![]() |
皆さまのおいでをお待ちしています。 52025年度のみことば |
![]() |
2025.9.14 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 4:15~17 | ピリピ教会の祝福の源泉 | |
![]() きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙 4章15~17節です。 パウロの伝道を支援してきたピリピ教会は、決して豊かな教会ではありませんで した。むしろ、試練や貧しさがありました。それにもかかわらず、パウロの働き を覚え、支援し続けたのです。 『ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、福音を伝え始めたころ、 私がマケドニアを出たときに、物をやり取りして私の働きに関わってくれた 教会はあなたがただけで、ほかにはありませんでした。』(4:15) ピリピの聖徒たちは、貧しさの中にも感謝と喜びをもって、教会形成に関わって いったのです。神のなさることは、いつもタイムリーです。ふさわしい時に必要を 備え、満たしてくださるのです。 『テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を 送ってくれました。』(4:16) ピリピ教会からの贈り物は、パウロの必要を満たすとともに、神ご自身が喜んでくださる行為でした。 ピリピの聖徒たちは物質的な物を送りましたが、豊かな霊的祝福を受けたのです。「霊的な口座」に 加えられたのです。 『私は贈り物を求めているのではありません。私が求めているのは、あなたがたの霊的な口座に 加えられていく実なのです。』(4:17) 『与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。』ルカ6:38 今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。 どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。 主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。 |
2025.9.7 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 4:10~14 | あらゆる境遇に対処する秘訣 | |
![]() きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙 4章10~14節です。 「喜びなさい」と繰り返し語ってきたパウロは、ここでも「主にあって大いに喜んで います」(10節)と伝えています。それはピリピの聖徒たちに、パウロを案じて くれる心がよみがえったからです。以前のように自分のことを心配してくれている ことを、主にあって喜んでいるのです。 『乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足する ことを学びました。』(4:11) パウロは、物質的には乏しいことがありましたが、どんな境遇にも満足することが できました。それは、主によって強くされたからです。 『私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。』(4:13) 主のしもべとなったパウロは、様々な体験をしてきました。経済的には貧しさ・豊かさ、どちらも経験して きました。ピリピの聖徒たちの物質的な援助とともに、「苦難を分け合ってくれた」ことを喜んでいます。 『私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、 富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。』(4:12) 今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。 どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。 主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。 ![]() ![]() ![]() |
2025.8.31 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
出エジプト記 3:1~12 | 神様はあなたを遣わしている | |
![]() 本日は講壇交換礼拝でした。教団の聖書学院 学院長で、また埼玉県 倉松キリスト 教会で牧会・ご奉仕されている先生がお話ししてくださいました。 聖書箇所は出エジプト記 3章前半です。 モーセは神様の不思議なご計画の中で誕生し、エジプトの王女に育てられましたが、 ある事件をきっかけに王子の立場を失い、荒野に逃げのびて羊飼いとなりました。 波乱万丈な人生でした。生まれてからの40年はエジプトの王子として、最高の 教育を受けることができたでしょう。次の40年は、羊飼いとして様々な訓練の時 となりました。 人生の中で、どうしてこんな所を通らされるのか、と思うこともあるでしょう。 しかし神様は、この次の何かに、私たちを導こうとされているのです。 『・・・神は柴の茂みの中から彼に「モーセ、モーセ」と呼びかけられた。彼は「はい、ここにおります。」 と答えた。』(3:4) モーセに語りかけてくださった神様は、私たちにも語りかけてくださっています。それは、あるときは誰か 他の人を通してであったり、また神のことばである聖書を通して語ってくださるのです。私たちもモーセの ように「はい、ここにおります。」と応答したいものです。 波乱万丈な人生の中で、神様は、どのような時もモーセと共におられ励まし、ご自身の栄光を表す目的を もってモーセを遣わされました。同じように、神様は私たちと共におられ励まし、それぞれの場に遣わさ れています。 『神は仰せられた。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。 このわたしがあなたを遣わすのだ。・・・』(3:12) 酷暑が続いていますが、今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。 どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。 主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。 |
2025.8.24 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 4:8~9 | 心に留めるべきこと | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙 4章8節、9節です。 パウロは、これまでもピリピの聖徒たちに具体的な勧めをなしてきました。 ここでは「心に留めるべきこと」を列挙しています。 『最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しい こと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、 何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を 留めなさい。』(4:8) パウロは、すべての良いことを求めるように、心に留めるようにと勧めています。 そして、教えられたことを行うようにと語っています。パウロから教えられた大切な事柄を心に留め、 さらに行うこと・実践することを勧めているのです。 『あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。 そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。』(4:9) 平和の神が与えてくださる「神の平安」の中に、いつも生活できますように。 酷暑が続いていますが、今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。 どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。 主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。 |
2025.8.17 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 4:4~7 | 喜び・感謝・平安 | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙4章4節から7節です。 パウロは、この手紙を獄中で書きました。しかしこの手紙は、ピリピの聖徒たちへの 感謝にあふれ、主にある喜びが強調されています。どのような状況にあっても、主に あって喜びなさいと勧めています。 『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。』(4:4) 思い煩うときに、喜びはないでしょう。思い煩いを神さまにゆだねて、感謝の心を もって祈るときに、神さまは平安を与えてくださるのです。 『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、 あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスに あって守ってくれます。』(4:6,7) 「神の平安」の中に、いつも生活できますように。 酷暑が続いていますが、今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。 どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。 主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。 |
2025.8.10 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 4:1~3 | 痛みと処方箋 | |
![]() 今日の礼拝は、宣教の前に、日本基督教団 姫路福音教会の会員であるご夫妻が 証しをしてくださいました。お二人とも配偶者を病気で失い、その後、神さまの導き の中で再婚されました。ご主人は、「切り絵」や小さなビーズを並べて絵画にする アート「ダイヤモンド・ペインティング」に取り組まれ、初の個展を5月に開催し ました。今回、羽生教会で作品の展示もしてくださり、多くの方々が鑑賞されました。 また、ご主人は前立腺がんとの闘病生活を経て、今はお元気になられました。 証しは、同じように病と戦う人たちへの励ましとなっています。 『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのため には、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。』 ローマ 8:28 きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙4章1節から3節です。 パウロはピリピの聖徒たちに、愛をもって語りかけています。彼らを自分の喜び、冠だと言っています。 『ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。このように主にあって堅く立ってください。 愛する者たち。・・・あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。』(4:1、2) パウロは、2人の姉妹の名前をあげて、『主にあって同じ思い』となるように勧めています。そして、他の方 にも『彼女たちを助けてあげてください』とお願いしています。 教会内の具体的な問題について助言し、繰り返し『主にあって』と語られています。主イエスを信じる者は どんなときにも、主のみこころに従って、主に喜ばれる歩みをなしていくのです。 『心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。』 マタイ5:8 今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。 どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。 主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。 |
2025.8.3 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 3:12~16 | 目標を目指して | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙3章12節から16節です。 パウロは「律法」に精通し、「福音」の理解も実体験も豊富でしたが、今でも『追求 している』と語っています。神は人知を超えて偉大なお方であり、福音は豊かなもの なのです。 『私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。 ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、 キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。』(3:12) パウロは、信仰が完全にされたのではないと述べつつ、キリストが自分を捕らえて くださったと言っています。 『・・・ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を 目指して走っているのです。』(3:13,14) 過去に生きず、将来を見据えて、今を最善に生きることは大切です。キリストを信じる者はみな、 神によって召され、キリストが捕らえてくださったのです。「目標を目指して」、前進できますように。 また、与えられた賜物を忠実に用いることができますようにと、お祈りいたします。 『主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、 多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』 マタイ25:21 酷暑が続いていますが、今週の生活のすべてが守られますようにお祈りいたします。 どのような時にも、神の愛とご真実さを信じ、感謝して歩んでいけますように。 主イエスの十字架の救いを信じ、永遠のいのちをいただくことができますように。 |
2025.7.27 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 3:4~11 | 価値観の転換 | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙3章4節から11節です。 パウロはローマの市民権を持っていました。また、人間的には頼りになると思われる ユダヤ人としての履歴を語っています。血統と経歴において、誇り高く、きっすいの ヘブル人だったのです。 『私は生まれて8日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、 ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、・・・・』(3:5) しかし、イエス・キリストと出会ったパウロは『自分にとって得であったこのような すべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになった』(3:7)のです。 キリストと共に歩む人生に変えられ、価値観や物の見方が変えられました。 『それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを 損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えて います。・・・・』(3:8) パウロは、律法を行うことによって得られる義ではなく、キリストを信じる信仰によって神に義と認められる 『信仰による義』を得たのです。 『キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、 キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。』 (3:9) 主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() |
2025.7.13 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 2:25~30 | 教会を建て上げるために② | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章25節から30節です。パウロはテモテに 続いて、エパフロディトについて書き記しています。テモテは教会形成・牧会的奉仕 の役目を負って、ピリピ教会に遣わされるということです。 一方、エパフロディトはピリピ教会の一員であり、ピリピ教会に送り返すとパウロは 語っています。エパフロディトは、パウロの窮乏を補うために、ピリピ教会から遣わ されたのでした。 『私は、私の兄弟、同労者、戦友であり、あなたがたの使者で、私の必要に 仕えてくれたエパフロディトを、あなたがたのところに送り返す必要がある と考えました。。』(2:25) エパフロディトは、パウロと共に福音に携わり、パウロに仕えてきました。しかし、思いもよらない重篤な 病気にかかってしまったのです。『キリストの働きのために、死ぬばかりになりました。』(2:30) 彼の癒しのために皆が祈ったことでしょう。やがて彼は快復し、ピリピ教会に戻れるようになったのです。 『本当に彼は死ぬほどの病気にかかりました。しかし、神は彼をあわれんでくださいました。 彼だけでなく私もあわれんでくださり、悲しみに悲しみが重ならないようにしてくださいました。』 (2:27) パウロと共に教会を建て上げるために、テモテとエパフロディトは心から主イエスに仕えてきたのです。 『民よ どんなときにも神に信頼せよ。 あなたがたの心を 神の御前に注ぎ出せ。 神はわれらの避け所である。』詩篇 62:8 主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 |
2025.7.6 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 2:19~24 | 教会を建て上げるために① | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章19節から24節です。パウロはテモテを 遣わす計画を述べています。ピリピ教会の様子を知って、励ましを受けたいと願って いたのです。 『私は早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んで います。あなたがたのことを知って、励ましを受けるためです。』(2:19) テモテはパウロの愛弟子であり、自分自身のことよりもイエス・キリストのことを 求めており、福音のためにパウロと共に奉仕してきたのです。 『テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配して いる者は、だれもいません。』2:20) テモテは屈強な働き人ではありませんでした。弱さも抱えていたのです。しかし、信頼に足る人物であり パウロは『テモテが適任』であると語っています。 『テモテが適任であることは、あなたがたが知っています。子が父に仕えるように、テモテは私と ともに福音のために奉仕してきました。』(2:22) ピリピ教会がさらに健全な教会に成長するために、テモテは派遣されます。パウロもテモテもピリピ教会も、 共に主のために労する喜びを共有していくのです。 『神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。』 (Ⅰテモテ 2:5) 主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() |
2025.6.29 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ヨハネ 21:17~25 | 他者との比較から解放される | |
![]() 本日は講壇交換礼拝で、埼玉県熊谷市で牧会・ご奉仕されている先生がお話し してくださいました。聖書箇所はヨハネの福音書21章最後のところです。 復活の主イエスとペテロの問答が記されています。 イエス・キリストの十字架を前にして、『弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げ てしまった。』(マタイ26:56)のです。弟子のリーダー格であるペテロは、 『牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。』(ルカ22:33)と言い ながら、イエスを知らないと3度も否認してしまいました。 そのような弟子たちに復活の主は、ご自分を現わされたのです。弟子たちは ガリラヤ湖で大漁の経験をし、食事をともにしました。彼らが食事を済ませたとき、 イエスはペテロに言われました。 『「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」 ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」 イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」』(ヨハネ21:15) 主イエスは3度も質問をし、ペテロは3度応答したのです。 ガリラヤ湖畔を歩き出されたイエスに、ペテロが後からついて歩きました。すると、その後をもう一人 ついて来ている弟子がいました。ヨハネです。ペテロとヨハネは、最年長と最若年でしたが、ペテロは ヨハネのことが気になったようです。でも主イエスは言われました。 『・・・あなたは、わたしに従いなさい。』(ヨハネ 21:22) ヨハネはヨハネ。ペテロはペテロ。他の弟子と比べること無く、あなたはあなたとして、『わたしについて きなさい』と。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() ![]() |
2025.6.22 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 2:12~18 | 世の光として輝くために | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章12節から18節です。パウロはピリピ の聖徒たちに、『曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもと なり』(2:15)と語り、そのような世界で、『世の光として輝く』ことを勧め ています。 『・・・愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともに いるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて 自分の救いを達成するよう努めなさい。』(2:12) 人は、主イエスを信じる信仰によって救われます。救いのわざは、聖霊なる神の お働きです。私たちは福音にふさわしく生きていくために、努めること・努力する ことも大切であると、パウロは語っています。そのためには、『従順』になること、 『恐れおののく』ことを教えています。恐れおののくとは、神の前にへりくだり、謙遜に歩むことです。 『・・・あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中 にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝く ためです。・・・』(2:15~16) 『いのちのことば』とは、信じる者に永遠のいのちを与える神の福音です。神のみことばをしっかり握り、 世の光として輝くことが勧められています。 『イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩む ことがなく、いのちの光を持ちます。』ヨハネ 8:12 主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() |
2025.6.15 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 2:5~11 | キリストの謙遜と従順 | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章5節から11節です。パウロがピリピの 聖徒たちに勧めた生き方には模範がありました。主イエス・キリストの生き方です。 『キリスト・イエスのうちにあるこの思いを・・・抱きなさい。』(2:5)と語り、 イエスの謙遜と従順について、詳しく記しています。 『キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられない とは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じように なられました。』(2:6,7) キリストは、まことの神であり、まことの人です。私たちを罪から救うために、 神のあり方を捨て、十字架の死にまで従ってくださったのです。 『人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。』(2:7~9) 主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 『わたし(イエス・キリスト)は心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを 負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。』マタイ11:29 『イエス・キリストは主です』(2:11) |
2025.6.8 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
使徒の働き 2:40~47 | 教会の誕生 | |
![]() きょうは、聖霊が注がれ、教会が誕生したことを記念するペンテコステ礼拝です。 ペンテコステとはギリシャ語で五旬節・50日目の意味です。聖霊降臨日とも呼ば れています。五旬節は、過越の祭りから50日目に祝われるユダヤ人の祭りです。 イエス・キリストの復活と昇天の後、約束の聖霊が与えられました。聖霊は、いつも 私たちと共にいて、助け・守り・導いてくださるお方です。 きょうの聖書箇所は使徒の働き2章です。使徒を代表して、ペテロが声を張り上げ 人々に語りかけました。ヨエル書を引用し、聖霊降臨はヨエルの預言の成就で あると語ったのです。 『神は言われる。終わりの日に、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。』(2:17) この日、ペテロのことばを受け入れた人々はバプテスマを受けました。3000人ほどが仲間に加えら れたのです。 『彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。』(2:42) 人々は、神のことばに従い、良き交わりを持ち、祈りを共にしていたことが分かります。 旧約時代には、特別な人に、特別な時に注がれた聖霊。しかし、ペンテコステ以降には、すべての神の民 に聖霊が注がれるようになりました。主イエスの十字架のみわざ、恵みのゆえです。 ただ信仰によって、すべての人が聖霊を受けることができます。聖霊に満たされ、神の御声に聞き従う 歩みでありますように。 『しかし、主の御名を呼び求める者は みな救われる。』(2:21) ![]() ![]() |
2025.5.25 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:27~30 | キリストのための苦しみ | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙 1章27~30節です。ここでパウロは、 『キリストの福音にふさわしく生活しなさい』と勧めています。これは、みことばを 実践することです。生き方そのものが証しとなり、福音の素晴らしさが周囲に届け られるのです。そのためには、聖書から「神のことば」をしっかり聞くことが不可欠 です。またパウロは、ピリピ教会の人たちに願っていました。 『・・・あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つに してともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされること はない、と。・・・』(1:27,28) パウロは、キリストのために苦しむことも、恵みとして受けるようにと語っています。 パウロ自身、福音のゆえに迫害を受け、獄中につながれていたのです。 『あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために 苦しむことでもあるのです。』(1:30) 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() |
2025.5.18 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 3:17~21 | 天に国籍を持つ者たち | |
![]() 本日は召天者記念礼拝でした。天国に召された方々を偲び、私たちは地上で いかに生きていくかを考える時です。みことばを深く味わい、今生きている私 たちが、神の恵みと励ましをいただいて『走るべき道のりを走り終え、信仰を 守り通す』(Ⅱテモテ4:7)ことができますようにお祈りいたします。 きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙3章17~21節です。パウロは『私に倣う 者となってください』と語っています。パウロ自身、イエス・キリストに倣い、主の みこころに従って生きていました。 しかし『多くの人がキリストの十字架の敵』として歩んでいたのです。彼らは自分の 欲望を追及し、邪悪な生活をしていました。パウロはその現実に心痛めていたのです。 『・・・私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人が キリストの十字架の敵として歩んでいるからです。』(3:18) パウロは、イエス・キリストを信じる者たちに与えられた特権を明確に伝えています。 『しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、 私たちは待ち望んでいます。』(3:20) キリスト者は、『・・・私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださる』 (3:21)という希望を持って、主の再臨を待ち望むのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() |
2025.5.11 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:19~26 | パウロの死生観 | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙1章19~26節です。パウロの喜びは「福音 の前進」でした。ともに福音にあずかること、ともに宣教にあずかることを、パウロ は何よりも喜びとしています。イエス・キリストの十字架とよみがえりによる救いの 恵みを感謝し、キリストがあがめられることを望んでいたのです。 『私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、 生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられること です。』(1:20) また、パウロにとって「死」とは、また「生」とは何かを語っています。福音宣教に 人生のすべてをささげていたパウロは死ぬことも覚悟していました。 『私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。』(1:21) 『世を去ってキリストとともにいる』ことを願いつつ、しかし『この肉体にとどまること』がピリピの教会の 信徒たちのために必要であると、パウロは語っています。 『このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、 あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。』(1:25) 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 『私(パウロ)は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。』Ⅱテモテ4:7 ![]() ![]() |
2025.5.4 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:12~18 | 福音の前進 | |
![]() きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙1章12~18節です。ピリピ教会にあてて 届けられたこの手紙は「喜びの手紙」とも言われています。きょうの箇所にも喜び が伝えられています。パウロは、信仰のゆえに投獄されてしまいますが、それは 『福音の前進』に役立ったと語っています。 『兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信が与えられ、 恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。』(1:14) またパウロは、見張りのローマ兵の親衛隊に福音を語ることができました。パウロの 投獄により、ローマの親衛隊やほかの人々にも福音が伝えられたのです。 パウロは、福音宣教の動機についても語っています。 『人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。』 (1:15) ある人々は、愛をもってキリストを伝えていますが、ほかの人々の中には、純粋な動機からではなく党派心 から伝道する者もいたのです。パウロに対するねたみや対抗心をもって、キリストを宣べ伝える者たちも いました。 しかしパウロは動機が何であれ、福音が前進することを喜びとしていました。キリストが宣べ伝えられて いることを喜んだのです。 『・・・あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。』 (1:14) 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() |
2025.4.27 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:8~11 | 愛の成長 | |
![]() きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙1章8~11節です。パウロはピリピ教会の 聖徒たちを心から愛していたのです。 『私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを 慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。』(1:8) 次にパウロの祈りが記されています。ピリピ教会の人々の愛が豊かになるように、 そして重要なことを見分けることができるようにと願っています。 『私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって いよいよ豊かになり、あなたがたが、大切なことを見分けることができます ように。』(1:9,10) パウロは、一日一日を大切に生きましたが、同時に「キリストの日」に備えるようにと勧めています。 それは、主の再臨・さばきの日です。非難されるところがないように、神の栄光を現わすことができる ようにと願っているのです。 『こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。』 (1:10,11) 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() |
2025.4.20 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ヨハネ 20:11~18 | 主イエスの復活 | |
![]() イースターおめでとうございます。 イエス・キリストは、十字架刑と葬りの後、3日目によみがえられました ![]() 主の復活は歴史的事実です。私たちは、その事を心から信じ、今、生きて共に いてくださる主の御名をほめたたえます。 神の御子イエス・キリストは、何の罪も犯されませんでしたが、十字架という 最もむごい刑で死なれました。逮捕から不当な裁判、そして十字架への道でも、 十字架上でも、暴力・ののしり・あざけりを受けました。それは私たちの罪の ためです。私たちの罪を贖うための苦しみと死だったのです。 『主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められ るために、よみがえられました。』ローマ4:25 きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書20章には、主イエスの復活の出来事が記されています。 イエスの死は確認され、墓に納められました。墓は大きな石によって封印され、番兵によって、しっかりと 墓の番がなされました。 日曜日の早朝、女性たちは、ご遺体に油を塗りに行こうと思い墓に行きました。すると石が墓からわきに 転がされていて、主イエスのからだは見当たらなかったのです。マグダラのマリアは泣きながら墓の中を のぞき込むと、2人の御使いがいました。 さらに復活の主が、マリアに現れてくださったのです。イエスは彼女に、弟子たちに主のことばを伝える という使命を告げられました。 『マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを 話されたと伝えた。』ヨハネ20:18 十字架にかかって死なれたイエスは、約束通り、日曜日の朝(3日目)によみがえられたのです。 そして、その御姿を弟子たちに現してくださいました。主イエスは、父なる神のご計画に従い、十字架へと 進まれました。十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できますように。 『イエスは・・・言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。 わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」 』ヨハネ11:25 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
2025.4.13 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:3~7 | あふれる感謝と喜び | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙1章最初のところで、パウロはピリピの教会 の人々に感謝の気持ちを表しています。 『私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。』(1:3) ピリピ教会は、ヨーロッパにおける最初の教会です。パウロはピリピ教会と親しい 交わりを持ちました。両者の関係の素晴らしさが記されています。 『あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わって きたことを感謝しています。』(1:5) ピリピ教会は、パウロを支援しつつ、自分たちも置かされている場所で宣教に励んで きました。パウロはそれを、ことさら喜んでいるのです。 『あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成 させてくださると、私は確信しています。』(1:6) 『良い働きを始められた方』とは、主ご自身です。神は、救いのみわざ・宣教の働きを始められた方です。 『キリスト・イエスの日』とは、主イエスが再臨される日です。 さらにパウロは苦難の中にあっても、福音を宣べ伝えることを恵みとして感謝しています。ピリピの教会は パウロが牢獄にいるときも、大胆に福音を証ししているときも、共に福音宣教の恵みにあずかったのです。 『・・・あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに 恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。』 |