神は愛です

羽生キリスト教会のホームページへようこそ


    

皆さまのおいでをお待ちしています

2017年度のみことば
どうか、望みの神が、あなたがたを
信仰によるすべての喜びと平和をもって
満たし、聖霊の力によって望みに
あふれさせてくださいますように。
(ローマ 15:13)

 2018.1.14 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 13章 アブラハムの信仰の歩み

  「イスラエル民族の父」と呼ばれるアブラハム(きょうの箇所13章ではアブラム
  の歩みは、神さまからのお取り扱いを受ける、試練の連続であったと言えます。彼
  は、さまざまな事を通して、信仰をためされました。
  しかし、『
そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、
  主の御名によって祈った。
』(13:4)とあるように、アブラムは信仰者であり、生活
  の中心に、いつも主を
礼拝し、祈ることを据えていたのです。私たちも、たとえ欠け
  があっても、精一杯の礼拝をおささげしたいと願います。
       

  アブラムと共に旅を続けてきた甥のロトとの間に、むずかしい問題が生じます。お互
  いの持ち物が増え、場所・牧草・水が不足し、牧者たちとの間に争いも起こったの
  です。アブラムは、争いや憎しみを避けるため、別れて暮らす決断をしました。
  年長者として、当然自分にあるはずの土地の選択権をロトに譲り、先にロトに選ばせ
  たのです。それは、彼の謙遜さと、目先の利益に飛び付かない
信仰による決断でした

  『
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には
   報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
』 ヘブル 11:6
                 

  アブラムは、神さまから祝福のとこばをいただきました。
     『
わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
      わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、
      あなたの子孫をも数えることができよう。
』 (13:15,16)

  私たちもさまざまな試練を経験しますが、神さまの導きに従順に従っていきたいと思います。

    『
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、
     神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
』 ローマ4:20,21


                 



 2018.1.7 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 6章 ノアの生き方

  今年も神さまの豊かな祝福がありますように、お祈り申し上げます。

  
創世記は、聖書の最初の書です。そして、創世記の初めには、天地万物と
  人間の創造が記されています。『
神はお造りになったすべてのものを見られ
  た。見よ。それは非常によかった。
』(1:31)とあります。
  しかし、最初の人・アダムとエバが神の命令を守らずに、蛇(サタン)の誘惑に
  負けてしまったことから、人類に罪が入ります。罪を犯した結果、エデンの園か
  らの追放、家族間の殺人など、痛み・苦しみを経験しますが、しかし、そこにも
  
神の愛が示されて、救いの道も備えられたのです。
     
  アダムの子孫レメクの子
ノアの時代は、人口が増加し、さらに地は堕落と暴虐で満ちていきました。
  『
主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
                                                                  (6:5)
  神は、たいへん心を痛められました。しかし、そのような時代にあっても、ノアは神を信じ従う人でした。
  『
ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。』(6:9)
                 
  神は、大洪水によって、地上のすべてのものをさばかれますが、ノアと彼の家族に心を留められ、箱舟を造るように
  命じられました。いつも、主の命令・おしえに喜んで従うノアのように、私たちも
みことば(聖書)に従って歩むことが
  できますように。

   『
ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。』(6:22)

   『
信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その
    家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となり
    ました。
』 ヘブル 11:7


          
  
                



 2017.12.31 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 150篇 ハレルヤ、アーメン

  聖書66巻中、最も分量のある詩篇の最後、150篇がきょうの聖書箇所で
  す。146篇~150篇は、「
ハレルヤ詩篇」と呼ばれていて、ハレルヤで始
  まりハレルヤで終わる賛美の詩篇です。
  「
ハレルヤ」は、ヘブル語で「主を賛美せよ・主をほめたたえよ」の意味で
  聖書の中で繰り返し用いられている重要な言葉です。

  『
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。』 (150:6)
    

  150篇は、全節「神をほめたたえよ」と勧めています。私たちは、どこででも
  主を賛美することが出来ます。私たちを愛し、十字架による救いを成し遂げ
  てくださった神を見上げる時、賛美が溢れます。私たちの感謝・賛美を、神は喜んでくださるのです。

    『
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』 (103:2)
                  
  詩篇は、今から約3000年前に作られたものですが、現代の私たちにも同じように、真理・恵みを与えてくれます。
  それは、人間の本質と救いの真理は変わらないからです。生きて働く神のみことばが、聖霊の助けの中で、一人
  一人に語り続けてくださるのです。  今年一年の神さまの恵みを感謝いたします

            『
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。・・・・』 伝道者の書 3:11


             
      



 2017.12.24 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マタイの福音書 2:1~12 幼子への礼拝
           クリスマスおめでとうございます。

  クリスマスは、キリスト(救い主)のご降誕をお祝いするもので、きょうは
  世界中でクリスマス礼拝・祝会が行われています。新約聖書の著者たち
  は、クリスマスの出来事・喜びをそれぞれの表現で伝えています。
  私たちの罪を赦し、永遠のいのちを与えるために『
神が人となられた
  のです。信仰によって、この恵み・祝福をいただくことができますように。
     

  救い主に最初にお目にかかり、礼拝をささげたのは、羊の群れの夜番を
  していた
羊飼いたちでした。
    『
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれに
     なりました。この方こそ主キリストです。
』 ルカ 2:11

  きょうの聖書箇所 マタイの福音書2章では、
東方の博士たちが幼子を礼拝した出来事が記されています。どち
  らの場合も、神さまの特別な導きがありました。博士たちは、大いなる喜びをもって、黄金・乳香・没薬をささげ、ひ
  れ伏して礼拝しました。それらの贈り物は、まさに王・救い主にささげるにふさわしい物だったのです。
                
  今も生きて働いておられるお方、いつも共にいて助け・導いてくださるイエスさまを覚えて生活できますように。

  『・・・
この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる
   特権をお与えになった。
』 ヨハネ 1:12


             
   



 2017.12.17 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マタイの福音書 1:18~25 その名はインマヌエル

  きょうの聖書箇所は、マタイの福音書1章です。
  救い主のお誕生の次第を、著者マタイは、
ヨセフに焦点を当てて記してい
  ます。(ルカの福音書は、
マリヤに焦点を当てています。)
  マリヤの処女降誕は、非常に重要な意味を持っています。それが、信仰の
  妨げになっている人もいるようです。しかし、
救い主イエスさまが、神であ
  り、同時に完全な人となられたことは、この出来事に拠るからです。
  
  ヨセフは、ナザレという小さな町に住む大工でした。マリヤとの結婚を心待
  ちにしていたヨセフに、思いもよらない出来事が起こります。それは、人知
  を超えた神のみわざでした。

   『
その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重
    になったことがわかった。
』(18節)
  
                
  ヨセフは悩み、『内密に去らせようと決め』(19節)ますが、主の使いが夢に現れて語りました。

    『
ダビデの子ヨセフ、恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊による
     のです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪
     から救ってくださる方です。
』 (20,21節)

  ヨセフは信仰と勇気をもって、そのことばを受け入れ、従いました。常に最善を成してくださる神に、すべてをゆだね
  たのです。

       『
見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。
        
訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。』 (23節)


        
          



 2017.12.10 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マタイの福音書 1:1~17 神の恵みの系図

  新約聖書は、マタイの福音書キリストの系図」から始まっています。
  42代、2000年にわたる系図です。
  『
アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。』(1:1)
  
  この書の著者マタイは取税人でしたが、イエスさまの呼びかけに従い、や
  がて12使徒の一人に選ばれました。マタイの福音書は、ユダヤ人読者
  を特に意識して書かれています。しかし、イエスさまは、単にユダヤ人だけ
  の救い主ではなく、全世界の救い主なのです。

  『
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
                                        (28:19)
            

  系図は、旧約の民にとって出自を証明する、かけがえのないものです。
  イエスさまこそが、旧約聖書において預言されていた
メシヤ(救い主)であることを、この系図を通して証しています
  キリストによって成し遂げられた救いは、歴史の初めから神のご計画によるものであったことが、このアブラハムか
  らキリストに至る系図によって示されているのです。

    『
御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、
     大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
』 ローマ 1:3,4
                    
  
アドベント第2週です。私たちの罪を赦し、救いの道を備えてくださった主イエスさま。クリスマスを感謝と喜びに
  満ちて迎えたいと思います。

    『
わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。』 ルカ 1:46,47


               




 2017.12.3 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの黙示録 10章 死に至るまで忠実でありなさい

  本日から、アドベント(待降節)が始まります。イエス・キリストのご降誕と
  再臨を覚える時です。イエスさまのお誕生は、毎年世界中でお祝いされます
  私たちは、死んだ人の誕生祝いはしません。イエスさまは、今も生きて働か
  れています。
  私たちの罪を負って十字架にかかって死なれましたが、3日目によみがえら
  れたのです。アドベントは、救い主イエス・キリストのお誕生を祝うクリスマス
  の備えをし、感謝をもって待ち望む時です。
      

  聖書の最後に置かれている「ヨハネの黙示録」は、これから起こる出来事
  について記されています。それは、患難時代・キリストの再臨・最後の審判・新天新地・・・・です。<黙示>と言わ
  れているように、象徴的表現が多く用いられています。私たちに、主の再臨の時を、信仰と忍耐をもって待ち望むよ
  うに励ます、希望の書なのです。

     『
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。
      神は、彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
      彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。
      なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
 』 (21:3,4)
               
  朝明け前が最も暗いように、キリストが再臨される直前は、暗黒の世界です。前に、天の礼拝の幻を見せられた
  ヨハネですが、これから起こる出来事は、患難と神の怒り・さばきです。にもかかわらず、希望を見いだすことが
  出来るのは、
小羊イエス・キリストの血により、罪を赦され、白い衣を着させていただいているからです。
  私たちは、最期の時まで、信仰によって歩むことができますように。また、この素晴らしい福音をまわりの方々に
  証しできますように。

     『
あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。・・・・・死に至るまで忠実でありなさい。
      そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
』 (2:10)


               



 2017.11.26 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの黙示録 4章 ヨハネの使命

  本日の礼拝に、日本国際ギデオン協会埼玉北支部の2人の方が出席され、お証し
  を伺うことができて感謝でした。また、次のような祈りの課題があげられました。
     贈呈された聖書によって、救いに導かれるように。
     ギデオンの働き手が起こされるように。
     聖書資金が与えられるように。

  聖書を受け取った若い方々が信仰に導かれますように、お祈りしましょう。
     

  きょうの聖書箇所ヨハネの黙示録の著者は、12弟子のヨハネです。この書が書か
  れた時代は、ローマ帝国支配化のもと、キリスト者への迫害が厳しさを増していまし
  た。ヨハネ自身、パトモス島に島流しにされます。そして、そこで神から幻を示され、
  黙示録を書き記しました。迫害に苦しむ信者たちを力づけ、主の再臨を信仰と忍耐を
  もって待ち望むように、励ましているのです。
  かつてのヨハネは、「
雷の子」と呼ばれ、激しい気性の持ち主であったと思われますが、愛の人・思慮深い人に変
  えられていったのです。

  『
ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした。』 (1:2)
              

  2章・3章には、7つの教会への使信が記されています。すべての教会に語られていることは、
  『
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。』です。いつも神のことば・聖書に聞き従うことが
  できますように。
                     
  4章から、天における礼拝・幻が記されています。やがて経験する永遠の御国での礼拝の先取りです。信仰ゆえの
  迫害に苦しむ聖徒たちに、天の礼拝・祝福を見せてくださっているのです。

     『
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に
      来られる方。
』 (4:8)

     『
主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を
      創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。
』 (4:11)


         



 2017.11.19 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 144篇 幸いな生活のために

  きょうの聖書箇所は、詩篇144篇です。表題に「ダビデによる」と記されています。
  ダビデはイスラエルの王であり、戦いの先頭に立つ勇敢な武将でもありました。1節
  と2節に、主なる神がどのようなお方であるのか、8つのことばで表しています。
  ――
岩・恵み・とりで・やぐら・救う方・盾・避け所・私の民を私に服させる方――
  です。ダビデが信仰者としての歩みの中で、体験し、実感してきたことでしょう。多くの
  戦いを経験したダビデにとって、神は常に堅固な避け所だったのです。

     『
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。』 (46:1)
      
  全世界を造られ、歴史を導いておられる神は、小さく弱い存在の私たちを顧みてくだ
  さいます。一人ひとりが、かけがえのない存在として覚えられ、愛されているのです。

     『
主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。
      人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
』 (144:3)
                   
  5節から、祈りのことばが続きます。外敵に悩まされながらも、神に信頼し、神をほめたたえ、助けを祈り求めていま
  す。また、12節からは、王として、民への祝福をとりなす祈りをしています。民と国全体の繁栄と、幸福な生活を願
  っているのです。ダビデは、どのような時にも、
主に拠り頼み・祈り・神を賛美し、信仰によって歩んだのです。

    『
幸いなことよ。このようになる民は。  幸いなことよ。主をおのれの神とするその民は。』 (144:15)



              



 2017.11.12 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 46:1~3 神殿と礼拝の啓示

  きょうの聖書箇所 エゼキエル書は、さばきの宣告が繰り返されていますが、回復の
  預言・神殿再建の預言という希望も語られています。
  神の民・イスラエルは、出エジプトの時代、神から礼拝の規定を事細かに教えられまし
  た。「~しなければならない」という数々の教えは、人々を不自由にするものでは、あり
  ませんでした。このようにすれば、神の前に出て、神を礼拝することが許されるという、
  祝福を受ける恵みの言葉だったのです。
  
安息日(現代においては日曜日)の礼拝を守ることは大切であり、何にも勝る恵み
  です。まごころから、喜びと感謝をもって神を礼拝できますように。

   『
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなり
    ません。
』  ヨハネ 4:24
     
  イスラエルの民は捕囚の時代、国・都・神殿・礼拝を失いました。しかし、あわれみ豊かな神は、回復の約束と共に
  もう一度、ささげ物の規定・礼拝についての啓示を与えてくださいました。これは、恵みの招きです。偶像礼拝の罪
  を犯した民に、唯々まことの生ける神だけを礼拝するように、という愛の招きなのです。

  『
一般の人々も、安息日と新月の祭りの日には、その門の入口で、主の前に礼拝をしなければならない。』
                                                           エゼキエル46:3
                  
  現代の私たちは、これらの旧約の規定の通りに礼拝を行うことを、強制されていません。それは、
救い主イエス・
  キリストの十字架
のゆえです。イエスさまは、ご自身の流した血によって、私たちに礼拝への道、救いへの道を
  開いてくださいました。恵みを感謝しつつ、主への礼拝の生涯を送ることができますように。

      『・・・・・
その日からこの町の名は、『主はここにおられる』と呼ばれる。』  エゼキエル48:35


                  



 2017.11.5 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 40:38~49 神礼拝の回復

  エゼキエル書1~24章は、エルサレム滅亡の預言、25~32章は、諸外国に対する
  さばき、33~48章は、イスラエル回復の預言が記されています。エゼキエル書のキー
  ワードは、『
わたしが主であることを知る』です。神がさばきの宣告をなされるのは、
  人々が罪を悔い改めて、神と共に生きるためです。

   『
あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。
    こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは
    死のうとするのか。
    わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。― 神である主の御告げ。―
    だから、悔い改めて、生きよ。
』 (18:31,32)
        
  神は、罪に罪を重ねる民をさばかれましたが、豊かなあわれみによって、イスラエルに
  回復の希望を与えてくださいました。

    『
「・・・・怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、
     永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ」とあなたを贖う主は仰せられる。
』 イザヤ 54:8
                 
  かつてエルサレムの堕落の幻を見せられたエゼキエルですが、きょうの聖書箇所 40章では、
新しい神殿の幻
  見せられます。この幻が与えられたのは、捕囚から25年後、エルサレム陥落から14年後で、エゼキエルは50歳
  になっていました。
  義なる神は、民の不従順を怒り、捕囚というさばきを下されましたが、必ず解放と帰還・神殿再建が起こるという
  希望を与えてくださいました。
神を愛し、神を礼拝することが、回復と希望の鍵なのです。

    『
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たに
     されています。
』  Ⅱコリント 4:16



          



 2017.10.29 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マタイ 6:9~13 御国を広げよう

  本日は講壇交換礼拝で、本庄キリスト教会(埼玉県)の先生がお話してくださいました
  
  『
御国(みくに)が来ますように。みこころが天で行われるように 地でも行われま
   すように。
』 マタイ 6:10
  きょうの聖書箇所
マタイの福音書 6:9~13は、毎週の礼拝で祈る<主の祈り
  です。これは、
主イエスさまが弟子たちに教えてくださったお祈りです。私たちは、こ
  の地上でみこころを行い、そして、栄光を主にお返ししていくのです。<
主の祈り>は
  キリスト者・主の弟子としての生き方を示しています。

  『
御国』とは、はるか遠い所にいつか行く、ということではありません。この地上にお
  いて、神に支配された生活をしていくことです。自分の思い・考えではなく、主の臨在
  において、主のみわざが成されるのです。
  私たち一人ひとりが、御国の主役です。そして、私たち一人ひとりによって、神の国が
  広がっていくのです。愛と恵みに満ちた関係が、もっともっと広がっていくようにと願い
  ます。
             
  この地において、主のみこころが行われる生活とは、どのようなことでしょう。

  ① 主のみこころが成るように祈る。積極的に願う。  ② 祈ると共に実行する。御霊の賜物を生かして用いる。
  ③ 聖霊なる神の力によって行う。自分の力ではなく、神に拠り頼む。
  ④ 宣教と社会貢献(愛の実践)。パウロは、貧しい人々をいつも顧みた。
    『
ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来た
     ところです。
』 ガラテヤ 2:10
                      
  
イエス・キリストの心を持って生きることを明確にしていく時に、御国は広がるのです。

  ① 人を尊敬する  ② 人を信頼する  ③ 人を好意的に見る  ④ 関心を持つ(愛がないと無関心になる)
  ⑤ 最高の状態で生きられるように  ⑥ 人をさばかない(聖化の途中にあるのですから)

  このような時に、聖霊が働かれます。主の弟子として、主のみこころを行い、御国をつくる事業に私たちも貢献して
  いるのです。

   
このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与える
   ほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して
   来たのです。
   使徒の働き 20:35


                           



 2017.10.22 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 31章 エジプトもさばかれる

  エゼキエル書は、エルサレム滅亡の預言、さらに諸外国に対する神のさばきが記
  されています。29章から32章までは、エジプトに対するさばきが告げられています
  きょうの聖書箇所 29章は、エルサレム陥落のわずか一ヶ月前の預言です。
     
  神の民として特別な祝福を受け、諸外国に主を証しする存在として召されたにもか
  かわらず、神を裏切り、罪に罪を重ねた南ユダ王国は、神のさばきを受けます。
  しかし、それは神の民が、
悔い改めて立ち返るためでした。『わたしが神、主で
  あることを知ろう
』と繰り返し語られています。
          
  バビロン帝国の脅威にさらされていた南ユダ王国は、唯々、神に拠り頼むべきであ
  ったのに、大国エジプトを頼みとしました。しかし、そのエジプトの滅亡をエゼキエル
  は宣告しました。エジプトは、繁栄のゆえにおごり高ぶり、創造主なる神を認めなか
  ったからです。この世のものは、滅び去ります。ただ神のことばだけが、滅びること
  がないのです。

    『
この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。』 マルコ 13:31
                 
  神さまの御前に、謙遜な誠実な歩みができますように。
  全世界を造られ、歴史を支配し導いておられる主を、心から崇め、愛し、従う日々でありますよう、祈ります。

  『
主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。
   それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。
』 ミカ 6:8


                     




 2017.10.15 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネ 21:15~25 三度の問いかけ

  ヨハネの福音書の著者ヨハネは、自らを『イエスが愛された弟子』と言っています
  彼は12弟子の一人で、ゼベダイの子であり、ヤコブの兄弟です。そして、この福音
  書の書かれた目的が、20章31節に記されています。

  『
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたが
   たが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によって いのち
   を得るためである。

      
  ヨハネは、イエスさまの最後の1週間に、多くの記述を費やしています。きょうの聖
  書箇所21章は最後の章で、よみがえられた
イエス・キリストが、ガリラヤでもう一
  度、ご自分を弟子たちに現されたところです。弟子たちは、イエスさまを置いて逃げ
  裏切ったのです。それにもかかわらず、主は弟子たちを見捨てず、赦してくださいま
  した。大漁の奇蹟、さらに朝食の準備までして、共に食事をしてくださったのです。
          
  弟子たちと朝の食事を済ませたあと、イエスさまはペテロに、『
あなたは、この人たち以上に、わたしを愛します
  か。
』(15節)と言われました。3度も『イエスを知らない』と言って否認したペテロに、やはり3度もこの質問をされた
  のです。失敗をして自分の弱さを思い知らされたペテロは『
私があなたを愛することは、あなたがご存知です。』
  
(15節)と答えました。以前の自信に満ちた言葉では、ありませんでした。
  『
あなたは、わたしを愛しますか。』この問いかけは、私たち一人ひとりにも語られています。ただ聖霊の助けと
  導きにより、主イエスさまに従い続けることができますように。

  『
わたし(イエス・キリスト)はぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の
   中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすること
   ができないからです。
』 (15:5)


         



 2017.10.8 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネ 19:1~16 キリストとピラト

  イエス・キリストは、ユダヤの指導者により捕らえられ、総督ピラトのもとに連れて行
  かれました。ピラトは、イエスさまをむち打ちにし、兵士たちは、いばらの冠をかぶらせ
  顔を平手で打って、ののしったのです。イエスさまは、後に十字架を背負うことが出来
  ないほどに、肉体的な痛みを受けましたが、心理的にも、人々のあざけりや弟子たち
  の裏切りという苦しみを受けました。
     
  ピラトは、人々がねたみから、イエスさまを引き渡したことに気づいていました。
  『・・・・
私はこの人には罪を認めません。』(19:6)と語っています。
  しかし、群衆の「十字架につけろ」と激しく叫ぶ声に負けてしまいました。騒動を恐れ
  保身に走ったピラトは、イエス・キリストを十字架につけるため、引き渡したのです。
  <
使徒信条>の中で、『ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け・・・・・』と唱えられ
  続けていくことになったのです。
          
  しかし、イエス・キリストの苦しみは、神のご計画でした。なぜ、不当な、理不尽な苦しみを負われたのでしょうか。
  それは、私たちのそむき・かたくなな罪のゆえです。イエスさまは、
私たちの救いのために、すべての苦しみに耐え
  られ、十字架へと進まれたのです。

  『
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり
   返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
   そして、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、
   義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

                                               ペテロの手紙 第一 2:22~24


                



 2017.10.1 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 137篇 捕囚の民の苦しみ

  きょうの聖書箇所 詩篇137篇は、捕囚の民の苦しみがつづられています。
  本篇の前は、『
天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。』(136:26)
  後ろは、『
私は心を尽くしてあなたに感謝します。』(138:1)というように、
  感謝・恵みにあふれた詩篇です。
  しかし、137篇は、『バビロンの川のほとり』(1節)が、この詩の生まれた背景で、
  捕囚の地バビロンでのイスラエルの民の嘆きがつづられています。
     
  
エゼキエルは、バビロンで預言者としての召しを受け、人々に神のことばを語り続け
  ました。民が聞いても聞かなくても、忠実に自分の役割を果たしたのです。

            『・・・・
悔い改めて、生きよ。』 エゼキエル 18:32
            
  捕囚の地で、民を捕虜として連れて来た者たちが、『シオンの歌を一つ歌え』(3節)
  と、余興で物笑いにしようとする時に、その求めを拒否したのです。それは、ヘブル人としての信仰と誇りのゆえで
  
した。
  クリスチャンは、この世で様々な戦いがあります。信仰者としての聖なる誇りを保てますように、主の守りと助けを
  祈ります。

    『
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。』 ローマ 12:21

    『
あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたし(イエス・キリスト)は
     すでに世に勝ったのです。
』 ヨハネ 16:33


            
                



 2017.9.24 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 22:1~16 悪から離れよ

  祭司エゼキエルは、捕囚となってバビロンの地に連れて行かれてから、5年目に、
  預言者としての召しを受けます。イスラエル滅亡という辛く悲しい預言、神のさばきを
  人々に語りました。彼は、言葉だけでなく、行動・生活を通しても、神のメッセージを
  表しました。それは、何百日も横たわってパンを食べたり(4章)、愛する妻が死んで
  も、『泣くな。・・・喪に服するな。・・・』(24章)という、辛いことでした。
  しかし、エゼキエルは、『
私は命じられたとおりにした。』(24:18)とある通り、どの
  ような時にも、神の命令に従ったのです。自分の思い・考えではなく、神のみこころを
  第一としたのです。
        

  滅亡が近づきつつあるエルサレムでは、エレミヤが神のことばを語り、捕囚の地で
  は、
エゼキエルが民に語り続けました。きょうの聖書箇所 22章には、エルサレム
  のさばきの原因となった数々の罪が挙げられています。
  まことの神への礼拝が行われるべき「聖なる都」が、「流血の町」と言われています。
  偶像礼拝・社会的な罪・道徳的な罪・・・・神を忘れ、神以外のものを第一に生き方が、人々を悪へとおとしいれるの
  です。
  しかし、神は、人々が悔い改めて生きることを、望んでおられます。
イエス・キリストの十字架は、私たちの罪を赦
  すためです。信じる者に、赦しを、
永遠のいのちを与えてくださるのです。

       『
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある
        永遠のいのちです。
』 ローマ 6:23


               



 2017.9.17 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 18:1~18 責任を負う覚悟

  エゼキエルは、2度目の捕囚でバビロンに捕らえ移され、捕囚の民と共に住んで、
  預言者として働きました。イスラエルの民は、神の教えに聞き従わず、罪に罪を重ね
  た結果、バビロン捕囚という神のさばきを受けたのです。
  しかし、捕囚は絶望ではなく、
希望・回復のメッセージも語られています。神は、い
  つも人々が
悔い改めて、立ち返ることを願っておられるのです。
     

  『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』(18:2)ということわざは、
  先祖の罪の結果として、自分たちがこのような不幸な状況になっている、という思い
  を語っています。イスラエルの民は、被害者意識を持っていました。
  しかし、神は、そうではないと語られます。罪の責任は一人ひとりが負うもので、神
  は、一人ひとりの行いに応じてさばかれるのです。

    『
見よ。すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちも
     わたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。
』 (18:4)

  神はエゼキエルを通して、生きるべき道を教えられました。『必ず死ぬ者』と『必ず生きる者』とが記されています。

   『
・・・・わたしのおきてに従って歩み、まことをもって わたしの定めを守り行おう。こういう人が正しい人で、
    必ず生きる。・・・
』 (18:9)
                  

  私たちは、神の前にその生き方が問われています。へりくだり、いつも神のみこころに従って歩むことができますよ
  うに。

    『
あなたがたの犯したすべてのそむきの罪を あなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と
     新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
     わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。―― 神である主の御告げ ――だから、悔い改めて、
     生きよ。
』 (18:31,32)


                   



 2017.9.10 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 13:1~9 人を生かす神のことば

  エゼキエルは、バビロン捕囚・南ユダ王国滅亡の時の預言者です。預言者は、神の
  ことばを直接預かり人々に語る、という非常に大切な働きを担っていました。神のこと
  ばを忠実に語るということは、そむきの罪やさばきを宣告しなければならないこともあり
  厳しく辛い働きでした。
  一方、エゼキエル書には、にせ預言者もたくさん登場します。神に召されていない彼
  らは、神からのことばではなく、王や民が喜び、受け入れやすいことばを語りました。
  その罪は重く、わざわいが来ると語られています。

  『
神である主はこう仰せられる。自分で何も見ないのに、自分の霊に従う愚かな
   預言者どもにわざわいが来る。
』 (13:3)
         
  民が間違った生き方をして苦しんでいる時、エゼキエルは悔い改めを迫りましたが、
  人々は受け入れませんでした。ところが、悔い改めを語らないにせ預言者たちが、これ
  からも平和だ、と言うと、民は聞き従いました。自分にとって都合のよいことだけを聞き入れたのです。
  人々は、ますます間違った道に進んで苦しみました。たとえ、耳に痛いことでも、まことの神のみことばに聞き従う時
  苦しみ倒れた人々は癒され、人生は建て上げられるのです。
  『
あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう』と繰り返し語られています。まことの神を知るとは、日々、
  みとば(聖書)を読み、祈りつつ、主に従って歩むことです。


  『
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から
   私たちをきよめてくださいます。
』  ヨハネの手紙 第一 1:9


               




 2017.9.3 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 6章 わたしが主であることを知ろう

  南ユダ王国は、バビロン捕囚・エルサレム陥落という神の厳しいさばきを受けました。
  それは、神への背信のゆえです。周辺諸国に神を証しする存在として選ばれたにもか
  かわらず、神の教えに従わず、偶像礼拝の罪を重ね、さらに回りの諸国の民よりも狂暴
  になってしまったのです。

  『
彼らは、わたしが主であること、また、わたしがゆえもなくこのわざわいを彼らに
   下すと言ったのではないことを知ろう。
』 (6:10)
      
  
祭司エゼキエルは、当時の王エホヤキンをはじめ多くの民と共に、異国の地バビロン
  に捕囚の民として移されました。そして、5年目に預言者として召されます。そこには、
  すでに捕囚となった
ダニエルがいて、王宮に住み要職につき、預言者として働いてい
  ました。一方、エゼキエルは、ケバル川のほとりで捕囚の民と共に生活し、神のことば
  を語ります。さらに、
エレミヤは、エルサレムにおいて預言者として活動しました。それぞれ神が遣わされた場所で
  働きを全うしたのです。
                     
  神は罪に対してさばきを与えましたが、必ず回復と希望を与えてくださるお方です。ご自分の民を愛する神は、民が
  悔い改めて、立ち返ることを望んでおられるのです。
  『
あなたがたは、わたしが主であることを知ろう』と繰り返し語られています。日々、罪を悔い改めて、主に喜ばれ
  る歩みができますように。

     『
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――
      それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるため
      のものだ。
』 エレミヤ 29:11


                    




 2017.8.27 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 17:1~19 イエスの祈り

  イエス・キリストは十字架の前日、「二階の大広間」に弟子たちを集めて、最後の時を過
  ごされました。(ヨハネの福音書 13~17章)
  きょうの聖書箇所 17章は、その最後の部分で<
大祭司の祈り>と言われています。
  イエスさまは今も、大祭司として私たちのために、とりなしの祈りをささげてくださってい
  ます。主は、私たちの近く、すぐそばにいてくださるお方です。

  『
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられ
   ることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければなら
   ないのです。
』 ヘブル 11:6
       
  17章は、3つに分けることができます。
    ① ご自身のための祈り(1~5)
    ② 弟子たちのための祈り(6~19)
    ③ 後に信じる者のための祈り(20~26)
                  
  今回は、特に1~5節を中心に見ていきましょう。
  『
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを
   知ることです。
』 (17:3)

  <
永遠のいのち>とは・・・・天国に行ける、とは良く知られていることです。ここでは、さらに『父なる神と子なる
  イエス・キリストを知る
』と記されています。「知る」とは、お互いの信頼に基づく全人格的な深い交わりを意味し
  ます。それは、聖書を学ぶことであり、祈りであって、継続することが大切です。それにより、私たちは、励まし・
  慰め・力を受けることができるのです。


         『
真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。』(17:17)



                




 2017.8.20 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 13:21~38 ユダとペテロ

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書13章には、イエスさまの十字架の前夜、すなわ
  ち最後の晩餐の出来事が記されています。ここには驚くべき事が記されています。
  第一に、イエスさまの<
洗足>の行為です。足を洗うということは、しもべの仕事です。
  神であられるお方が、ここまでへりくだり仕える姿を、弟子たち・私たちに模範として示し
  てくださったのです。主の御姿にならい、謙遜な歩みができますようにと、祈ります。
     
  第二に、<
裏切る者がいる>というイエスさまのことばです。弟子たちは誰のことかも
  また、イエスがユダに語られたことばの意味も、理解することが出来ませんでした。
  ユダはお金の管理という大切な仕事を任されていましたが、その中から盗んでいたの
  です。他の弟子たちには気づいていなくても、イエスさまはすべてをご存知でした。神の
  細き御声を退け、聞こうとしないと、罪に陥りやすいのです。
          
  第三は、<
ペテロの裏切り>のイエスさまの予告です。『あなたのためにはいのちも捨てます。』(13:37)とも
  語ったペテロでしたが、「イエスを知らない」と3度も否認します。その後、『・・・
彼は出て行って、激しく泣いた。
  (マタイ26:75)のでした。
  ユダと違って、ペテロは心から
悔い改め、生涯を主にささげ、聖霊の力によってすばらしい働きを成したのです。

   『
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、
    あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによって あなたがたが
    わたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです
。』 (13:34,35)


           
                



 2017.8.13 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 11:45~57 十字架の預言

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書11章には、「ラザロのよみがえり」の出来事が
  記されています。マリヤとマルタの兄弟ラザロは、病気にかかり死んでしまいます。
  イエスさまが到着された時には、墓に入れられてから4日も経っていました。しかし、
  イエスさまは、
  『
わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きる
   のです。
・・・』 (11:25)と言われ・・・・
  ラザロはよみがえります‼ 死者が生き返るという、神のみわざが成されたのです。
  
イエス・キリストを信じる者にとって、死は終わりではありません。肉体は滅んでも、
  
永遠のいのちを持ち、復活の望みがあるのです。
        

  イエスさまによるラザロのよみがえりの奇蹟は、人々に2つの反応を起こさせました。
  多くのユダヤ人はイエスさまを信じたのですが、祭司長やパリサイ人などの指導者たち
  は、なんと殺害計画を立てたのです。指導者たちは、イエスさまを、自分たちの権威をお
  びやかす危険な存在としてとらえていました。イエスさまの
しるし(奇蹟)を目の当たりにしながら、真理から目をそ
  むけ、自分たちの特権を守ることに固執したのです。

                      
  ユダヤ人の過越の祭りが近づいていました。イエスさまは、ご自身が過越の小羊として、人々の罪のために十字
  架にかかることをご存知でした。
                        『
見よ、世の罪を取り除く神の小羊。・・・・』 (1:29)

  
イエス・キリストは、私たちの罪のために十字架で尊い血潮を流されました。そして、3日目によみがえられ、今も
  生きておられます。日々、主に喜ばれる歩みができますように。福音のすばらしさを証しできますように。


   『
イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったでは
    ありませんか。」
 』 (11:40)


                    



 2017.8.6 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 9:24~41 霊的開眼

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書9章は、イエスさまが生まれつきの盲人をいやさ
  れた出来事が記されています。

  イエスさま一行は道の途中で、生まれつきの盲人と出会います。弟子たちは、彼が
  盲目に生まれついたのは、この人か、あるいは両親の罪の結果であろうと、因果応
  報的な質問をします。しかし、主イエスは、
  『
この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れ
   るためです。
』(9:3)と答えられました。
  その男は、イエスさまが言われた通り素直に従った時、見えるようになります。これは
  
イエス・キリストが救い主であることを示す奇蹟(しるし)でした。
       

  しかし、この出来事が安息日に行われたため、パリサイ人が問題にします。けれども
  安息日は、人間のために定められたのです。
  『・・・
安息日に良いことをすることは、正しいのです。』(マタイ12:12)

  パリサイ人の信仰は形式的であり、霊的な目が開かれていませんでした。
                   
  いやされた男は、自分の身に起こったことを率直に語り、証しします。その結果、イエスさまに反対するユダヤ人は
  怒り、男を会堂から追放してしまいました。しかし、イエスさまは彼のことを心配し、捜し出し、声をかけてくださった
  のです。イエスさまとの会話の中で信仰告白がなされます。彼は肉の目だけではなく、
霊の目も開かれたのです。
           『
彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして、彼はイエスを拝した。』 (9:38)

  
       『
私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇(くす)しいわざに思いを潜めます。』 (詩篇145:5)


                     



 2017.7.30 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 7:37~53 生ける水の川

  本日は講壇交換礼拝で、足利キリスト教会(栃木県)の先生がお話してくださいまし
  た。

  
イエスさまが伝道を開始された時、戸惑い、疑う人々がいました。「この人は本当に
  キリスト(救い主)なのか?」「 ただ群衆を惑わせているだけなのか?」・・・霊的な目
  が開かれていなかったのです。特に民の指導者たちは、イエス・キリストの言葉も
  みわざも受け入れようとは、しませんでした。
     

  仮庵の祭りの終わりの日に、イエスさまは群衆に語りました。
  「
だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」 (37節)

  自分が渇いていることに、気づいていない人もいます。自分の弱さや罪に気づき、
  イエスさまの救いを求める人は幸いです。さらにイエスさまは、
  「
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るよう
   になる。
」 (38節)と言われました。
                  
  神(
聖書)のみことばによって、魂の渇きはいやされます。イエス・キリストを救い主として信じ受け入れる時、私
  たちの心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになるのです。それは、まさに
聖霊の働きです。あふれ出し
  た水は、回りの方々にも良い影響を与えていくのです。
  「疑わずに信じる人にならせてください。」と祈り求めていきましょう。この週も、主の恵みの中で、聖霊の導きに
  従って歩んでいきましょう。



   
                



 2017.7.23 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 6:16~33 神への最大の応答

  ヨハネの福音の著者ヨハネは、本書を書いた目的をはっきりと語っています。
  『・・・
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなた
   がたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを
   得るためである。
』 (20:31)

  きょうの聖書箇所 6章には、2つの奇蹟(
しるし)が記されています。
  <
五千人の給食
   少年が持っていた僅か5つのパンと2匹の魚だけで、男性だけでもおよそ五千人い
   た人々を充分に満たし、なお余ったもので12のかごがいっぱいになりました。

  <
湖の上を歩かれたイエス
   暗闇の中、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、
   幽霊だと思い、恐れたとあります。
         

  これらの奇蹟は、イエスが神であることを証しするためで、人々がイエスを信じ従うためであったのです。しかし、
  群衆は、イエスさまご自身ではなく、自分の空腹を満たすパンを求めてイエスを追いかけて行きました。群衆は自分
  の欲求を満たすことしか考えられず、主イエスを民族解放の王にしようとします。しかし、イエス・キリストは、永遠の
  御国の王であり、人々が救われ、永遠のいのちを持つために働かれたのです。そして・・・、今も生きて働いておら
  れます。

    
  イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、
       わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」 
 (6:35)


               



 2017.7.16 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 4:16~26 真の礼拝

  きょうの聖書箇所ヨハネの福音書4章の舞台は、サマリヤのスカルという町にあった
  ヤコブの井戸です。イエスさまはガリラヤに向かう途中、ここで一人のサマリヤの女性
  と出会います。当時、ユダヤ人はサマリヤ人と関わりを持たず、また、男性が女性に
  親しく声をかけることもありませんでした。しかし、イエスさまは女性に語りかけ、井戸
  の水のことから、
永遠のいのちへの水、すなわち信仰による救いへと導かれました。

  『
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
   わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき
   出ます。
』 (4:14)
         

  永遠のいのちへの水を求める女性に対して、イエスさまは、彼女の罪を指摘されま
  した。罪の悔い改めなしに信仰による救いはないからです。さらに、イエスさまは、
  <
礼拝>について語られました。

     『
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』 (4:24)

   私たちは、主イエスさまがよみがえられた日曜日の朝、礼拝をささげます。私たちの罪を赦すための十字架、
   そして、復活されて今も生きておられる主に、毎週心からの礼拝をおささげできますように。



                        



 2017.7.9 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 1:29~42 神の小羊

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書の著者は、「イエスが愛された弟子」である使徒
  ヨハネです。ゼベダイの子であり、漁師であったヨハネは「
雷の子」と呼ばれたことか
  ら、激しい気性の持ち主であったようです。しかし、彼はイエスさまと共に歩む中で、
  変えられていったのでしょう。彼の書いた福音書や書簡から、思慮深い愛の人として
  のヨハネの姿を見ることができます。
     
  イエス・キリストが公生涯に入る前に、バプテスマのヨハネが登場します。多くの人々
  が、彼のもとに来て罪を告白し、バプテスマを受けました。しかし、ヨハネは自分の働
  きをしっかりと自覚し、キリスト(救い主)について証言し、『
私はその方のくつのひも
  を解く値うちもありません。
』(1:27)と語っています。
            
  バプテスマのヨハネは、主イエスを指して、『
見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
  (1:29)と語りました。
イエス・キリストを説明する<神の小羊>は、ほふられ、ささ
  げられる過越の小羊・犠牲の小羊を意味しています。ヨハネはこのように、世の罪を取り除き、人の罪を贖うキリス
  トのみわざを証言しました。イエスさまは、永遠の初めから存在しておられる神の子であり、救い主なのです。

      『
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、
       ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
』 (3:16)


                   




 2017.7.2 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 128篇 神の祝福のかたち

  きょうの聖書箇所 詩篇128篇は、表題に「都上りの歌」とあり、エルサレムの
  神殿に巡礼する人々によって歌われたものです。神を恐れ、神を礼拝することは、
  祝福を受ける道です。

        『
幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。』 (1節)
     

  前半は、「幸いなことよ」「幸福」「しあわせ」が重ねて歌われ、勤労・家庭(妻と子)
  のことが語られています。また、「ぶどうの木」「オリーブの木」「若木」は、祝福を
  表現しています。
イエス・キリストは、自分にとどまることが実を結ぶ生涯であり、
  それが祝福であると語られました。

  『
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、
   わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。
   わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
』 ヨハネの福音書 15:5
         
、      
  後半には、主からの約束が明確に語られています。祝福のかたちは様々で、それぞれにふさわしい祝福を、神は
  備えてくださっているのです。神は私たちの祈りに応えてくださるお方、いえ、それ以上のみわざを成してくださる
  お方です。この主にいつも信頼して歩むことができますように。

                『
見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。』 (4節)
   『
私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、
    私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
』 詩篇16:8,9

、               




 2017.6.25 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
哀歌 2章 廃墟に立ちすくむ

  きょうの聖書箇所 <哀歌>は、聖書の中で最も悲しい歌です。著者は、エルサレ
  ムの滅亡を嘆き、『
私の目は涙でつぶれ・・・』(2:11)と語っています。かつての
  エルサレム、特にダビデ・ソロモンの時代は、繁栄をきわめ、諸国の羨望の的で
  あったのに、見る影もなくなってしまいました。バビロン捕囚により、人々は捕らえ
  移され、エルサレムは焼失・荒廃したのです。神殿は汚され、敵はあざわらい勝ち
  誇っています。
        

  これらの出来事の原因は、南ユダ王国の罪のためでした。罪に罪を重ねる民への
  神のさばきだったのです。

  『
彼女(南ユダ)の多くのそむきの罪のために、主が彼女を悩ましたのだ。・・』
                                                 (1:5)
  また、良いことだけを語るにせ預言者への責任と厳しい非難が記されています。
   『
あなたの預言者たちは、あなたのために、むなしい、ごまかしばかりを預言
    して、あなたの繁栄を元どおりにするために、あなたの咎(とが)をあばこうともせず、あなたのために、
    むなしい、人を惑わすことばを預言した。
』 (2:14)
                

  しかし、このような苦難と悲しみの中にあっても著者は、希望を語っています。それは、神に対する信仰のことば
  であり、
神のあわれみと慈しみに拠り頼んでいるからです。神は、私たちが心から悔い改めて、神に立ち帰ること
  を願っておられるのです。

     『
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。』 (3:22)
     『
主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。』 (3:25)

           
      



 2017.6.18 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
雅歌 3章 愛する方を見つけた喜び

  <雅歌>のヘブル語聖書での原題は、「歌の中の歌」となっています。
  内容は、男女の恋愛歌であり、愛する者に対する心の様々な動きや結婚について
  記されています。男女の愛の素晴らしさが語られていて、互いに相手を尊重し、愛
  することの大切さを教えられます。

  『
私の上に翻(ひるがえ)るあの方の旗じるしは愛でした。』 雅歌 2:4
      

  ただ、描写的なことも含めて、本書が聖書に入っていることに違和感を覚える声も
  あるようです。しかし、神が与えてくださった聖書66巻の中の一つとして聞き従う
  ことは、大切なことです。そして、<
>は聖書の中で最も大切なテーマです。
  神はひとり子(
イエス・キリスト)をお与えになったほどに、私たちを愛してくださって
  います。

  『
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
                                                          Ⅰコリント 13:13
               

  雅歌を通して、①愛の大切さ ②結婚の大切さ ③人間の愛は成長が必要 ④神の愛の大きさ ⑤キリストと教会
  の関係 について学ぶことができます。私たちは、神の愛によって、他者との間に本当の愛を築くことができるので
  す。

    『
大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、
     自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
』 雅歌 8:7

            『・・・・
キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。』 Ⅱコリント 5:14

               



 2017.6.11 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ネヘミヤ記 11章 再建と祝福

  ネヘミヤ記は、バビロン捕囚からの帰還、エルサレムの城壁再建、宗教改革(エズラ
  と共に)について記されています。
  ネヘミヤは
祈りの人でした。ネヘミヤは事あるごとに神に祈り、祈りの力を私たちに
  教えてくれています。そして、祈りを通して、みこころに対する確信・導きが与えられ
  ました。再建工事に反対する敵に対しても、毅然として立ち向かっています。また、
  エズラとネヘミヤのもとで行われた宗教改革は、<
律法の書>を第一とし、神のみ
  ことばに聞き従い、神を心から礼拝することを教えています。神のあわれみと豊かな
  恵みのゆえに、民は守られてきたのです。
      

  きょうの聖書箇所 11章には、エルサレム・その他の町々の居住者のリストが記さ
  れています。長い年月を経て、エルサレムの城壁は修復・再建されました。しかし、
  帰還の民のほとんどはエルサレム以外の町々に居住し、破壊されたエルサレムに
  住む人たちは多くなかったようです。新しいエルサレムのためには、もっと多くの住民
  が必要とされました。そこで、主の導きの中で、新たに住民となる人たちが選ばれました。さらに、犠牲を払って
  自ら進んでエルサレムに移り住む人々が起こされました。彼らは民から祝福されたのです。

        『
すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。』 (11:2)

  信仰・信頼によって、一歩を踏み出したのです。私たちも神に期待し、信仰によって、日々祈りつつ歩むことが
  できますように。
              『・・・・
私の神。どうか私を覚えて、いつくしんでください。』 (13:31)

                   



 2017.6.4 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
Ⅱコリント 3章 教会誕生の動力

  6月1日は羽生キリスト教会の創立記念日であり、本日の礼拝は、創立記念礼拝
  した。福音伝道協会(現福音伝道教団)による羽生開拓が、1927年(昭和2年)6月
  に開始され、今年は90周年です。
  今、使命があって生かされている私たちです。礼拝を大切にし、神のご計画の中を、
  喜びと感謝をもって歩んでいきたいと願います。また、宣教に励む者とさせていただき
  ましょう。
       

  また、本日は、ペンテコステ記念礼拝です。ペンテコステとはギリシャ語で、五旬節・
  50日目の意味です。イエス・キリストの復活と昇天の後、約束の聖霊が与えられ、エ
  ルサレム教会が誕生しました。<
聖霊降臨日>とも呼ばれています。聖霊はいつも
  私たちと共にいて、助け・守り導いてくださるお方です。

  『・・・
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』  マタイの福音書 28:20
                 

  弟子たちは聖霊に満たされ、イエス・キリストが救い主であると、力強く宣べ伝えていきました。その結果、やがて
  コリントにも教会が誕生します。しかし、この教会にはいくつか問題があり、パウロはそのために手紙を書き送りま
  した。パウロは聖徒たちに、「御霊に仕える者」としての自覚を求めています。御霊の働かれるところに、真の自
  由があります。

  『
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
   私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、
   主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

                                              コリント人への手紙 第二 3:17,18

                 
 



 2017.5.28 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ネヘミヤ記 1章 突然の悲報

  きょうの聖書箇所 ネヘミヤ記は、ネヘミヤがペルシヤ帝国からエルサレムに帰還
  し、城壁再建宗教改革
エズラと共に)を断行したことが記されています。
  ネヘミヤは、ペルシヤ帝国のシュシャンの城で、アルタシャスタ王の献酌官(王の給
  仕役)でした。異教の地であっても、神を信じ、従う者は用いられ、良い影響を与える
  存在として、信頼を得ていたのです。

  『
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。・・・』
                                            ピリピ 2:16
     
  そのネヘミヤのもとに、祖国ユダから数人の者たちがやって来ました。彼らから、あ
  まりにも悲惨なエルサレムの状況を知らされ、ネヘミヤは悲しみに沈みます。
  『
私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して
   天の神の前に祈って
・・・・』 (1:4)

  ネヘミヤは、神の御前に祈りました。イスラエルの民の罪を、自らの罪として告白し、そして、立ち帰る者にくださる
  神のあわれみを求めています。ネヘミヤは、自分がしなければならない事を考え、神が示し・導いてくださることを
  祈っています。

   『
ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を
    傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださ
    いますように。
』 (1:11)

            
                     



 2017.5.21 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エステル記 8章 事の結末はわからない

  本日は召天者記念礼拝でした。天国を仰ぎ見つつ、召された方々のことを思い、
  私たちは地上でいかに生きていくかを考える時です。みことばを深く味わい、今の自
  分の生き方を点検する時でもあります。

  『・・・・
彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
                                    ヘブル人への手紙 11:4
  『
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
                                         Ⅱテモテ 4:7
       

  先週に続いて、きょうもエステル記です。この書の中に、<><>の名は一度
  も出てきません。しかし、歴史を支配される神が、民と共にいて、助け・導いてくださ
  ったことは明らかです。
  アハシュエロス王の次の権力を持つハマンは、自分にひざをかがめないモルデカイ
  のみならず、ユダヤ民族を絶滅させようと陰謀を企てます。絶体絶命の状況の中で、エステルは<
断食・祈り>を
  要請しました。その結果、神から知恵が与えられ、信仰と勇気をもって行動することが出来たのです。そして、大逆
  転・大勝利を得たのでした。
エステルと養父モルデカイの、信仰者としての覚悟と確かな歩みによる勝利です。
  悲しみの日が、喜びの日となったのです。

  『
王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。
   この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。
・・・・』 エステル 8:17

             



 2017.5.14 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エステル記 1章 エステル記の始まり

  きょうの聖書箇所 エステル記は、書名として女性の名が用いられています。聖書
  中、それは本書とルツ記のみです。この書は、ペルシヤの王アハシュエロス(ギリ
  シャ名:クセルクセス)の治世に、信仰者
モルデカイと養女エステルが、イスラエル
  民族を救った出来事が記されています。天地創造の神のご計画・みこころ・導き・
  選びの確かさを知らされます。
      

  アハシュエロス王は、治世の3年目に、半年も宴会を開き『輝かしい王国の富と、
  そのきらびやかな栄誉
』を示します。また、王妃ワシュティをも見せびらかすために
  呼び出しました。しかし、彼女はこれを拒み、王妃の座を失います。そこで、新しい
  王妃として選ばれたのが、エステルです。神のご計画は、歴史全体をつらぬいてい
  て、確かな神の御手のわざが成されます。
           

  ハマンの昇進、自分に対してひざをかがめないモルデカイへの憤り、さらにユダヤ人
  絶滅の法令の発布・・・・という絶体絶命の状況の中で、エステルは信仰によって応答します。それは、死をも覚悟
  したものでした。

    『・・・・
たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、
        死にます。
』 (4:16)

  私たちも時として、勇気ある決断を求められることもあるでしょう。
  
イエス・キリストは、私たちを愛し・赦し、十字架の死により救いを与えてくださいました。日々、みことばに従い、
  みことばの通りに生きることができますように。

   『
もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。
    しかしあなたも、あなたの家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のため
    であるかもしれない。
』 (4:14)

               



 2017.5.7 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エズラ記 6章 神殿再建は皆の力で

  きょうの聖書箇所 エズラ記は、バビロン捕囚期以降のイスラエルの歴史がつづられて
  います。1~6章は、神殿再建工事と完成について、7~10章は、エズラ自身の活動・
  改革が記されています。
  ペルシャの王クロスの勅令に応答した人々は、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア
  リーダーとして祖国に戻り(第一回帰還団)、神殿再建工事に着手しました。それは、
  エレミヤの預言の成就であり、神のご真実さ・愛・あわれみのゆえです。

 『
まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに70年の満ちるころ、わたしはあなたが
  たを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの地に帰
  らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
  ― 主の御告げ ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなた
  がたに将来と希望を与えるためのものだ。
』 エレミヤ 29:10,11
     

  しかし、神殿再建工事は、様々な苦難・妨害に遭い中断されます。その時、工事の再開を促し、人々を励ますため
  に用いられたのが、預言者
ハガイゼカリヤでした。神殿再建は、神がなしてくださるみ業であり、神に拠り頼むこ
  とが示されたのです。

   『 
これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の
     主は仰せられる。
』 ゼカリヤ 4:6
                  
  第二回帰還団のリーダーは、祭司であり、学者であった
エズラです。
  『
エズラは、・・・・イスラエルの神、主が賜ったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が
   彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。
』 エズラ 7:6

  神殿再建工事には、実際に現場で仕事をした者たちや、背後で祈っていた者たちも用いられました。
  神の壮大なご計画の中で、私たち一人ひとりが役割を果たすことができますように。

             『
主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。
             主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。
』 詩篇127:1

           
 




 2017.4.30 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネ 21:15~22 あなたはわたしを愛しますか

  きょうの礼拝宣教は、奉仕学院生の「救いと献身」についての証し宣教でした。

  私は、小学校の高学年の頃から、むなしい思いをいだくようになり、高校生になって
  からは、宗教関係や哲学の本を読みましたが、答えは見つけられませんでした。
  ある日、アメリカ人の高校生が来て話しが出来る、ということで、友人と教会に行き
  ました。しかし、その高校生は都合が悪く、来なかったのです。賛美やゲームなどが
  あり、楽しいひとときでしたが、<牧師先生のメッセージ>がありました。それは、自
  分にとって想定外のことでした。お話しは分からないところもありましたが、それから
  高校生の集会に出席するようになったのです。
                           
  信じたら、精神の自由を失ってしまうのでは?という思いもありましたが、クリスチャ
  ンは喜びに満ち溢れていました。また、信じるように心に迫るものがあり、
イエス・キ
  リスト
を罪からの救い主として受け入れました。

  『
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリスト
   は、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとお
   りに、三日目によみがえられたこと
・・・・』 コリント人への手紙 第一 15:3,4

  このみことばを、そのまま信じたのです。
  それから、それまで経験したことのない喜びや解放感を感じました。みことばが私の中で実現したと感じたのです。
  神を離れての人生は、むなしいことを知りました。
                                   

  私は、中学・高校の教員として、長年働いてきましたが、定年が近づくにつれて、フルタイムの奉仕者としての思い
  が与えられました。
  
ヨハネの福音書 21章のイエスさまとペテロのやりとりから、献身の祈りへと導いてくださったのです。罪深さと
  無力さに打ちのめされているペテロに、イエスさまは愛の眼差しをもって語られました。

       『・・・
あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。・・・・』 (21:15)
       『・・・
あなたは、わたしに従いなさい。・・・・・』 (21:22)

  年をとっていて無理ではないか、という思いに、神を信じているか、信頼しているか、が問われました。
ヨシュア
  諭し、励まし、助け導いてくださった主が、私をも導いてくださいました。

   『
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者
    には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
』 ヘブル人への手紙 11:6

   日々、信仰によって歩み、賛美と感謝にあふれて生活できますように。

                 



 2017.4.23 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ダニエル書 8章 ダニエルの戸惑い

  きょうの聖書箇所 ダニエル書は、旧約聖書の「預言書」に分類されます。1~6章
  は歴史的部分で、ダニエルの生涯にまつわる出来事が記されています。7~12章
  は預言的部分で、将来起こる事が、幻と預言をもって語られています。
      
  7章には、四つの獣(バビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマ)の幻が記され、8章
  では、ダニエルに、雄羊と雄やぎ(メド・ペルシャ、ギリシャ)の幻が現れます。それは
  国や王の勢力争いが続き、滅ぼし・滅ぼされるという歴史を預言していました。
  天地を創造された神ご自身が、すべての歴史を支配し、導いておられることを示され
  たのです。
          
  ダニエルは、まだ少年の頃、異国バビロンに捕囚の民として連れて行かれました。
  偶像礼拝が盛んな異教の地で、捕囚の全期間を過ごします。どのような状況の中で
  も、信仰を守り、主に仕え続けました。バビロンおよびペルシャ両帝国の要職に就き
  生涯、証し人として生きたのです。私たちも生かされている場所で、主を愛し、生活と言葉で証しできますように。

    『・・・
ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。
     その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、
     地においても、しるしと奇跡を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。
』 (6:26,27)

    『
思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。
                                                                 (12:3)

                 



 2017.4.16 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マルコ 16:1~8 キリストはよみがえられた

  イースターおめでとうございます。
  
イエス・キリストは、十字架刑と葬りの後、三日目によみがえられました
  主の復活は歴史的事実です。私たちは、その事を心から信じ、今、生きて共にいて
  くださる主の御名をほめたたえます。
     

  神の御子(みこ)イエス・キリストは、何の罪も犯されませんでしたが、十字架という
  最もむごい刑で死なれました。逮捕から不当な裁判、そして、十字架への道でも、
  十字架上でも、暴力・ののしり・あざけりを受けました。それは、私たちの罪のため
  です。私たちの罪を贖うための苦しみと死、だったのです。
        

  きょうの聖書箇所 マルコの福音書16章は、女性たちにスポットを当てて記されて
  います。日曜日の早朝、イエスさまの遺体に油を塗りに行こうとして墓に着きました。
  恐れから、逃げてしまった男の弟子たちとは対照的で、彼女たちの行動は一途で、立派な信仰です。
  しかし、そこで彼女たちは、驚くべき出来事に遭遇します。墓の中の青年(御使い)は語りました。

    『
驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。
     あの方はよみがえられました。ここにはおられません。
・・・・・』 (16:6)
                

  イエス・キリストの復活は、信じることが難しいことかもしれません。しかし、弟子たちが聖霊の力によって変えられ
  たことや、福音の力強い生命力・伝播力など、主の復活無しには、とうてい考えられない事柄が満ちています。
  主の復活は、福音のすべてを証明し、保証します。

  
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
                                                     ヨハネの福音書 11:25

           



 2017.4.9 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ダニエル書 1章 勇気をもって一歩を

  きょうの聖書箇所 ダニエル書は、前半(1~6章)は、歴史的な記述が、後半
  (7~12章)は、幻と預言が記されています。

  『
ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルが
   エルサレムに来て、これを包囲した。
』 (1:1)
  時は紀元前605年。エルサレムはバビロンに包囲され
ダニエルたち(王族・貴族)
  は、異国バビロンに連れて行かれます。ダニエルは、ユダ部族の王族の一人で、ま
  だ少年でした。バビロンに捕囚されたダニエルたちは、王宮に仕えるのにふさわし
  い人物となるために、教育を受けます。
      

  その中で、ダニエルと3人の友人は、食事の事で、宦官の長に希望を申し出ます。
  それは、偶像礼拝・汚れから身を守るためで、信仰による勇気ある決断でした。

  『
神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。』(1:9)

  神は、ダニエルたちを守り・支え・助け出し、祝福してくださったのです。勇気・冷静さ・識別力は、神が与えてくだ
  さいます。信仰によって、勇気ある一歩を踏み出すことができますように。

  『
神はこの4人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。・・・・』 (1:17)
                 
  今週は受難週であり、
イエス・キリストの十字架を深く思う時です。来週はイースター礼拝です。共にイエスさま
  のよみがえりを喜び、感謝いたしましょう。
  『
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり
   返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
   そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義の
   ために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

                                               ペテロの手紙 第一 2:22~24

              



 2017.4.2 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 119:1~32 信仰の体験談

  きょうの礼拝は、福音伝道教団の聖会中(群馬県伊香保にて)で、牧師が不在のた
  め、教会員の証し(信仰の体験談)でした。

  今年の聖会は、「
バーネット師来日100年記念聖会」です。「神の福音をもって、
  祭司の務めを果たす
」をテーマに行われました。私たちの教団の創立者バーネット
  師が遺してくださった宣教の情熱、主への献身、聖化の歩みを学び、恵みに溢れた
  幸いな集会でした。
    

     (証しは一部抜粋です)
  私は、18歳の時初めて教会に行くようになり、20歳の時、洗礼を受けました。クリス
  チャンになって、56年になります。私は、洗礼を与えられた時に頂いた『朝の祈り・
  夜の祈り』の本を毎日読んでおりますが、その中に、「私の人生を、あなたに仕え
  まつる奉仕に捧げます」という祈りがあります。信仰を与えられたばかりの頃は、この
  祈りも全身全霊をもって喜びに溢れて祈れましたが、今は自らの不信仰さに苦しさを覚えます。
                                  
   今まで長い間、生きるために忙しく、
キリスト・イエスさまにおすがりして、守っていただくばかりの一方的に甘え
  た生活で、信者としては幼いまま、身勝手に生きてきてしまいました。
  主人と2人で穏やかに、1日を過ごすことのできる時を与えられた今、成長には欠かせない、静まって聖書から
  みことばをいただき、じっと愛を注ぎ続けて下さった
キリスト・イエスさまにお答えすることのできる信仰者に成長
  させて頂けますよう、行動を変えていきたい、と願っています。・・・・・・
  今こそ方向をきちんと定めて、残された日、命ある間は、聖霊を注いでいただき、信徒として成長できますよう、
  学び・祈っていきたいと思っております。

        『
幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。』 詩篇 119:2

        『
まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。』  詩篇 119:24

             



 2017.3.26 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ゼカリヤ書 12章 その日、何が起こるのか

  ゼカリヤ書の後半 9章から14章には、『その日』『主の日』という言葉がたくさん
  記され、未来に起こる出来事が啓示されています。その中心は、
救い主(メシヤ)
  の来臨(到来)です。多くのメシヤ預言が記されていて、これらのあるものはキリス
  トの初臨(誕生)で成就し、他は再臨で成就します。
   
  『
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを
   賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
』 (9:9)

  この預言は、ゼカリヤの時代からおよそ500年後に成就しました。人としておいで
  になった
主イエス・キリストは、ろばの子に乗り、王としてエルサレムに入城されま
  した。
          
  11章には、メシヤを拒絶した群れに対するさばきが記されています。
  イスカリオテのユダが、主イエスを裏切って、銀30シェケルで売り渡した行動について預言されています。

  『
主は私に仰せられた。「彼らによってわたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に投げ与えよ。」そこで、
   私は銀30枚を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。
』(11:13)
                  

  14章には、終わりの日の出来事が記されています。
  『
その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。・・・・・』(14:4)

  主イエスは、私たちを罪から救うため、十字架にかかって死なれましたが、3日目によみがえられました。そして・・・
  『
その日』に再臨し、みことばは完全に成就するのです。

   『
この天地は滅び去ります。しかし、わたし(イエス・キリスト)のことばは決して滅びることがありません。
                                                  マタイの福音書 24:35

               



 2017.3.19 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ゼカリヤ書 5章 二つの幻とその意味

  旧約聖書 ゼカリヤ書は、預言者ゼカリヤに啓示された預言が記されています。
  前半(1~8章)は、当時のエルサレムとユダの人々に対して関わりがあり、後半
  (9~14章)は、未来に関する出来事について記されています。
     

  バビロンに捕囚されていたユダヤ人たちは、ペルシャの王クロスから帰還許可と
  神殿再建の命令を受け、帰国します。そして、神殿建設に着手しますが、反対・
  妨害により、18年間工事は中断してしまいました。信仰による故国再建という希望
  は忘れられ、神殿再建と神への礼拝よりも、自分の家を第一にする利己的な生活
  に陥っていました。このような民を励まし、神のみこころを語り、神殿工事を再開さ
  せたのが預言者
ハガイゼカリヤです。

   
それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに
   帰る。そこにわたしの宮が建て直される。
・・・・・』 (1:16)
          

  ゼカリヤ書は、前半部分に8つの幻について記しています。きょうの聖書箇所5章には、第6と第7の幻が語られて
  います。それらは、『
全地にある彼らの罪(5:6)』を表し、民が自分の罪を自覚し、悔い改めを促すものだったの
  です。『
エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した』(1:14)神さまは、いつも、人々が悔い改めて、ご自身
  のもとに立ち帰ることを願っておられるのです。

 
        『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。 (4:6)

             
  




 2017.3.12 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヤコブの手紙 4章 みこころならば、という生き方

  ヤコブの手紙の著者は、イエスさまの兄弟のヤコブです。この書は、口先だけでは
  なく、信仰の実である正しい行いをするように求めています。

  『
また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者
  であってはいけません。
』 (1:22)

  うわべだけのクリスチャンにならないようにと、教えられます。その毅然とした語りか
  けから、時に襟を正していただく必要もあるのではないでしょうか。
      

  きょうの聖書箇所 4章では、欲望に満ちた世俗的な生活や悪口を戒めています。
  自己中心の欲望から、争いや敵対が生じます。また、人に悪口を言うことは、神の
  律法をさばく、という罪を犯しているのです。神はいつも私たちに、へりくだることと、
  神を愛し隣人を愛することを求めておられます。

            『
神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』(4:6)
                 
  私たちが生きているのは、神さまが生かしてくださっているからです。この命を与えてくださった神さまのお考えに
  そって、生きて行くことが大切です。私たちがへりくだる時に、神さまは、みこころにかなう生き方へと導いてくださ
  るのです。

  『
むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、
   あのことをしよう。」
 』 (4:15)

              
          




 2017.3.5 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 33章 祝福のことば

  きょうの聖書箇所 申命記33章は、イスラエル人に対するモーセの祝福のこと
  です。『
神の人モーセが、その死を前にして・・・・』(1節)とあるように、モーセ
  の遺言でもありました。
  先ず、イスラエル全体への祝福が語られます。(2~5節)約束の地を目指し、荒野
  を旅する民に、常に神の臨在と祝福がありました。神は、民を愛し守られたのです

  『
まことに国々の民を愛する方、あなたの御手のうちに、すべての聖徒たちが
   いる。彼らはあなたの足もとに集められ、あなたの御告げを受ける。
』(3節)
       

  次に、イスラエル諸部族への祝福のことばが語られます。(6~25節)祝福のかた
  ちは違っていても、皆それぞれ祝福されているのです。

         『
昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。・・・』(27節)

  様々な困難な状況の中にも、いつも変わらず、私たちを守り・支えてくださる<
永遠の腕>があることは、幸いなこ
  とです。今も生きておられ、永遠なる神が、私たちを慰め・励ましてくださいます。
                 
  本章において、神が恵みと真実に富んでおられることが、再確認されます。神の民とされていることは、本当に幸い
  であり、感謝なことです。

           『
しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。
            主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。
・・・・』 (29節)

                    




 2017.2.26 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 28:58~68 主の御声に聞き従おう

  申命記28章には、祝福とのろいの宣告が記されています。神の御声・命令を守り、
  聞き従う者には祝福が約束され、不従順には、のろいが宣告されます。
  1~14節で、主の命令を守る者への祝福が、まず語られます。
  
  『
もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに
   命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々
   の上にあなたを高くあげられよう。
』 (1節)
  そして、具体的な祝福がその後に語られています。
       
  15節以下は、主の命令に従わない者への、のろいの宣告です。

  『
もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主の
   すべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに
   臨み、あなたはのろわれる。
』 (15節)
  そして、具体的なのろいがその後に続きます。祝福のことばよりも、のろいのことばの方が4倍も長いのです。主の
  道をまっすぐに歩めず、道を踏みはずしやすい私たちに語られた警告のことばとして、厳粛に受け止める必要があ
  るのでしょう。
  これから、新しい地に入って行こうとしているイスラエルの民が、幸せに生活するために、主の御声に聞き従うこと
  は何よりも大切なことです。
              
  主イエスさまの弟子たちも、色々な不安や心配ごとがありました。そんな彼らにイエスさまは言われました。

 『
小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。
   
                                                          ルカ 12:32

  主イエスさまは、私たちのためにのろわれたものとなり、私たちのすべての罪を負って、十字架にかかってくだ
  さったのです。罪を悔い改め、信じる者には、赦しと救いが与えられるのです。

     『
キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してください
      ました。
』 ガラテヤ 3:13

           
              



 2017.2.19 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 24章 証し宣教

  本日の礼拝は、舘野牧師が不在のため、証し宣教でした。2人の方の証しを抜粋
  して掲載します。
       
  2005年10月23日、羽生キリスト教会の礼拝に初めて出席してから、今年で12年に
  なります。兄弟姉妹の深い愛に支えられて現在に至っております。
  教会生活は、とても喜びのある日々の生活です。神さまと繋がれて、励ましと恵み
  が与えられている幸いを、日々覚えて感謝しています。
  私は毎年、軽度の病気をいただいています。けれども、私が一番大切に思っている
  家族がいつも守られていることを感謝しています。私自身は、体調不良で心が折れ
  てしまいそうな時でも、聖書のみことばは、私を励まし、支えてくださっています。
  神さまのご計画の中で、生かされている毎日毎日が感謝です。

  『
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたの
   ことを心配してくださるからです。
』   Ⅰペテロ 5:7

  今まで価値があると思ってきたものさえ、永遠のいのちに比べれば、取るに足りないものと感じられるのです。聖書
  (みことば)こそが本物の生きる糧だと、神さまは私に教えてくださいました。神さまからの預かり物を忠実に用いて
  また、いつも神さまから与えていただいている心の平安を大切にして、幸いな教会生活をこれからも続いて歩んで
  いきたいと思っています。

  『
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて
   益としてくださることを、私たちは知っています。
』    ローマ8:28
                
  私は、社会人になって間もないころ、老婦人牧師の勧めにより教会に行きました。聖書の勧めや説教があり、和や
  かな雰囲気で、日本家屋の畳敷きの部屋での集会でした。しかしその後、私は教会からしばらく遠ざかり、牧師も
  数人替わりましたが、暫くして再び教会の集会に行きました。
  野田牧師が着任した頃、路傍伝道や戸別訪問を精力的に行い、青年会の有志が集い、各種教会の奉仕活動に
  参加しました。当時、特別伝道集会は1年に1回行われました。牧師先生が聖書から分かりやすい話をされた後、
  私たちに、「今まで神から離れた生活をしていたのを見直して、十字架を信じ聖書を信じ、過去の様々な罪に対し
  て心を入れ替え、罪を悔い改め、信仰生活に入るように」と勧めがありました。そして、入信の決断をされた方が
  沢山おられました。

  『
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
                                                      Ⅰコリント 1:18

  また、聖書には「神があなたを愛しておられること、あなたが罪によって神から隔てられていること、イエス・キリスト
  が十字架上において、あなたのために死なれたこと、あなたがイエス・キリストを救い主として、自分を個人的に
  明け渡すとき、イエス・キリストはあなたを徹底的に変えることが出来る」と教えています。
  私は、数多くの聖書のみことばと牧師の勧めによって導かれ、悔い改めをし、十字架の贖い・救いを信じ、信仰を
  決心しました。
  また、聖書には、
  『
神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、
   教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって
   満たす方の満ちておられるところです。
』 エペソ 1:22,23  とあります。
  神さまの不思議な導きと聖書の深い真理の恵みを感じます。

          
               




 2017.2.12 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 17章 権威と秩序

  申命記は、イスラエルの指導者であったモーセの最後の説教です。神の大切な教え
  である<
十戒>を改めて確認しつつ、民が主を愛し、従い、主だけを礼拝すること。
  そして、隣人(となりびと)を愛することを語っています。

  『
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』(6:5)
      

  新しい地に入っていく前に、神に喜ばれる歩みをするために、どう生きていくか、教えら
  れ、整えられていく必要がありました。約束の地カナンを前にして、モーセの説教は
  続きます。
  きょうの聖書箇所 17章においては、<
権威>について語られています。何よりも
  神ご自身の権威が確認されました。全世界を創造され、私たちをも創造された神は、
  権威あるお方です。私たちは、生ける神とみことば(聖書)の権威に喜んで従うことが
  大切です。

         『
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。』(マタイ6:33)
               
  また、悪をさばく権威、王の権威についても語られています。祭司やさばきつかさが悪をさばきましたが、そのさば
  きは慎重に行われ、最終判決には徹底的に従うことが求められました。こうして、町に、人々に秩序が保たれるの
  です。王については、その権威とともに、制限についても語られました。王も高ぶることなく、神の権威・みこころに
  従うことが求められています。神は権威あるお方であるとともに、<
秩序>の神でもあられます。

         『
それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。・・・・・
          ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。
』 Ⅰコリント14:33,40

                 



 2017.2.5 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
Ⅱテモテ 4:1~8 パウロの終活

  「終活」とは、最初の頃は、終焉に向けて行う活動を意味していました。しかし、最近
  では、自分自身の棚卸しをして、今後をより豊かに生きるための活動をする、ととらえ
  る方が多いようです。
         
  きょうの聖書箇所
 テモテへの手紙 第二は、パウロが獄中から書いた手紙です。
  自分の死ぬ時が近いのを予期していたパウロは、牧会者テモテに、励ましと注意を
  語っています。また、個人的な用件を依頼しています。
  パウロは獄中において、若く気の弱いテモテを気遣い、遺言となる手紙を書き記しま
  した。『
終わりの日』『困難な時代』(3:1)にも宣教の務めをしっかり果たすようにと
  の勧めです。

  『
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
   寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
』(4:2)
                   

  パウロは自らの人生を振り返りながら、これから受け取る『義の栄冠』(4:8)を思い描いています。そして、この
  『
義の栄冠』は、イエス・キリストを救い主として信じ、従う私たちにも用意されているのです。

           『
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。』(4:7)

              
   



 2017.1.29 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 111篇 神のみわざにハレルヤ

  きょうの聖書箇所 詩篇111篇は、神ご自身と、神が成してくださったみわざを賛美
  しています。「
ハレルヤ」とは、「主をほめたたえよ」という意味です。

          『
ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。』 (1節)

  主のみわざは偉大であり、力があり、尊厳と威光に満ちています。具体的には、
  「創造・救済」「ゆずりの地への賦与」「贖いと契約」について語られています。神は
  天地を創造され、私たちをも造られました。また、
イエス・キリストによる救いの道も
  備えてくださったのです。私たちは、<
信仰によって>救われるのです。
          
  また、神ご自身についても、賛美されるべきご本質とご性質とが記されています。
  とこしえに変わることがなく、義であり、聖であり、あわれみ深く、契約を守られる神です。

  ハレルヤ


            『
御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。』 (7節)

  主を愛し、恐れ、み教えを守り行う日々でありますように。
            『
主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。
             主の誉れは永遠に堅く立つ。
』  (10節)
       
                 



 2017.1.22 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 5:22~33 主の道をまっすぐに歩もう

  申命記には、モーセの3つの説教が収められています。4章までの最初の説教では
  神さまが、これまでの40年の荒野の生活を守ってくださったことを回想しています。
  きょうの聖書箇所 
5章からは、最も長い二番目の説教です。それはシナイ山(ホレ
  ブ)でモーセに与えられた「
十戒」を思い起こさせることから始まります。

  1.
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(7節)
  2.
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。(8節)
  3.
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。(11節)
  4.
安息日を守って、これを聖なる日とせよ。(12節)
  5.
あなたの父と母を敬え。(16節)
  6.
殺してはならない。(17節)
  7.
姦淫してはならない。(18節)
  8.
盗んではならない。(19節)
  9.
あなたの隣人に対し、偽証してはならない。(20節)
  10.
あなたの隣人の妻を欲しがってはならない。(21節)

  40年の旅を終えて、新しい世代が約束の地に入って行く前に、今生きているひとりひとりと、神は契約を結ばれまし
  た。これから新しい地に入って行く民に、もう一度「
十戒」が語られたのです。
                
  それに続いて、その時の状況や民の反応が記されています。イスラエルの民は、畏敬の念に満たされて、神に
  従うことをモーセに約束します。それは神が喜ばれることでした。民がいつまでも神を恐れ、神のすべての命令を
  守り、しあわせに生きることを願われたのです。

  『
あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行いなさい。右にも左にもそれてはならない。
   あなたがたの神、主が命じられたすべての道を歩まなければならない。あなたがたが生き、しあわせになり
   あなたがたが所有する地で、長く生きるためである。
』 (32,33)

          
                




 2017.1.15 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 1:19~46 約束の地に入るその前に

  きょうの聖書箇所申命記は、イスラエルの指導者であったモーセの最後の説教です。
  エジプトで奴隷だったイスラエルの民は、神の力強い御手に守られ、導かれて約束の
  地カナンの手前までやってきました。出エジプト後の40年にわたる放浪の旅は、イス
  ラエルの民の不信仰・不平・不満・つぶやき・失敗の多い旅でした。しかし、愛なる神
  は、いつも民と共にいて導いてくださったのです。

  『
事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この
   広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。あなたの神、主は、この40年の間
   あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けたものはなかった。
』 (2:7)
      

  前の世代は、不信仰とその罪ゆえに約束の地に入ることは、許されませんでした。
  しかし、信仰によって主に従い通したヨシュアとカレブだけが、新しい地に入ることが
  できたのです。現在の世代が、約束の地に入る前に、神の民としてみこころに従って生きていくために、モーセは
  神の
お約束(契約)・恵み・御真実を改めて教えています。

  『・・・・
おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、
   主が、エジプトにおいて、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったそのとおりに、あな
   たがたのために戦われるのだ。
』 (1:29,30)
                  
  神は、私たちに関わるすべてのことをご存知です。私たちの祈りに応え、解決と慰めを与えてくださるお方です。
  いつも
信仰によって、歩むことができますように。

  『
それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。
                                                      ヘブル人への手紙 3:19

            
      



 2017.1.8 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
Ⅰテモテ 3章 神の家の中で

  テモテへの手紙 第一の著者は、使徒パウロです。エペソの教会を牧会
  するテモテは、年若く経験も浅かったので、手紙を通して励まし、様々な
  注意や勧告を与えています。テモテの父はギリシャ人でしたが、祖母と母
  はユダヤ人で、熱心な信者でした。テモテは教会の監督(現代の牧師)で
  あり、様々な問題に直面していました。

  『
年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。
   かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者
   の模範になりなさい。
』 (4:12)
    

  きょうの聖書箇所 3章では、教会の監督と執事(現代の役員)について、さらに教会について、語っています。
  監督は、群れ(教会)を導く責任を持つ者であり、執事は、監督を補佐し共に教会形成に責任を持つ者です。
  光栄ある務めではありますが、責任も重く、求められる資質も多いのです。神の助けと支え、導きがなければ、
  誰一人なし得ない務めです。
                
  教会は
真理、すなわちキリストを信じて歩む者たちの家であり、この世に主を証しするための柱であり、土台です。

     『・・・
神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。』 (3:15)

  神を礼拝し、真理がまっすぐに語られている教会が、地域の方々に良き証しと伝道ができますように。

        『
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。』 (2:4)

              


Copyright (c) Hanyu Christ Church