう。 それは頭の上にそそがれたとうとい
  油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりに
  まで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露
  にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたから
  である。
」 詩篇133:1~3
  
クロスオーバーのメンバーを結びつけているものは、
イエス・キリスト
  
に対する信仰です。私たちと一緒にバスケットしたいと思われる方は、
  どうぞご参加ください。

         
神さまの祝福をお祈りします。

 


2016.6.27(月)  テーマ  <苦しみが幸せに?

  日本でも、世界でも、災害や事故や事件で、多くの方々が被害に遭われ
  ています。悲惨なニュースに心が騒がしくなります。
        
  さて、
旧約聖書詩篇119篇71節に、「苦しみに会ったことは、私
  
にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」
  とあります。「苦しみに会ったこと」がどうして「幸せ」につながるのか、
  すぐにはわからないし、納得もできないものです。特に、苦しみのただ
  中にいたら、一刻もはやくその状況から解放されたいと願うでしょう。苦し
  みが続くならば、死ねば苦しみから解放されるとさえ考えるものです。
  この詩篇の作者が、そう言い得たには理由がありました。苦しみの中で
  神さまのおきて(命令とか法とかと訳している聖書もあります)を学んだ
  ことをその理由にしています。
       
   最近、日野原重明先生をテレビで観ましたが、104歳の先生はお元
  気なご様子でした。先生は大学2年生の時に大病し、1年間の休学を余
  儀なくされました。しかし、そのことがむしろ良かったと述懐しています。
  ご自身が大きな病気をされたから、患者さんの気持ちがわかるとも言わ
  れていました。現代人は食べ過ぎ、飲み過ぎが原因で病気になる人が
  少なくないと言われます。飲食をコントロールし、神のことば(聖書)を毎
  日いただくことが心身共の健康の秘訣だと思います。
  
       神さまの恵みと平安をお祈りします。

 


2016.6.20(月)  テーマ  <アンサーズ・イン・ジェネシス

  アメリカのケンタッキー州にある「天地創造博物館」がとても人気に
  なっているそうです。この博物館は、「アンサーズ・イン・ジェネシス     (創世記の中の答)」いう、12万人の会員を持つ団体が設立しました。
        
  この博物館のスタッフは、「アメーバは最初からアメーバ、魚は最初から
  魚、人類は最初から人類です。神が人類を創造したのです。」と説明し
  ます。見学コースを進むと、神が6日間で全てを創造したとの説明がな
  されます。
旧約聖書に基づく博物館の基本概念が示されているそうで
  す。日本の公立学校では「進化論」だけが教えられていますから、
  「創造論」を学ぶことはありません。日本においては、「進化論」を選択
  することは当たり前のことなのでしょうか。「創造論」は馬鹿げた昔の話
  なのでしょうか。個々人のレベルにおいて、究極的な選択が迫られるの
  ではないでしょうか。
        
  進化論」と「創造論」、あなたはどうお考えになりますか。
  「
初めに神が天と地を創造した。」 創世記1:1 これは、「聖書
  の最初のことばです。 私は創造主なる神を信じ、聖書から生きること
  の意味や幸い、平安をいただいています。
   
   今日も神さまのことを覚えて歩めますように。

 


2016.6.13(月)  テーマ  <キリストに捕らえられて

  イエス・キリスト使徒として、紀元1世紀の地中海世界に、キリスト
  の福音を伝え、あちこちに信じる者たちのグループ(教会)を作っていっ
  たパウロのことばをお届けします。
          
  パウロは、神の恵みによって救っていただいたことを、いつも喜び感謝
  していました。それとともに、もっともっと神さまのことを知りたいと熱望
  していました。それは、パウロが、十字架に架けられ死なれたナザレの
  イエスを信じ、救いという信仰による賜物をいただけたのは、パウロ自
  身にではなく、「
キリスト・イエスが私を捕らえてくださったピリピ3:12
  
に理由があると考えていたからです。
  ある方が人生の大きな苦しみの中で、藁にもすがる思いで教会の門を
  たたいたそうです。「
すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわた
  しのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

  マタイ11:28 の看板を見たからでした。
     
  間もなくして、その方はイエス・キリストを信じ、平安をいただきました。
  ある日、
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたし
  があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
ヨハネ15:16
 
のみことばを知って、神さまが自分を捕らえてくださるための苦しみだ
  ったと理解し、納得されたそうです。私も、「
キリストに捕らえられて
  ということがわかります。あなたはいかがですか。
    
   神さまの恵みと平安が豊かにありますように。

 



2016.6.6(月)  テーマ  <時の記念日によせて

  6月の記念日カレンダーには、10日の「時の記念日」が載っています。
  その記念日の制定は、1920年(大正9年)といいますから、96年前と
  いうことになります。
        
  ところで、日本で一番古い時計は、天智天皇が作った「漏刻」と呼ばれ
  る水時計だそうです。「日本書記」によりますと、天智10年(671年)
  4月25日にその時計が作られ、それは太陽暦にすると6月10日という
  ことになり、この日が「時の記念日」となったようです。「漏刻」は水を利
  用した時計ですが、その後、日時計、砂時計、ろうそく時計と、色々な時
  計が作られていくようになります。機械を用いた時計は、キリスト教を伝
  えるために日本にやって来たフランシスコ・ザビエルによって日本にも
  たらされたと言われています。
    
  旧約聖書伝道者の書には、「時」ということばがたくさんでてきます。
  2つを紹介します。「
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべ
  ての営みには時がある。
」 伝道者の書3:1  「神のなさることは、
  すべて時にかなって美しい。
」 同3:11 です。 
  神さまがなさることは、どんなことであっても、時にかなって美しいと言
  い得た信仰者の心、この心で人生に起こってくる出来事を見ていけたら
  どんな人生を送れるのでしょうか。

  
与えられている「時」を楽しみ、大切にできますように。

 


2016.5.30(月)  テーマ  <今日という日を楽しみ喜ぶ

  「今日と同じ日付の日は、毎年訪れます。しかし、今日という日は二度と
  巡ってきません」と言われています。本当にそうですね。
        
  詩篇118篇24節に、「
これは、主が設けられた日である。この日を
  楽しみ喜ぼう。
」とあります。
  今日という、後にも先にもない日、この日は私たちが楽しみ、かつ、喜ぶ
  ために神さまが備えてくださった日であると解釈できると思います。
  悲しむために、苦しむために、悩むために、神さまが一日を与えておられ
  ると考えるよりも、はるかに励まされるものです。
  一日に起こってくる出来事の中に、楽しめる要素、喜べる点を見出すこと
  は難しいでしょうか。簡単なことではないかもしれませんが、もの(物事)
  を見る視点が結構重要なこと、決め手なのかもしれません。
  先のみことばの前には、イエス・キリストの十字架と関わりがあると思
  われることが書き記されています。十字架で死なれたイエスさまですが、
  神の大能によってよみがえらされました。
       
  イエスさまがよみがえられた日は、神さまが設けてくださった特別な日
  です。それは後にも先にも同じ日はありません。イエスさまはよみがえら
  れただけではなく、ずっと一緒にいてくださるのです。それが土台にある
  のです。ですから、「喜び楽しもう」という奨励にも、「そうさせていただ
  きます。
」と応答できるのだと信じています。
   
   毎日、毎日が喜び楽しむ日でありますように。

 


2016.5.23(月)  テーマ  <神の栄光、神の教え

  旧約聖書の中に、「詩篇」というものがあります。昔も今も、多くの人々
  から親しまれ、また愛唱されているものです。「詩篇」には、人の人生に
  起こる様々な問題が取り上げられており、昔も今も、人間の本質や喜怒
  哀楽は変わらないことを強く思わされます。
       
  その中で、詩篇19篇もとても素晴らしいもので、また、大切なことを
  教えられます。「
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告
  げ知らせる
。」(1節)とあります。目を上げて澄んだ青空や夜空に光
  る星々を見る時、そこには創造主の働きがあると作者のダビデは言う
  のです。天体の規則正しい運行も、創造主の偉大さのゆえなのです。
  また、創造主なる神さまが与えてくださった律法(教え)の素晴らしさも
  告白されています。「
主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ
  
主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。」(7節)と。
  ですから、ダビデは、「
あなたのしもべを傲慢の罪から守ってくださ
  い。
」(13節)と祈るのです。
       
  イエスさまはこの偉大なるお方を、「天にいます私たちの父よ」と呼び
  かけなさいと言ってくださいました。偉大な創造主は、愛と恵みに満ちた
  父として、私たちの祈りを聞いてくださるのです。何と幸いなことでしょう。
   
   父なる神さまの大いなる祝福を祈ります。

 


2016.5.16(月)  テーマ  <生かされてあるいのち

  5月15日の礼拝は「召天者記念礼拝」を行い、その午後には、地上の
  生涯を終えられて、父なる神の御許に召された方々の思い出を語り合い
  その信仰の一端に触れさせていただき、私たちの信仰の糧にさせてい
  ただきました。
       
  礼拝堂の一部にテーブルを用意し、その上に召天者の写真を置かせて
  いただきました。
新約聖書の中に、「彼は死にましたが、その信仰に
  
よって、今もなお語っています。ヘブル11:4のみことばがあります。
  すでに天に召され、そのご遺骨を納骨堂にお預かりしてはいますが、
  毎日の生活の中で思い出すことはほとんどなく、年に一度、召天者記念
  礼拝があるからこそ、思い起こさせていただき、懐かしさや励ましがいた
  だけるのです。そして、これがまた、恵みであることを感じています。
       
  今年105歳になられる日野原重明先生は、「いのちとはあなたが使え
  る時間です。」と言われました。その与えられている時間をどう用いるか。
  生きている人からも、すでに天に召された方からも、何よりも神さまと
  神さまのことばの聖書から、私たちは生きる力と希望をいただくことが
  できるのは幸いです。季節の花々が元気に咲き誇っています。 
  
         幸いな日々でありますように。

 


2016.5.9(月)  テーマ  <母の日に思う

  新緑の美しい季節、5月の第二日曜日は「母の日」です。8日(日)に
  「母の日」集会を開催した教会もありました。
        
  さて、「母の日」ですが、それは教会から始まったことをご存知ですか。
  アメリカのバージニア州ウエブスターの教会で、長い間、教会学校の
  先生をしていたジャービスというご婦人が、ある日、モーセの「十戒」の
  中にある「
あなたの父と母を敬え」のことばから子どもたちに話しをし、
  最後に、「皆さんの中で、どなたか、お母さんの偉大な愛に対して、心
  から感謝を表す方法を考えてくれる人がでることを望みます。」と語った
  そうです。その子どもたちの中に、ジャービスさんの娘アンナさんがいま
  した。その後、ジャービスさんは召され、教会で追悼式が行われること
  になり、その時、アンナさんは以前お母さんから聞いていたことを思い
  出し、たくさんの
カーネーションを飾ってお母さんを偲んだそうです。
       
  1914年、アメリカの議会は5月第二日曜日を「母の日」と定め、やがて
  世界のいろいろな国々にこの習慣が広がりました。
  子どもはたくさんいても、母は一人です。「10億の子に10億の母あれど
  わが母にまさるは母なし」という歌があります。
  「
あなたの父と母を敬え。」 出エジプト20:12 の教えと実行が、
  平和と尊敬の社会を築き上げるのではないかと思います。 
  
   神さまの祝福が豊かにありますように。

 


2016.5.2(月)  テーマ  <失敗に終わらせない>

  五月晴れの空は青く、美しく、爽やかな季節です。心もいつも爽やかで
  ありたいですね。
        
  さて、毎日の生活で「ああ、失敗したな~」「やはり失敗だったか」と思う
  ことはありませんか。私はあります。
  「あなたはこれを発明するまでに、1万回も失敗をしたそうですね。」と
  言われたトーマス・エジソンは、こう答えたそうです。「私は失敗などして
  いません。うまくいかない1万個の方法を見つけたのです。」と。
  失敗はつきものです。問題は、失敗した後です。それを次回に役立てる
  ことです。落ち込んだり、全てがダメだと思う必要などないのです。
  聖書の中には、成功した人物よりも、失敗した人物の方が圧倒的に多く
  でてきます。否、人生の成功者などという表現は聖書にはないのです。
  それは、「神さまの祝福を豊かに受けた」「神さまの目にかなう人生であ
  った」ということであり、そういう人々も、実は数多くの失敗をしているの
  です。               
          
  
新約聖書にでてくる伝道者パウロは、神の大きな愛に感動し、こう書き
  送っています。「
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召
  された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくだ
  さることを、私たちは知っています。
」 ローマ8:28
  失敗さえも益にかえてくださる神さま、何という恵み、励ましでしょうか。
  
    神さまの恵みと平安が豊かにありますように。

 


2016.4.25(月)  テーマ  <いのちの重さ>

  さわやかな季節ですが、熊本地震をはじめ、人のいのちを奪う事故や
  事件が次から次へと報道されてきます。被災者や被害者の心と身体
  の痛みの大きさを思わされます。
  一つの出来事が、多くの人たちを悲しませ、不幸にし、人生をも狂わせ
  てしてしまうのです。
           
  人が不本意な死に方をすると、「人の命は全世界より重い」ということ
  ばが必ず聞こえてきます。なんとなく納得させられることばですが、その
  ことばは、誰がどのような時に言ったのでしょうか。
  私は、その出典は
新約聖書、マタイの福音書に書かれているイエス
  さまのことばだと思います。
  イエスさまが、ご自分がエルサレムで十字架につけられ、殺されること
  そして、3日目によみがえられることを弟子たちに告げた後に、続けて
  言われたことばなのです。
  「
だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の
  十字架を負い、そしてわたしについて来なさい
」と言われ、さらに、
  「
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、
  
何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すには、人はいったい
  
何を差し出せばよいでしょう。」 マタイ16:24,26
   
  永遠につながるいのちを得るのは、生きている間だけです。それを手
  に入れることができる機会を失ってはならないと、イエスさまは言われ
  るのです。あなたはいかがですか、どう思われますか。
  
  いのちの源である神さまの恵みと平安をお祈りします。