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2025年度のみことば

わたしの家は、あらゆる民の
祈りの家と呼ばれる。

(イザヤ書 56章7節)

 2025.9.14 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 4:15~17 ピリピ教会の祝福の源泉

  きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙 4章15~17節です。

  パウロの伝道を支援してきたピリピ教会は、決して豊かな教会ではありませんで
  した。むしろ、試練や貧しさがありました。それにもかかわらず、パウロの働き
  を覚え、支援し続けたのです。


  『
ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、
   私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた
   教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。
』(4:15)

  ピリピの聖徒たちは、貧しさの中にも感謝と喜びをもって、教会形成に関わって
  いったのです。神のなさることは、いつもタイムリーです。ふさわしい時に必要
  備え、満たしてくださるのです。
  
  『
テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を
   送ってくれました。
』(4:16)

        
  ピリピ教会からの贈り物は、パウロの必要を満たすとともに、神ご自身が喜んでくださる行為でした。
  ピリピの聖徒たちは物質的な物を送りましたが、豊かな霊的祝福を受けたのです。「霊的な口座」に
  加えられたのです。

  
私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に
   加えられていく実なのです。
(4:17)
                                        

          与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。』ルカ6:38
  
  今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。

  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  
主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。


        
           
          




 2025.9.7 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 4:10~14 あらゆる境遇に対処する秘訣

  きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙 4章10~14節です。

  「喜びなさい」と繰り返し語ってきたパウロは、ここでも「主にあって大いに喜んで
  います」(10節)と伝えています。それはピリピの聖徒たちに、パウロを案じて
  くれる心がよみがえったからです。
以前のように自分のことを心配してくれている
  とを、主にあって喜んでいるのです。

  『
乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足する
   ことを学びました。
』(4:11)

  パウロは、物質的には乏しいことがありましたが、どんな境遇にも満足することが
  できました。それは、主によって強くされたからです。
  
  『
私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。』(4:13)

        
  主のしもべとなったパウロは、様々な体験をしてきました。経済的には貧しさ・豊かさ、どちらも経験して
  きました。ピリピの聖徒たちの物質的な援助とともに、「苦難を分け合ってくれた」ことを喜んでいます。


  
私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、
   富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
(4:12)
                                        

  今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  
主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。


        
           
            




 2025.8.31 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
出エジプト記 3:1~12 神様はあなたを遣わしている

  本日は講壇交換礼拝でした。教団の聖書学院 学院長で、また埼玉県 倉松キリスト
  教会で牧会・ご奉仕されている先生がお話ししてくださいました。
  聖書箇所は出エジプト記 3章前半です。


  モーセは神様の不思議なご計画の中で誕生し、エジプトの王女に育てられましたが、
  
ある事件をきっかけに王子の立場を失い、荒野に逃げのびて羊飼いとなりました。
  波乱万丈な人生でした。生まれてからの40年はエジプトの王子として、最高の
  教育を受けることができたでしょう。次の40年は、羊飼いとして様々な訓練の時
  なりました。

  人生の中で、どうしてこんな所を通らされるのか、と思うこともあるでしょう。
  しかし神様は、この次の何かに、私たちを導こうとされているのです。

  『
・・・神は柴の茂みの中から彼に「モーセ、モーセ」と呼びかけられた。彼は「はい、ここにおります。」
   と答えた。
』(3:4)

  モーセに語りかけてくださった神様は、私たちにも語りかけてくださっています。それは、あるときは誰か
  他の人を通してであったり、また神のことばである聖書を通して語ってくださるのです。私たちもモーセの
  ように「
はい、ここにおります。」と応答したいものです。
        
  波乱万丈な人生の中で、神様は、どのような時もモーセと共におられ励まし、ご自身の栄光を表す目的を
  もってモーセを遣わされました。同じように、神様は私たちと共におられ励まし、それぞれの場に遣わさ
  ています。

  
神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。
   このわたしがあなたを遣わすのだ。・・・
(3:12)
                                        

  酷暑が続いていますが、今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  
主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。


        
            



 2025.8.24 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 4:8~9 心に留めるべきこと

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙 4章8節、9節です。
  パウロは、これまでもピリピの聖徒たちに具体的な勧めをなしてきました。
  ここでは「心に留めるべきこと」を列挙しています。


  『
最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しい
   こと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、
   何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を
   留めなさい。
』(4:8)

  パウロは、すべての良いことを求めるように、心に留めるようにと勧めています。
        
  そして、教えられたことを行うようにと語っています。パウロから教えられた大切な事柄を心に留め、
  さらに行うこと・実践することを勧めているのです。

  
あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。
   そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
(4:9)
                                        

  平和の神が与えてくださる「神の平安」の中に、いつも生活できますように。
  酷暑が続いていますが、今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  
主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。


        
                



 2025.8.17 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 4:4~7 喜び・感謝・平安

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙4章4節から7節です。
  パウロは、この手紙を獄中で書きました。しかしこの手紙は、ピリピの聖徒たちへの
  感謝にあふれ、主にある喜びが強調されています。どのような状況にあっても、主に
  あって喜びなさいと勧めています。


  『
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。』(4:4)
        
  思い煩うときに、喜びはないでしょう。思い煩いを神さまにゆだねて、感謝の心を
  もって祈るときに、神さまは平安を与えてくださるのです。
     
  
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
   あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
   そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスに
   あって守ってくれます。
(4:6,7)
                                        

  「神の平安」の中に、いつも生活できますように。
  酷暑が続いていますが、今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  
主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。


        
             



 2025.8.10 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 4:1~3 痛みと処方箋

  今日の礼拝は、宣教の前に、日本基督教団 姫路福音教会の会員であるご夫妻が
  証しをしてくださいました。お二人とも配偶者を病気で失い、その後、神さまの導き
  の中で再婚されました。ご主人は、「切り絵」や小さなビーズを並べて絵画にする
  アート「ダイヤモンド・ペインティング」に取り組まれ、初の個展を5月に開催し
  ました。今回、羽生教会で作品の展示もしてくださり、多くの方々が鑑賞されました。

  また、ご主人は前立腺がんとの闘病生活を経て、今はお元気になられました。
  証しは、同じように病と戦う人たちへの励ましとなっています。

  神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのため
   には、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
』 
                               ローマ 8:28

             
  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙4章1節から3節です。
  パウロはピリピの聖徒たちに、愛をもって語りかけています。彼らを自分の喜び、冠だと言っています。


  『
ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。このように主にあって堅く立ってください。
   愛する者たち。・・・あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。
』(4:1、2)

  パウロは、2人の姉妹の名前をあげて、『主にあって同じ思い』となるように勧めています。そして、他の方
  にも『彼女たちを助けてあげてください』とお願いしています。
  教会内の具体的な問題について助言し、繰り返し『
主にあって』と語られています。主イエスを信じる者は
  どんなときにも、主のみこころに従って、主に喜ばれる歩みをなしていくのです。
     
      
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。 マタイ5:8
                                        

  
  今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  
主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。


        
                   



 2025.8.3 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 3:12~16 目標を目指して

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙3章12節から16節です。
  パウロは「律法」に精通し、「福音」の理解も実体験も豊富でしたが、今でも『追求
  している』と語っています。神は人知を超えて偉大なお方であり、福音は豊かなもの
  なのです。


  『
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
   ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、
   キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
』(3:12)

  パウロは、信仰が完全にされたのではないと述べつつ、
キリストが自分を捕らえて
  くださったと言っています。
     
  『
・・・ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
   キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を
   目指して走っているのです。
(3:13,14)

  過去に生きず、将来を見据えて、今を最善に生きることは大切です。キリストを信じる者はみな、
  神によって召され、キリストが捕らえてくださったのです。「目標を目指して」、前進できますように。
  また、与えられた賜物を忠実に用いることができますようにと、お祈りいたします。

  
  
主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、
   多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。
 マタイ25:21
                                        

  
  酷暑が続いていますが、今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  
主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。


        
                 



 2025.7.27 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 3:4~11 価値観の転換

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙3章4節から11節です。
  パウロはローマの市民権を持っていました。また、人間的には頼りになると思われる
  ユダヤ人としての履歴を語っています。血統と経歴において、誇り高く、きっすいの
  ヘブル人だったのです。


  『
私は生まれて8日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、
   ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、・・・・
』(3:5)
     
  しかし、
イエス・キリストと出会ったパウロは『自分にとって得であったこのような
  すべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになった
』(3:7)のです。
  キリストと共に歩む人生に変えられ、価値観や物の見方が変えられました。

  『
それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを
   損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えて
   います。・・・・
(3:8)

  パウロは、律法を行うことによって得られる義ではなく、キリストを信じる信仰によって神に義と認められる
  『信仰による義』を得たのです。

  
  
キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、
   キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。

                                        (3:9)

  
  主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。

  

        
               



 2025.7.13 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 2:25~30 教会を建て上げるために②

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章25節から30節です。パウロはテモテに
  続いて、エパフロディトについて書き記しています。テモテは教会形成・牧会的奉仕
  の役目を負って、ピリピ教会に遣わされるということです。
  一方、エパフロディトはピリピ教会の一員であり、ピリピ教会に送り返すとパウロは
  語っています。エパフロディトは、パウロの窮乏を補うために、ピリピ教会から遣わ
  れたのでした。


  『
私は、私の兄弟、同労者、戦友であり、あなたがたの使者で、私の必要に
   仕えてくれたエパフロディトを、あなたがたのところに送り返す必要がある
   と考えました。
』(2:25)
     
  エパフロディトは、パウロと共に福音に携わり、パウロに仕えてきました。しかし、思いもよらない重篤な
  病気にかかってしまったのです。『
キリストの働きのために、死ぬばかりになりました。』(2:30)
  彼の癒しのために皆が祈ったことでしょう。やがて彼は快復し、ピリピ教会に戻れるようになったのです。

  『
本当に彼は死ぬほどの病気にかかりました。しかし、神は彼をあわれんでくださいました。
   彼だけでなく私もあわれんでくださり、悲しみに悲しみが重ならないようにしてくださいました。

                                      (2:27)

  パウロと共に教会を建て上げるために、テモテとエパフロディトは心から主イエスに仕えてきたのです。
  
            
民よ どんなときにも神に信頼せよ。
             あなたがたの心を 神の御前に注ぎ出せ。
             神はわれらの避け所である。
詩篇 62:8

  
  主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。

  

        
           



 2025.7.6 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 2:19~24 教会を建て上げるために①

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章19節から24節です。パウロはテモテを
  遣わす計画を述べています。ピリピ教会の様子を知って、励ましを受けたいと願って
  いたのです。


  『
私は早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んで
   います。あなたがたのことを知って、励ましを受けるためです。
』(2:19)

  テモテはパウロの愛弟子であり、自分自身のことよりもイエス・キリストのことを
  求めており、福音のためにパウロと共に奉仕してきたのです。
  
  『
テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配して
   いる者は、だれもいません。
』2:20)
         
  テモテは屈強な働き人ではありませんでした。弱さも抱えていたのです。しかし、信頼に足る人物であり
  パウロは『テモテが適任』であると語っています。

  
テモテが適任であることは、あなたがたが知っています。子が父に仕えるように、テモテは私と
   ともに福音のために奉仕してきました。
(2:22)

  ピリピ教会がさらに健全な教会に成長するために、テモテは派遣されます。パウロもテモテもピリピ教会も、
  共に主のために労する喜びを共有していくのです。


  神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。
                                     (Ⅰテモテ 2:5)

         
  
  主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。

  

        
              



 2025.6.29 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 21:17~25 他者との比較から解放される

  本日は講壇交換礼拝で、埼玉県熊谷市で牧会・ご奉仕されている先生がお話し
  してくださいました。聖書箇所はヨハネの福音書21章最後のところです。
  復活の主イエスとペテロの問答が記されています。

  
イエス・キリス
の十字架を前にして、『弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げ
  しまった。
』(マタイ26:56)のです。弟子のリーダー格であるペテロは、
  『
牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。』(ルカ22:33)と言い
  ながら、イエスを知らないと3度も否認してしまいました。
      
  そのような弟子たちに復活の主は、ご自分を現わされたのです。弟子たちは
  ガリラヤ湖で大漁の経験をし、食事をともにしました。彼らが食事を済ませたとき、
  イエスはペテロに言われました。

  
「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」
   ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」
   イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
(ヨハネ21:15)

  主イエスは3度も質問をし、ペテロは3度応答したのです。
          
  ガリラヤ湖畔を歩き出されたイエスに、ペテロが後からついて歩きました。すると、その後をもう一人
  ついて来ている弟子がいました。ヨハネです。ペテロとヨハネは、最年長と最若年でしたが、ペテロは
  ヨハネのことが気になったようです。でも主イエスは言われました。


            ・・・あなたは、わたしに従いなさい。』(ヨハネ 21:22)
         
  ヨハネはヨハネ。ペテロはペテロ。他の弟子と比べること無く、あなたはあなたとして、『わたしについて
  きなさい』と。
  
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。

  

        
             



 2025.6.22 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 2:12~18 世の光として輝くために

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章12節から18節です。パウロはピリピ
  の聖徒たちに、『
曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子ども
  なり
(2:15)と語り、そのような世界で、『世の光として輝く』ことを勧め
  います。

  
・・・愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともに
   いるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて
   自分の救いを達成するよう努めなさい。
(2:12)

  人は、主イエスを信じる信仰によって救われます。救いのわざは、聖霊なる神
  お働きです。私たちは福音にふさわしく生きていくために、努めること・努力する
  ことも大切であると、パウロは語っています。そのためには、『従順』になること、
  『恐れおののく』ことを教えています。恐れおののくとは、神の前にへりくだり、謙遜に歩むことです。
          
  『
・・・あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中
   にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝く
   ためです。・・・
』(2:15~16)

  『
いのちのことば』とは、信じる者に永遠のいのちを与える神の福音です。
神のみことばをしっかり握り、
  世の光として輝くことが勧められています。

  イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩む
   ことがなく、いのちの光を持ちます。
』ヨハネ 8:12

         
  主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。

  

        
               



 2025.6.15 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 2:5~11 キリストの謙遜と従順

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章5節から11節です。パウロがピリピの
  聖徒たちに勧めた生き方には模範がありました。
主イエス・キリストの生き方です。
  『
キリスト・イエスのうちにあるこの思いを・・・抱きなさい。(2:5)と語り、
  イエスの謙遜と従順について、詳しく記しています。

  
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられない
   とは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じように
   なられました。
(2:6,7)

  キリストは、まことの神であり、まことの人です。私たちを罪から救うために、
  神のあり方を捨て、十字架の死にまで従ってくださったのです。

  『
人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
   それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
』(2:7~9)

         
  主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。

  
  わたし(イエス・キリスト)は心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを
   負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
』マタイ11:29

  

                 イエス・キリストは主です』(2:11)

        
             




 2025.6.8 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
使徒の働き 2:40~47 教会の誕生
  
  きょうは、聖霊が注がれ、教会が誕生したことを記念するペンテコステ礼拝です。
  ペンテコステとはギリシャ語で五旬節・50日目の意味です。聖霊降臨日とも呼ば
  れています。
五旬節は、過越の祭りから50日目に祝われるユダヤ人の祭りです。

  イエス・キリスト
の復活と昇天の後、約束の聖霊が与えられました。聖霊は、いつも
  私たちと共にいて、助け・守り・導いてくださるお方です。

  
  きょうの聖書箇所は使徒の働き2章です。使徒を代表して、ペテロが声を張り上げ
  人々に語りかけました。ヨエル書を引用し、聖霊降臨はヨエルの預言の成就で
  あると語ったのです。
  

  神は言われる。終わりの日に、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。
   あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
(2:17)

         
  この日、ペテロのことばを受け入れた人々はバプテスマを受けました。3000人ほどが仲間に加えら
  れたのです。

  彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。』(2:42)

  人々は、神のことばに従い、良き交わりを持ち、祈りを共にしていたことが分かります。

  旧約時代には、特別な人に、特別な時に注がれた聖霊。しかし、ペンテコステ以降には、すべての神の民
  に聖霊が注がれるようになりました。主イエスの十字架のみわざ、恵みのゆえです。
  ただ信仰によって、すべての人が聖霊を受けることができます。聖霊に満たされ、神の御声に聞き従う
  歩みでありますように。

           しかし、主の御名を呼び求める者は みな救われる。』(2:21)

        
            




 2025.5.25 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 1:27~30 キリストのための苦しみ
  
  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙 1章27~30節です。ここでパウロは、
  『
キリストの福音にふさわしく生活しなさ
』と勧めています。これは、みことばを
  実践することです。生き方そのものが証しとなり、福音の素晴らしさが周囲に届け
  られるのです。そのためには、聖書から「神のことば」をしっかり聞くことが不可欠
  です。またパウロは、ピリピ教会の人たちに願っていました。

  ・・・あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つに
   してともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされること
   はない、と。・・・
(1:27,28)

         
  パウロは、キリストのために苦しむことも、恵みとして受けるようにと語っています。
  パウロ自身、福音のゆえに迫害を受け、獄中につながれていたのです。


  あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために
   苦しむことでもあるのです。
』(1:30)

             
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。



              



 2025.5.18 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 3:17~21 天に国籍を持つ者たち
  
  本日は召天者記念礼拝でした。天国に召された方々を偲び、私たちは地上で
  いかに生きていくかを考える時です。みことばを深く味わい、今生きている私
  たちが、神の恵みと励ましをいただいて『走るべき道のりを走り終え、信仰を
  守り通す
』(Ⅱテモテ4:7)ことができますようにお祈りいたします。

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙3章17~21節です。パウロは『私に倣う
  者となってください』と語っています。パウロ自身、イエス・キリストに倣い、主の
  みこころに従って生きていました。
  しかし『多くの人がキリストの十字架の敵』として歩んでいたのです。
彼らは自分
  欲望を追及し、邪悪な生活をしていました。パウロはその現実に心痛めていたのです。

  ・・・私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人が
   キリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
(3:18)

         
  パウロは、イエス・キリストを信じる者たちに与えられた特権を明確に伝えています。

  しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、
   私たちは待ち望んでいます。
』(3:20)

  キリスト者は、『
・・・私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださる
  (3:21)という希望を持って、
主の再臨を待ち望むのです。

             
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。



      



 2025.5.11 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 1:19~26 パウロの死生観
  
  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙1章19~26節です。パウロの喜びは「福音
  の前進」でした。ともに福音にあずかること、ともに宣教にあずかることを、パウロ
  何よりも喜びとしています。
イエス・キリストの十字架とよみがえりによる救い
  
恵みを感謝し、キリストがあがめられることを望んでいたのです。

  『
私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、
   生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられること
   です。
』(1:20)

  また、パウロにとって「死」とは、また「生」とは何かを語っています。福音宣教に
  人生のすべてをささげていたパウロは死ぬことも覚悟していました。


  『
私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。(1:21)
             
  『
世を去ってキリストとともにいる』ことを願いつつ、しかし『この肉体にとどまること』がピリピの教会の
  信徒たちのために必要であると、パウロは語っています。
  
  このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、
   あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。
』(1:25)


  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。


   『私(パウロ)は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。』Ⅱテモテ4:7


          



 2025.5.4 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 1:12~18 福音の前進
  
  きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙1章12~18節です。ピリピ教会にあてて
  届けられたこの手紙は「喜びの手紙」とも言われています。きょうの箇所にも喜び
  が伝えられています。パウロは、信仰のゆえに投獄されてしまいますが、それは
  『福音の前進』に役立ったと語っています。

  『
兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信が与えられ、
   恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。
』(1:14)

  またパウロは、見張りのローマ兵の親衛隊に福音を語ることができました。パウロの
  投獄により、ローマの親衛隊やほかの人々にも福音が伝えられたのです。
          
  パウロは、福音宣教の動機についても語っています。

  『
人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。
                                     (1:15)
  ある人々は、愛をもってキリストを伝えていますが、ほかの人々の中には、純粋な動機からではなく党派心
  から伝道する者もいたのです。パウロに対するねたみや対抗心をもって、キリストを宣べ伝える者たちも
  いました。
  しかしパウロは動機が何であれ、福音が前進することを喜びとしていました。キリストが宣べ伝えられて
  いることを喜んだのです。

   『・・・あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。
                                     (1:14)


  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。



         



 2025.4.27 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 1:8~11 愛の成長
  
  きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙1章8~11節です。パウロはピリピ教会の
  聖徒たちを心から愛していたのです。

  『
私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを
   慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。
』(1:8)

  次にパウロの祈りが記されています。ピリピ教会の人々の愛が豊かになるように、
  
そして重要なことを見分けることができるようにと願っています。

  『
私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって
   いよいよ豊かになり、あなたがたが、大切なことを見分けることができます
   ように。
』(1:9,10)
          
  パウロは、一日一日を大切に生きましたが、同時に「
キリストの日」に備えるようにと勧めています。
  それは、主の再臨・さばきの日です。非難されるところがないように、神の栄光を現わすことができる
  ようにと願っているのです。

  『
こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、
   イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。

                                     (1:10,11)

  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて
  生活できますようにお祈りいたします。


               
    


 2025.4.20 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 20:11~18 主イエスの復活
  
          イースターおめでとうございます。
  
  
イエス・キリストは、十字架刑と葬りの後、3日目によみがえられました
  主の復活は歴史的事実です。私たちは、その事を心から信じ、今、生きて共に
  いてくださる主の御名をほめたたえます。

  神の御子イエス・キリストは、何の罪も犯されませんでしたが、十字架という
  最もむごい刑で死なれました。逮捕から不当な裁判、そして十字架への道でも、
  十字架上でも、暴力・ののしり・あざけりを受けました。それは私たちの罪の
  ためです。私たちの罪を贖うための苦しみと死だったのです。

  『
主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められ
   るために、よみがえられました。
』ローマ4:25
             
  きょうの聖書箇所 
ヨハネの福音書20章には、主イエスの復活の出来事が記されています。
  イエスの死は確認され、墓に納められました。墓は大きな石によって封印され、番兵によって、しっかりと
  墓の番がなされました。
  日曜日の早朝、女性たちは、ご遺体に油を塗りに行こうと思い墓に行きました。すると石が墓からわきに
  転がされていて、主イエスのからだは見当たらなかったのです。マグダラのマリアは泣きながら墓の中を
  のぞき込むと、2人の御使いがいました。
  さらに復活の主が、マリアに現れてくださったのです。イエスは彼女に、弟子たちに主のことばを伝える
  という使命を告げられました。

  『
マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを
   話されたと伝えた。
』ヨハネ20:18
               
  十字架にかかって死なれたイエスは、約束通り、日曜日の朝(3日目)によみがえられたのです。
  そして、その御姿を弟子たちに現してくださいました。主イエスは、父なる神のご計画に従い、十字架へと
  進まれました。十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。
  イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できますように。
  


        『
イエスは・・・言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。
         わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
 』ヨハネ11:25
 

        

   


 2025.4.13 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 1:3~7 あふれる感謝と喜び

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙1章最初のところで、パウロはピリピの教会
  の人々に感謝の気持ちを表しています。

          
  私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。』(1:3)

         

  ピリピ教会は、ヨーロッパにおける最初の教会です。パウロはピリピ教会と親しい
  交わりを持ちました。両者の関係の素晴らしさが記されています。

  あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わって
   きたことを感謝しています。
』(1:5)

  ピリピ教会は、パウロを支援しつつ、自分たちも置かされている場所で宣教に励んで
  きました。パウロはそれを、ことさら喜んでいるのです。

          

  『あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成
   させてくださると、私は確信しています。
』(1:6)
 
  『良い働きを始められた方』とは、主ご自身です。神は、救いのみわざ・宣教の働きを始められた方です。
  『キリスト・イエスの日』とは、主イエスが再臨される日です。
  さらにパウロは苦難の中にあっても、福音を宣べ伝えることを恵みとして感謝しています。ピリピの教会は
  パウロが牢獄にいるときも、大胆に福音を証ししているときも、共に福音宣教の恵みにあずかったのです。
 

  
・・・あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに
   恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。
(1:7)

  きょうから受難週が始まります。十字架のみ苦しみを深く覚えるときです。
十字架が自分の罪のためで
  あることを知り、
悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。
  
主イエスの恵みと祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。



        


 2025.4.6 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ピリピ 1:1~2 ピリピ教会の聖徒たちへ

  きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙の最初のところです。著者はパウロです。
  彼はこの手紙を獄中で書きました。しかしこの手紙には、
主にある喜びが強調
  されています。
投獄されても、パウロは主にある希望を持ち、ピリピの人々に
  対して感謝の気持ちを表しています。
          
  兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信が与えられ、
   恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。
』(1:14)

         

  また、パウロは教会の課題についても、教えと警告を与えています。
          

  
ピリピの宣教については、使徒の働き16章に記されています。川岸の祈り場
  から始まりました。そこに来ていた紫布の商人リディアとその家族が、パウロの宣教によって
  最初の信者となったのです。
  
  『リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。
   主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。
』(16:14)
 
  さらに投獄されたパウロにより、看守と家族が救われたのです。パウロとシラスは何度もむちで打たれ、
  足には木の足かせをはめられましたが、『
祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた』のです。
  
              
  
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。』 
                                   ピリピ 1:2


  新約の時代に生きる私たちには、
イエス・キリストにあって素晴らしい希望が与えられています。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。主イエスの恵みが豊かに
  ありますようにお祈りいたします。


          


 2025.3.30 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ルカの福音書 15:11~32 待っておられる神

  きょうの礼拝は、福音伝道教団の聖会中(群馬県伊香保)で牧師が不在のため、
  教会役員の証し・宣教でした。
  聖書箇所はルカの福音書15章後半です。「放蕩息子のたとえ」と呼ばれている
  ところです。二人の息子が登場します。


  弟息子は、父親に財産の生前贈与を願いました。『それで、父は財産を二人に
  分けてやった。』のです。弟息子は、遠い国に旅立ち、財産を湯水のように使い
  果たしてしまいました。そして飢饉が起こり、ユダヤ人にとって汚れている豚の
  世話をすることになりました。しかし、彼は我に返ったのです。
          
  立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん、私は天に対して罪を
   犯し、あなたの前に罪ある者です。・・・
』(15:18)

         

  父親は、彼がまだ遠くにいる時に見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って抱きしめたのです。
  このたとえの放蕩息子は、取税人・罪人たちのことです。父なる神は、すべての人が立ち返って
  神のもとにくることを待っておられるのです。
          

  
もう一人は兄息子です。畑から帰って家に近づくと、弟のためにパーティーが開かれ、ごちそうが
  用意されていました。兄は怒って、家に入ろうとしませんでした。弟をさばき、父と共に喜ぶことが
  できなかったのです。それで、父は出て来て彼をなだめました。
  
  『父は彼に言った。「子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえの
   ものだ。・・・・
』(15:31)
 
  兄息子はパリサイ人、律法学者たちのことです。
  すべての人は神の前に「失われた人」なのです。
主イエスが人となって世に来られたのは、
  「失われた人」を見つけて、
永遠のいのちを得させるためです。


  
主に帰れ。そうすれば主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださる
   から。
』 イザヤ55:7


  新約の時代に生きる私たちには、
イエス・キリストにあって素晴らしい希望が与えられています。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。主イエスの恵みが豊かに
  ありますようにお祈りいたします。


          


 2025.3.23 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
エレミヤ 45章 バルクとエレミヤ

  きょうの聖書箇所はエレミヤ書45章です。バルクはエレミヤの従者であり、書記
  や代言者として働きました。エレミヤの預言を口述筆記した人物です。

          
  ・・・バルクはエレミヤの口述にしたがって、彼に語られた主のことばを、
   ことごとく巻物に書き記した。
』(36:4)

         

  バルクの人生には苦難があり、迫害も受けましたが、主は彼を守られました。
  忠実な働き人として用いられたのです。
          

  
そのバルクに、神は、預言者エレミヤを通して語られました。
  
  『あなたは言った。ああ、私はわざわいだ。主は私の痛みに悲しみを加えられた。
   私は嘆きで疲れ果て、憩いを見出せない、と。
』(45:3)
 
  バルクの嘆きの言葉です。しかし神は、嘆いた彼を受け止めてくださったのです。
              
  嘆くバルクに、神はエレミヤを通して語ってくださいました。
  ・・・しかしわたしは、あなたが行くどこででも、あなたのいのちを戦勝品としてあなたに与える。
                                      (45:5)

  イスラエルの神、主は、バルクがどこにいても
必ず守ってくださるという約束を与えてくださいました。
  神は、私たちの嘆きを聞いてくださり、愛をもって語ってくださるお方です。いつも主に信頼して歩んで
  いけますように。


  
失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。
                                      ガラテヤ 6:9


  新約の時代に生きる私たちには、
イエス・キリストにあって素晴らしい希望が与えられています。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。主イエスの恵みが豊かに
  ありますようにお祈りいたします。


          


 2025.3.16 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
エレミヤ 39:1~12 エルサレムの陥落

  きょうの聖書箇所はエレミヤ書39章です。エレミヤを通して何度も預言されてきた
  バビロンによる占領はついに現実となりました。神の臨在を示す神殿も、エルサレム
  の町も火で焼かれ、城壁は取り壊されました。エルサレムの陥落です。

          
  ゼデキヤの第11年、第4の月の9日に、都は破られ、バビロンの王のすべて
   の首長たちが入って来て、中央の門のところに座を占めた。
』(39:2,3)

         

  この時、ユダの王ゼデキヤとすべての戦士は夜の間に逃げました。しかし、エリコ
  の草原でバビロンの軍勢に追いつかれてしまい、ネブカドネツァル王のもとに連行
  されたのです。ゼデキヤ王の息子たちやユダのおもだった人たちは虐殺されました。
  さらに、王自身は目をつぶされ、青銅の足かせにつながれてバビロンに連れて行かれたのです。
  エレミヤが、何度も繰り返し語ってきた神のことばが成就したのでした。
          

  
そのような中、エレミヤはバビロンの王の保護を受けたのです。親衛隊の長を通して、次のような
  命令がありました。
  『彼を連れ出し、目をかけてやれ。何も悪いことをするな。ただ彼があなたに語るとおりに、
   彼を扱え。
』(39:12)
 
  エレミヤは監視の庭から連れ出されたのです。
  人を遣わして、エレミヤを監視の庭から連れ出し、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤに
   渡して、家に連れて行かせた。こうして彼は民の間に住んだ。
』(39:14)

                
  また主は、クシュ人エベデ・メレクについて『
わたしは必ずあなたを助け出す。・・・あなたがわたしに
  信頼したからだ。
』(39:18)とエレミヤに語られました。

  神を信頼し従ったエレミヤとエベデ・メレクは守られたのです。


  
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」
                                      ローマ10:11


  新約の時代に生きる私たちには、
イエス・キリストにあって素晴らしい希望が与えられています。
  主イエスの恵みが豊かにありますようにお祈りいたします。


          


 2025.3.9 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
エレミヤ 29:10~14 主にある将来と希望

  きょうの聖書箇所はエレミヤ書29章です。圧倒的な軍事力を誇るバビロン帝国に
  より南ユダ王国は大打撃を受け、王をはじめ長老・祭司たち・預言者たち、そして
  多くの民がバビロンへ引いて行かれました。(バビロン捕囚)
  エレミヤは、すべての捕囚の民に向けて手紙を書き送ったのです。

          
  預言者エレミヤは、・・・・・・および民全体に、エルサレムから次のような
   手紙を送った。
』(29:1)

         

  それは、捕囚の地でどう生きるか、ということでした。『家を建てて住み、果樹園を
  造って、その実を食べよ。妻を迎えて、息子、娘を生み・・・』(29:5,6)
  神のときが満ちるまで、バビロンで落ち着いた生活をするようにということでした。
  また、その町の平安を祈るように万軍の主が言われた、と書き送ったのです。
  
  『
わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために祈れ。
   その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。
』(29:7)
          

  
イスラエルの神、万軍の主は、偽りの預言者にごまかされてはいけないと警告されたあと、捕囚の民に
  対する計画を明らかにしてくださいました。70年が満ちるころ、いつくしみの約束を果たして、捕囚
  から解放するということでした。それは、平安・将来・希望に満ちたものたっだのです。

  『わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。――主のことば――。
   それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるため
   のものだ。
』(29:11)
 
  
新約の時代に生きる私たちには、
イエス・キリストにあって、すばらしい希望が与えられています。
  罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。主イエスの恵みが豊かに
  ありますようにお祈りいたします。
  
  
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たち与えられた聖霊によって、
   神の愛が私たちの心に注がれているからです。
』 ローマ5:5



      


 2025.3.2 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
エレミヤ 14:19~22 エレミヤの祈り

  きょうの聖書箇所はエレミヤ書14章の最後のところです。預言者エレミヤの
  とりなしの祈りです。これまでに数度、エレミヤは同胞イスラエルのために祈る
  ことを禁じられました。偽りの預言者や罪に罪を重ねる民に対して、神のさばき
  のことばが語られます。エレミヤは、神とイスラエルの民との間に立って祈った
  のです。

          
  まことに私たちの背信は大きく、私たちはあなたの御前で罪の中にいます。
   イスラエルの望みである方、苦難の時の救い主よ。・・・
』(14:7,8)

         

  エレミヤは民のために祈ることを禁じられましたが、それでも、とりなしの祈りを
  ささげました。
  『
私たちとあなたの契約を覚えていて、それを破らないでください。』(14:21)と
  祈ったのです。
             
           
  
エレミヤは、天地創造の唯一なる神を信頼し、待ち望んでいました。        

  『国々の空しい神々の中に、大雨を降らせる者がいるでしょうか。それとも、天が夕立を
   降らせるのでしょうか。
   私たちの神、主よ。それは、あなたではありませんか。
   私たちはあなたを待ち望みます。あなたが、これらすべてをなさるからです。
』(14:22)
 
  
新約の時代に生きる私たちには、仲介者イエス・キリストがおられます。神と私たちの間に立って、
  とりなしてくださっているのです。イエスさまにある救いと恵みを心から感謝いたします。
  
  
神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。
                                      Ⅰテモテ 2:5

  

  主イエス
の恵みと祝福が豊かにありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  毎日、神さまの豊かな恵みと助けがありますようにお祈りいたします。


        


 2025.2.23 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
エレミヤ 2:1~9 悔い改めへの招き

  きょうの聖書箇所はエレミヤ書2章です。かつてイスラエルの民は、シナイ山で
  主と契約を結び、主に忠実に従うと決断したのです。神は、そのことを『覚えて
  いる』と語っています。

          
  主はこう言われる。
   わたしは、あなたの若いころの真実の愛、婚約時代の愛、種も蒔かれて
   いなかった地、荒野での わたしへの従順を覚えている。
』(2:2)

         

  しかしイスラエルの民は、最初の愛から離れ、「二つの悪を行った」と言われて
  います。神の豊かな愛と恵みを忘れ、偶像崇拝の罪をおかしたのです。
 

  ・・・律法を扱う者たちも、わたしを知らず、牧者たちもわたしに背き、
   預言者たちはバアルによって預言し、役立たずのものに従って行った。
(2:8)                  
           
  
そんな民に、主は語っておられます。            

  『ヤコブの家よ、イスラエルの家の全部族よ、主のことばを聞け。』(2:4)
 
このことばのとおり、悔い改めて主の御前に出て、神のことばを聞くことが大切なことです。
  
  
時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』マルコ1:15
  

  主イエス
の恵みと祝福が豊かにありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  毎日、神さまの豊かな恵みと助けがありますようにお祈りいたします。


             


 2025.2.16 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
エレミヤ 1:1~10 エレミヤの召命と派遣

  きょうの聖書箇所はエレミヤ書1章です。エレミヤは祭司ヒルキヤの子として
  アナトテの町に生まれ、およそ20歳くらいのときに預言者としての召命を
  受けました。
しかしこの時代は、南ユダ王国の崩壊・バビロン捕囚という、
  暗く悲惨な時代だったのです。
          
  次のような主のことばが私にあった。「わたしは、あなたを胎内に形造る
   前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々
   への預言者と定めていた。
』(1:4,5)

         

  主はエレミヤに語りかけてくださいました。創造者なる神が、彼を造り、預言者
  として選んでくださったのです。しかし
エレミヤは、主のことばを受け止めることが
  できませんでした。自分の若さや未熟さから恐れを覚えたのでしょう。
         
  私は言った。
   「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。
(1:6)                        
  若さを理由に、神のことばに従おうとしないエレミヤに対して、主は語ってくださいました。
              

  『まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じる
   すべてのことを語れ。
   彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。
』(1:7、8)
                                  
  どのような状況であっても、主がともにいて守ってくださり、救い出してくださるという約束を与えて
  くださったのです。
私たちも、日々神がともにいて、守り導いてくださることを感謝いたします。
  

  主イエス
の恵みと祝福が豊かにありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  毎日、神さまの豊かな恵みと助けがありますようにお祈りいたします。


          


 2025.2.9 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
イザヤ53:1~12 苦難のしもべ

  きょうの聖書箇所はイザヤ書53章です。「主のしもべの歌」と呼ばれています。
  
イエス・キリストは、ご自分が約束された救い主であることを、みことばとみわざ
  によって証しされました。主イエスの誕生の約700年も前に、救い主(メシア)
  の預言が語られたのです。

          
  まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。
   それなのに、私たちは思った。
   神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
』(53:4)

         

  救い主が、私たちに代わって苦しみを受けてくださることが語られています。
  しかし人々は、救い主が受ける苦しみの意味を正しく理解できないのです。

         
  しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。
   彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
   私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。
   しかし、主は私たちすべての者の咎を 彼に負わせた。
』(53:5,6)
  
  新約聖書を知る私たちは、主イエスの「苦難のしもべ」としての歩み、十字架の贖いを知っています。
  イエスは、私たちの罪を代わりに背負い、多くの苦難を受け、十字架の死に向かわれたのです。
  罪ある者であるにもかかわらず、イエス・キリストの十字架の贖いにより、あわれみを受け、救いを
  いただくことができるのです。
              
  主イエスは十字架上で、7つのことばを語られました。ご自分を憎み、十字架につけた人々に対しても
  赦しの祈りをささげてくださいました。イエスの愛と十字架の恵みを心から感謝いたします。

  『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。
                                  ルカの福音書 23:34

  

  主イエス
の恵みと祝福が豊かにありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  毎日、神さまの豊かな守りと助けがありますようにお祈りいたします。


            


 2025.2.2 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
イザヤ43:1~7 わたしの目にはあなたは高価で尊い

  きょうの聖書箇所はイザヤ書43章です。預言者イザヤはイスラエルの民に
  神のメッセージを語りましたが、人々の心には届かず、彼らは神に背を向けて
  歩んでいました。しかし神は、愛されるにふさわしい者でなかった民に対して、
  愛と慰めのことばを語ってくださったのです。

          
  恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。・・・・
   あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。
   川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、
   あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
』(43:1,2)

         

  聖書の中には『恐れるな』ということばは繰り返し語られています。どこにいても
  神の豊かな守りがあります。厳しい現実の中にあっても、神の大きな愛の中で生かされているなら、
  恐れることはないのです。

         
  わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』(43:4)
  
  イスラエルは神の民であり「高価で尊い」存在なのです。そしてこの神のことばは、かつてのイスラエル
  の民だけでなく、私たちにも語られているメッセージです。

  わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。
                               (43:7)

  私たち一人ひとりは、神が創造した者たちなのです。それは『神の栄光のため』の存在です。
  罪ある者であるにもかかわらず、イエス・キリストの十字架の贖いにより、あわれみを受け、救いを
  いただくことができるのです。
              
  実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られた
   のです。・・・
』エペソ2:10

  

  主イエス
の恵みと祝福が豊かにありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  毎日、神さまの豊かな守りと助けがありますようにお祈りいたします。


             


 2025.1.26 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
イザヤ40:1~11 神のことばは永遠に立つ

  きょうの聖書箇所はイザヤ書40章です。39章までは、罪に対する神のさばきの
  宣告が語られていますが、本章からはその内容が変わり、やがて来るバビロン
  への捕囚、さらに新約時代や後の時代をも見据えた、神の救いについての預言
  が語られています。

          
  慰めよ、慰めよ、わたしの民を。
         ―――あなたの神は仰せられる―――
』(40:1)

         

  40章は、神の慰めのことばから始まっています。
  『
・・・そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている・・・
                             (40:2)
  神のさばきである苦役からの解放、さらに主の豊かな祝福が語られています。
          
  荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐ
   にせよ。
』(40:3)

  困難な状況の中で、慰めのメッセージを伝える者が示されています。イザヤの時代から700年以上
  の時を経て、人々に悔い改めのメッセージを語ったバプテスマのヨハネについての預言です。
  彼は、救い主イエスの先駆者として、人々が救い主を信じるための道備えをしました。
              
  すべての人、そしてその栄は、やがて草木のように枯れ果てていくでしょう。しかし、神のことばは
  永遠に変わることがなく、一人ひとりを生かし、導いてくださるのです。

   草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。』(40:8)
  

  主イエス
の恵みと祝福が豊かにありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  毎日、神さまの豊かな守りと助けがありますようにお祈りいたします。


         


 2025.1.19 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
イザヤ25:1~5 主よ。あなたは私の神

  きょうの聖書箇所はイザヤ書25章です。ユダとエルサレムから始まった神の
  さばきの宣告は、諸外国に、そして全世界に向けられました。国の盛衰興亡は
  すべて神の御手(みて)の中にあるのです。全世界を造られた神は、歴史を支配
  し導いておられるお方です。
  しかし厳しいさばきのあとには、回復があり希望があるのです。本章は、主に
  対する賛美で始まっています。

          
  主よ、あなたは私の神。私はあなたをあがめ、御名をほめたたえます。
   あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、真実を成し遂げ
   られました。
』(25:1)

         

  自分の力に頼り、神に背を向ける者には神のさばきがあります。しかし、弱っている者や貧しい者に
  とっては砦となって、神は守ってくださるのです。
  どのような状況にあっても、神の真実とあわれみはそこにあります。

  『
あなたは弱っている者の砦、貧しい者の、苦しみのときの砦、嵐のときの避け所、
   暑さを避ける陰となられました。・・・・
』(25:4)
              
  イザヤ書には、この世の終わりの日のことや「メシア預言」も記されています。イエスさまをキリスト
  (メシア・救い主)と信じ告白する時に、神の救いはその人のものとなります。
  
  見よ。この方こそ、待ち望んでいた私たちの神。私たちを救ってくださる。
   この方こそ、私たちが待ち望んでいた主。その御救いを楽しみ喜ぼう。
』(25:9)

  
  
主イエスの恵みと祝福が豊かにありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  毎日、神さまの豊かな守りと助けがありますようにお祈りいたします。


           


 2025.1.12 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
イザヤ 6:1~13 イザヤの召命

  きょうの聖書箇所はイザヤ書6章です。イザヤが預言者として召命を受けた時
  のことが記されていています。1節に『
ウジヤ王が死んだ年に』とあります。
  この時代のユダ王国は霊的に危機的な状況にありました。
  5章では、『
わざわいだ』ということばが繰り返されています。
          
  彼らが万軍の主のおしえをないがしろにし、イスラエルの聖なる方のことば
   を侮ったからだ。
』(5:24)

  主のみこえに聞き従うことをせず、罪に罪を重ね、自らの身にさばきを招いて
  いたのです。

         

  イザヤは『
高く上げられた御座に着いおられる主を見た。その裾は神殿に満ち、セラフィムが
  その上の方に立っていた。
』のを見たのです。セラフィムは御使いの一人と思われます。彼らは
  『
聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。・・・・』(6:3)と主を賛美しました。

  その賛美を聞いて、イザヤは自分の唇の汚れ・罪を自覚したのです。しかし、主はイザヤの咎を
  取り去ってくださり、罪を赦してくださいました。

  『
・・・・なたがたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。』(6:7)
              
  イザヤは、神の声に自らの意思をもって応えました。
   『ここに私がおります。私を遣わしてください。』(6:8)

  与えられた使命は厳しいもので、預言者としての働きは困難なものでした。語っても人々は心を
  かたくなにするばかりだったのです。しかしイザヤは生涯、与えられた使命を忠実に全うしたのです。

  遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。
  「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と書いてあるようにです。
』ローマ10:15

  
  
主イエスの恵みと祝福が豊かにありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  毎日、神さまの豊かな恵みと祝福がありますようにお祈りいたします。


             


 2025.1.5 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
イザヤ 2:1~5 終わりの日に

  あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
  
  きょうの聖書箇所はイザヤ書です。1章1節に
  『
アモツの子イザヤの幻。これは彼がユダとエルサレムについて、ユダ
   の王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に見たものである。

  と記されています。イザヤは50年以上にわたる長き間、預言者として活動
  したのです。
          
  1章には、ユダとエルサレムの罪が指摘されています。彼らは主を捨て、
  イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。
』(1:4)とあります。
  しかし、罪に罪を重ねる背信の民に、
悔い改めへの招き語られています。主は
  ご自分の民を見捨てることなく、悔い改めて主に立ち返ることを待っておられるのです。


      『
たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。
       たとえ、紅(くれない)のように赤くても、羊の毛のようになる。
』(2:18)
                 

  2章は『
終わりの日』について記されています。ここでも、『ヤコブの家よ、さあ、私たちも主の
  光のうちを歩もう。
』(2:5)と語られ、悔い改めて主とともに歩むことが勧められています。

    『
あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして
     歩みなさい。
』エペソ5:8

  主イエスの恵みと祝福が豊にありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  日々、神さまの豊かな恵みと祝福がありますようにお祈りいたします。


            



 2024.12.29 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ルカ 2:25~35 賛美と預言

  きょうは今年最後の礼拝式でした。プログラムの中の「証し・賛美」の時間は
  通常より長い時間をとり、4人の方が証し(信仰の体験談)をしてくださいま
  した。今年一年間の神さまの豊かな恵みを感謝いたします。

      
  福音書著者のルカは、ベツレヘムの家畜小屋での救い主誕生の出来事の
  あと、エルサレムの宮で起こったことを記しています。モーセの律法に従い、
  きよめの期間が満ちたとき、ヨセフとマリアは幼子を主に献げるために宮に
  行ったのです。
  
  『
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが
   慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。
』(2:25)

  老人シメオンは、約束の救い主を熱心に待ち望んでいました。そして、救い主にお会いするまで、
  決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていたのです。
                
  シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、ヨセフとマリアが幼子イエスを連れて入って来ました。
  シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえ、賛美と感謝をささげました。
  『主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
   私の目があなたの御救いを見たからです。・・・・
』(2:29)

  シメオンはさらに、幼子のこれからたどる道を預言します。母マリアが味わう苦しみについても語りました。
  この十字架の受難によって、救いの道は開かれたのです。
                

  今年一年、ありがとうございました。新しい年も、神さまの豊かな恵みと祝福がありますように
  お祈りいたします。

            『
わがたましいよ 主をほめたたえよ。
             主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
』詩篇103:2

       
           



 2024.12.22 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ルカ 2:8~20 賛美と礼拝

     クリスマスおめでとうございます。
  クリスマスはキリスト(救い主)のご降誕をお祝いするもので、きょうは
  世界中でクリスマス礼拝が行われています。
私たちの罪を赦し、永遠の
  いのち
を与えるために『神が人となってくださった』のです。信仰によって
  この恵みと祝福をいただくことができますように。

      
  ベツレヘムの野では羊が放牧されていました。羊は、いけにえとして神殿で
  献げられるものでした。羊飼いの仕事は重労働であり、律法を重んじるユダヤ社会にあって社会的地位は
  低く、さまざまな差別を受けていました。皆が眠りにつく夜、
  『
羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた』(2:8)のです。

  しかし、そんな彼らに最高の喜ばしい知らせが最初に届けられました。主の栄光が周囲を照らし、
  御使いのことばを聞いたのです。それこそが『
大きな喜びの知らせ』です。神は、低い者・小さい者・
  弱い者を顧みてくださるのです。

    『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。
      この方こそ主キリストです。
』(2:11)
                

  羊飼いたちは、御使いのことばを信じて出かけ、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てました。
  この世で最初に、救い主の誕生をお祝いしたのです。
  クリスマスの恵みと祝福が豊かにありますように。主イエスを信じ・受け入れ、救いと恵みをご自分の
  ものとすることができますように、お祈りいたします。

              『
いと高き所で、栄光が神にあるように。
               地の上で、平和が
               みこころにかなう人々にあるように。
』(2:14)

   
今週25日(水)午後7時30分から、クリスマスのゆうべがもたれます。ぜひお出かけください。
       
            



 2024.12.15 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ルカ 2:1~7 イエスの誕生

  今週はアドベント第3週目です。イエス・キリストのご降誕と再臨を覚え
  る時です。イエスさまは、私たちの罪を負って十字架にかかって死なれまし
  たが、3日目によみがえられました。アドベントは
救い主イエス・キリスト
  
のお誕生を祝うクリスマスを、感謝と喜びをもって待ち望む時です。
  聖書は生ける神のみことばであり、39巻からなる「旧約聖書」と27巻
  を有する「新約聖書」の両方をもって「聖書」となります。

       
  今日の聖書箇所は、新約聖書 ルカの福音書です。
  ルカは救い主の誕生を、歴史的背景とともに語っています。
  『
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。これは、
   キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。
 (2:1,2)
                                           
  登録は先祖の町で行われました。ユダヤ人もその命令に従わなければならず、マリアとヨセフは
  ベツレヘムに行ったのです。身重のマリアにとって大変な長旅だったことでしょう。
  『
ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤの
   ベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
』(2:4)
              
  これは、
旧約聖書 ミカ書において預言されていたことが成就するためでした。
  
ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたから
   わたしのために イスラエルを治める者が出る。
』(ミカ5:2)
              
  
しかし宿屋はどこもいっぱいで、マリアは家畜小屋で出産したのです。みどりごのベッドは飼葉桶で
  した。主イエスは、すべての人の罪を赦すために、この世に生まれてくださったのです。

  
  
 しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神のこども
    となる特権をお与えになった。
』ヨハネ1:12
              
  主イエスの恵みと祝福が豊にありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように、お祈りいたします。

        
   
 ★来週22日()午前9時から子どもクリスマス礼拝、午前10半からクリスマス礼拝、
     
午後2時からクリスマス祝会がもたれます。ぜひお出かけください。
       
           



 2024.12.8 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ルカ 1:46~55 マリアの賛歌

  今週はアドベント待降節)第2週目です。イエス・キリストのご降誕と再臨
  を覚える時です。イエス・キリストのお誕生は、毎年世界中でお祝いされます。
  私たちは死んだ人の誕生祝いはしません。主イエスは、今も生きて働かれて
  いるのです。私たちの罪を負って十字架にかかって死なれましたが、3日目に
  よみがえられました。アドベントは、
救い主イエス・キリストのお誕生を祝う
  クリスマスを、感謝と喜びをもって待ち望む時です。

       
  今日の聖書箇所は、ルカの福音書です。ユダヤ人ではないルカが、キリスト
  の誕生の出来事を最も詳細に記しています。ルカは冒頭で、
  『私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、・・・・順序立てて書いて差し上げるのが
   良いと思います。
』(1:3)と語っています。

  キリストの母に選ばれたのは、ヨセフのいいなずけマリアでした。マリアは聖霊によって身ごもった
  のです。
  『
御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に望み、いと高き方の力があなたをおおいます。
   それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。』(1:35)

              
  きょうの聖書箇所は、「マリアの賛歌」です。驚きと感謝、賛美と喜びに溢れています。

  『マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえ
   ます。
』(46,47節)
                      
  主イエスだけが、天国への道・救いへの道なのです。イエスは人となって、この地上においでくださり、
  神ご自身を人々に示してくださったのです。主イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。

  主イエスの恵みと祝福が豊にありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように、お祈りいたします。

        
   
 ★来週15日()午後2時から、子どもクリスマス会がもたれます。ゲームや聖書のお話し、
      プレゼントもある楽しいひとときです。ぜひお出かけください。
       
        



 2024.11.24 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
伝道者の書 12章 神を恐れるということ

  本日の聖書箇所は、伝道者の書12章、最終章です。1節は伝道者が心から
  勧めていることばです。
  『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ない
   うちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
』(1節)

  伝道者は、あなたの創造者を覚える、すなわち
神さまを信じ
ことを勧めて
  います。それは、老年時代を迎える前の「若い日」に、と語っています。
  3節からは、老人を象徴的に描いています。歯や視力は弱まり、髪は白く
  なっていきます。足腰も衰えていくでしょう。そして、すべての人はやがて
  死を迎えるのです。

  『
土のちりは元あったように地に帰り、霊はこれを与えた神に帰る。』(7節)
       
  『知恵のある者たちのことばは・・・・これらは一人の牧者によって与えられた。』(11節)
  とあります。牧者とは、神ご自身です。神さまが知恵を与えてくださったのです。
  最後に本書の結論が語られています。


  『結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。
   これが人間にとってすべてである。
   神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれる
   からである。
』(13,14節)
                      
  神さまを信じ、愛して従うことができますように。
  主イエスの恵みと祝福が豊にありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように、お祈りいたします。

         
       
      



 2024.11.17 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
伝道者の書 11:1~4 信仰の体験談(証し)

  本日の礼拝は、舘野牧師は大泉キリスト教会(群馬県)のご奉仕のため不在
  でした。礼拝の宣教は、2人の方の信仰の体験談(証し)でした。
       
  イエスさまを信じてから66年間の信仰生活です。今は88歳ですが、米寿の
  お祝いに、神さまは素晴らしいプレゼントをくださいました。それは物質的では
  ない、言葉のプレゼントです。お風呂や温泉が好きで、よく出かけますが、ある
  とき、お隣の方が、「いい顔してらっしゃるね。」と言ってくださったのです。
  娘は、「クリスチャンですから。」と答えました。
  他の温泉でも、またスーパーでお昼を食べていたときにも、同じように言われ
  たのです。3度も褒めていただいて嬉しかったです。神さまは、あわれみに
  満ちておられるお方です。
  66年の間には、経済的なことや病気で辛いこともありましたが、神さまは、いつもすべてを最善に
  なしてくださいました。

      『苦難の日に わたしを呼び求めよ。
       わたしはあなたを助け出し あなたはわたしをあがめる。
』詩篇50:15
                      
      『
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
       あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。
       わたしは運ぶ。背負って救い出す。
』イザヤ46:4
             
  私には、3人の母がいます。産んでくれた母は、すぐに亡くなってしまいました。そして材木問屋さんに
  あずけられましたが、二人目の母は、東京大空襲の中、ミルクを取りに行ったまま戻ってこなかった
  のです。私は三人目の母の愛に守られ、成長しました。
  神さまが、自分を守ってくださったと思います。そして自分に与えられた使命があると感じました。
  16歳の時に教会に導かれ、信仰をもちました。そして22歳の時に洗礼を受けました。
  その後、東京での生活がありましたが、今また、羽生キリスト教会で信仰生活を守っています。
  神さまの豊かな恵みと導きを感謝しています。

      『
あなたのパンを水の上に投げよ。
       ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。
』伝道者の書11:1
              
  主イエスの恵みと祝福が豊にありますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように、お祈りいたします。

         
       
          



 2024.11.10 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
伝道者の書 3:11~15 すべての営みに時がある

  今日の聖書箇所は、伝道者の書3章です。本章では「時」について語られて
  います。人生におけるすべての出来事は、神によって時が定められている、
  と伝道者は語っています。

  『すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに
   ある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。・・・
』(3:1、2)
                      
  人が生まれたり、死んだりすることや、人生の様々な営みは神のご支配の
  中にあり、神の導きと摂理によるのです。
        
  『
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を
   与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極める
   ことができない。
』(3:11)

  神は最善の「時」に、最善の「事」をなしてくださるのです。そのことを信仰によって受け止め、日々
  神と共に歩むことは幸いです。

  『
私は、神がなさることはすべて、永遠に変わらないことを知った。それに何かをつけ加える
   ことも、それから何かを取り去ることもできない。人が神の御前で恐れるようになるため、
   神はそのようにされたのだ。
』(3:14)
              
  本日は、施設に入所されている2人の方の洗礼式が執り行われました。羽生キリスト教会の教会堂
  で行われ、恵みと祝福のときであったことを感謝いたします。
  

  主イエスのことば(聖書)に聞き・従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように、お祈りいたします。

         
       
          



 2024.11.3 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
伝道者の書 1章 人生の探求者

  今日の聖書箇所は、伝道者の書 1章です。自己紹介から始まります。

  『エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば。』(1:1)
                      
  作者はまず、人間が住む世界において、すべてが空(くう)であると語ります。
  『
空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下でどんなに
   労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。
』(1:2,3)

  この地上の歩みだけがすべてであるなら、何の益にもならず空虚だと思う
  こともあるかもしれません。しかし、天地創造の神を信じ、永遠のいのちを
  信じる者にとっては、「空」ではない人生が約束されているのです。

  『
実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか。』(2:25)
           
  1章で作者は、自然界は単調な繰り返しであり、新しいものは一つもないと語っています。
  『
昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。
   日の下には新しいものは一つもない。
』(1:9)

  また、作者は、『
多くの知恵と知識を得た』(1:16)けれども、
  『
実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識が増す者には苛立ちも増す。』(1:18)と
  語っています。
  日々の生活も、知恵や知識を得ることも、
まことの神によって確かな人生へと導かれていくのです。

  作者は、『
・・・神の御手によることであると分かった。』(2:24)と告白しています。
               
     私は知った。・・・また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを
      見出すことも、神の賜物であることを。
』(3:12,13)

  
救い主イエス・キリス
を信じて、永遠のいのちをいただき、幸いな人生でありますようにとお祈り
  いたします。
         
        



 2024.10.27 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
使徒の働き 26:12~18 闇から光へ

  今日の礼拝は、太平洋放送協会(PBA)アナウンサーの方の宣教でした。
  ご自身の体験を通して、
主イエス・キリストの恵みと救いについて語ってください
  ました。

  『わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに
   遣わす。それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に
   立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、
   聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。

                      使徒の働き 26:17,18
                      
  これは、主イエスからパウロ(サウロ)に語られたことばです。クリスチャン
  たちを迫害していたパウロがイエスの特別なお取り扱いを受け、『目から鱗のようなものが落ちて』、
  本当の真理を知ることができたのです。
         
  ある日、路傍アンケートから統一教会に入信し、熱心に活動してきました。6年半の活動後、両親の
  必死の救出活動とキリスト教会の協力により、統一教会を脱会することができたのです。
  統一教会が教えるイエスと、聖書で語っているイエスは違う、と分かりました。主イエスは圧倒的な
  勝利者であり、今も生きて働いておられます。

             
   『
・・・わたし(イエス)はすでに世に勝ちました。』ヨハネ16:33
               
  それから、アメリカ人が宣教する大きな集会に参加しました。「まことの神以外を拝んだことがある
  人は祈りましょう」ということで、牧師のあとについて悔い改めの祈りをしました。すると、自分の心が
  開かれ、イエス・キリストが本当の救い主であるとはっきりと分かりました。迷いの霧が晴れたのです。
  まさに、闇の中から光りの中に引き出してくださいました。
  

    『
あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。・・・』エペソ5:8

                   



 2024.10.20 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
箴言 30:1~9 神のことばはすべて純粋

  今日の聖書箇所は、箴言30章の最初のところです。本章は『マサの人ヤケ
  の子アグルのことば』(1節)とあります。ソロモンの箴言ではなく、異邦人
  アグルという人の箴言です。まず、自分自身について語っています。

  『私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も持っていない。』(3節)
                      
  彼は自分の弱さや足りなさを自覚していました。神がなさろうとすることは、
  人間の知恵・知識では計り知れないことを告白しています。
         
  『神のことばは、すべて精錬されている。神は、ご自分に身を避ける者の盾。
   神のことばに付け足しをしてはならない。神があなたを責めて、あなたが偽り者
   とされないために。
』(5,6節)
  
  神と神のことばに信頼し、『盾』となってくださる神により頼み、従うことは幸いなことです。
  神のことばに、人は何も付け加えることも、何かを取り除くことも、決してできません。
             
   『
草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。』イザヤ40:8
        
  今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  アグルのように、神の前にへりくだり、神により頼んで歩んでいけますように。
  主イエスのことば(聖書)に聞き・従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように、お祈りいたします。



           



 2024.10.13 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
箴言 25:1~10 事を隠すのは神の誉れ

  今日の聖書箇所は、箴言25章の最初のところです。本章から29章までは、ユダ
  の王ヒゼキヤのもとにいた人々が書き写したものです。箴言は人間関係における
  大切な真理が語られています。本章では王の前での振る舞いや隣人(となりびと)
  に対するあり方が記されています。

  『事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王たちの誉れ。』(2節)
                          
  神がなさろうとすることは、人間の知恵では計り知れません。神の前にへりくだって
  歩み、神を信じ任せることが大切なのでしょう。どんなことがあっても、神の最善を
  信じて、希望をもって歩んでいきたいと思います。
  神から与えられる知恵によって、事を探ることが王たちの誉れであると言われて
  います。良き王たちも主の前にへりくだり、謙遜にみこころを祈り求めていったのでしょう。
              
  『あなたは隣人と争っても、ほかの人の秘密を漏らしてはならない。』(9節)
  
  人の秘密を漏らしたり、陰口をたたくことは、人間関係をますます悪化させてしまいます。
  『・・・
主があなたに報いてくださる・・・』(22節)というお約束を信じて、どのようなときにも
  思いやりと愛をもって語っていくことができますように、と祈ります。柔らかな答えや穏やかな舌は、
  人を癒やすやさしい言葉です。
             
   『
ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くし
    がたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。
』ローマ11:33
        
  今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  主イエスのことば(聖書)に聞き・従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように、お祈りいたします。



            



 2024.10.6 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
箴言 15:1~9 知恵ある者 愚かな者

  今日の聖書箇所は、箴言15章の最初のところです。箴言は「知恵」について、
  繰り返し語っています。ここでも「知恵のある者」と「愚かな者」が対比されて
  います。

  『知恵のある者の舌は知識をうまく用い、愚かな者の口は愚かさを吐き出す。
                               (2節)

  私たちの口・舌から出る言葉は、人間関係において大変重要です。言葉は
  慰めや励ましを与えることもあり、また時には傷つけ怒りをかうこともあるのです。
      
  『柔らかな答えは憤りをしずめ、激しいことばは怒りをあおる。』(1節)
  穏やかな舌はいのちの木。舌のねじれは霊の破れ。』(4節)
  
  柔らかな答えや穏やかな舌は、人を癒やすやさしい言葉でしょう。いのちの木とは神の恵みの象徴です。
             
  『
悪者のいけにえは主に忌み嫌われ、心の直ぐな人の祈りは主に受け入れられる。』(8節)
        
  「心の直ぐな人の祈り」とは、主イエスの御名によって祈ることです。神の前に謙遜に、心砕かれて
  祈る時、主はその祈りを受け入れてくださるのです。また、「悪者のいけにえ」は、不信仰と偽善に
  よってささげられたものです。それは主に忌み嫌われます。
                
  今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  主イエスのことば(聖書)に聞き・従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように、お祈りいたします。



                



 2024.9.22 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
箴言 3:1~12 心を尽くして主に拠り頼め

  今日の聖書箇所は、箴言3章の前半です。『わが子よ・・・』で始まります。
  創造主である神ご自身が、神の子である私たちに大切な教え・命令を語って
  おられます。

  『恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ。それをあなたの首に結び、
   心の板に書き記せ。神と人の前に 好意を得、聡明であれ。
』(3,4節)

  神さまの素晴らしい恵みとまことを決して忘れないように、いつも心にしっかりと
  留めておくことが大切です。
      
  『心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。』(5節)

  神である主に拠り頼み、すべてを主にお任せして歩んでいくように、と命じられています。
  それは、決して自分の考えが優先することがないように、神さまのみこころを第一に祈り求めていく
  歩みです。
                
  『
あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。』(5,6節)
        
  いつも私たちと共にいてくださる、私たちの創造主であるまことの神。どのような時にも人生を助け導いて
  くださる神を認め、従っていくことが主の祝福を得る道なのです。主によって、まっすぐな道・正しい道を
  進むことができます。
                
  今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  主イエスのことば(聖書)を聞き、従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように、お祈りいたします。



          



 2024.9.15 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
箴言 1:1~10 知恵と訓戒は祝福を得る鍵

  今日の聖書箇所は、箴言1章の初めのところです。箴言は人生の知恵を教える書
  と言えます。神を信じる者が、神のみこころに従ってどのように歩んでいくかを
  教えています。箴言のことばは、
  『浅はかな者を賢くし、若い者に知識と思慮を得させるためのもの。』(4節)
  とあります。被造物である人間のあるべき生き方が示されています。
      
  『主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。』(7節)
        
  『
主を恐れる』ことは、箴言全体の主題となっています。天地万物の、そして
  私たちの創造主であるまことの神。人生を導いてくださる神を知り、恐れることが
  大切であり、主の祝福を得る道なのです。

  『わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、それに応じてはならない。』(10節)

  罪人とは、主を恐れることを拒否し、知恵と訓戒を蔑む人たちのことです。どのようなときにも、
  『主を恐れる』歩みができますように、聖霊の助けと導きをお祈りいたします。
                 
  今の私たち、新約の時代は
イエス・キリストの恵みの中に生かされています。
         
  
このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。』(コロサイ2:3)

  今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。
  どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。
  
主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。


  
          



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