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皆さまのおいでをお待ちしています。 52025年度のみことば |
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2025.7.6 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 2:19~24 | 教会を建て上げるために① | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章19節から24節です。パウロはテモテを 遣わす計画を述べています。ピリピ教会の様子を知って、励ましを受けたいと願って いたのです。 『私は早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んで います。あなたがたのことを知って、励ましを受けるためです。』(2:19) テモテはパウロの愛弟子であり、自分自身のことよりもイエス・キリストのことを 求めており、福音のためにパウロと共に奉仕してきたのです。 『テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配して いる者は、だれもいません。』2:20) テモテは屈強な働き人ではありませんでした。弱さも抱えていたのです。しかし、信頼に足る人物であり パウロは『テモテが適任』であると語っています。 『テモテが適任であることは、あなたがたが知っています。子が父に仕えるように、テモテは私と ともに福音のために奉仕してきました。』(2:22) ピリピ教会がさらに健全な教会に成長するために、テモテは派遣されます。パウロもテモテもピリピ教会も、 共に主のために労する喜びを共有していくのです。 『神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。』 (Ⅰテモテ 2:5) 主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() |
2025.6.29 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ヨハネ 21:17~25 | 他者との比較から解放される | |
![]() 本日は講壇交換礼拝で、埼玉県熊谷市で牧会・ご奉仕されている先生がお話し してくださいました。聖書箇所はヨハネの福音書21章最後のところです。 復活の主イエスとペテロの問答が記されています。 イエス・キリストの十字架を前にして、『弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げ てしまった。』(マタイ26:56)のです。弟子のリーダー格であるペテロは、 『牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。』(ルカ22:33)と言い ながら、イエスを知らないと3度も否認してしまいました。 そのような弟子たちに復活の主は、ご自分を現わされたのです。弟子たちは ガリラヤ湖で大漁の経験をし、食事をともにしました。彼らが食事を済ませたとき、 イエスはペテロに言われました。 『「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」 ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」 イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」』(ヨハネ21:15) 主イエスは3度も質問をし、ペテロは3度応答したのです。 ガリラヤ湖畔を歩き出されたイエスに、ペテロが後からついて歩きました。すると、その後をもう一人 ついて来ている弟子がいました。ヨハネです。ペテロとヨハネは、最年長と最若年でしたが、ペテロは ヨハネのことが気になったようです。でも主イエスは言われました。 『・・・あなたは、わたしに従いなさい。』(ヨハネ 21:22) ヨハネはヨハネ。ペテロはペテロ。他の弟子と比べること無く、あなたはあなたとして、『わたしについて きなさい』と。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() ![]() |
2025.6.22 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 2:12~18 | 世の光として輝くために | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章12節から18節です。パウロはピリピ の聖徒たちに、『曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもと なり』(2:15)と語り、そのような世界で、『世の光として輝く』ことを勧め ています。 『・・・愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともに いるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて 自分の救いを達成するよう努めなさい。』(2:12) 人は、主イエスを信じる信仰によって救われます。救いのわざは、聖霊なる神の お働きです。私たちは福音にふさわしく生きていくために、努めること・努力する ことも大切であると、パウロは語っています。そのためには、『従順』になること、 『恐れおののく』ことを教えています。恐れおののくとは、神の前にへりくだり、謙遜に歩むことです。 『・・・あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中 にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝く ためです。・・・』(2:15~16) 『いのちのことば』とは、信じる者に永遠のいのちを与える神の福音です。神のみことばをしっかり握り、 世の光として輝くことが勧められています。 『イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩む ことがなく、いのちの光を持ちます。』ヨハネ 8:12 主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() |
2025.6.15 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 2:5~11 | キリストの謙遜と従順 | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙2章5節から11節です。パウロがピリピの 聖徒たちに勧めた生き方には模範がありました。主イエス・キリストの生き方です。 『キリスト・イエスのうちにあるこの思いを・・・抱きなさい。』(2:5)と語り、 イエスの謙遜と従順について、詳しく記しています。 『キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられない とは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じように なられました。』(2:6,7) キリストは、まことの神であり、まことの人です。私たちを罪から救うために、 神のあり方を捨て、十字架の死にまで従ってくださったのです。 『人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。』(2:7~9) 主イエスの十字架とよみがえりによって、救いの道が開かれたのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 『わたし(イエス・キリスト)は心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを 負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。』マタイ11:29 『イエス・キリストは主です』(2:11) |
2025.6.8 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
使徒の働き 2:40~47 | 教会の誕生 | |
![]() きょうは、聖霊が注がれ、教会が誕生したことを記念するペンテコステ礼拝です。 ペンテコステとはギリシャ語で五旬節・50日目の意味です。聖霊降臨日とも呼ば れています。五旬節は、過越の祭りから50日目に祝われるユダヤ人の祭りです。 イエス・キリストの復活と昇天の後、約束の聖霊が与えられました。聖霊は、いつも 私たちと共にいて、助け・守り・導いてくださるお方です。 きょうの聖書箇所は使徒の働き2章です。使徒を代表して、ペテロが声を張り上げ 人々に語りかけました。ヨエル書を引用し、聖霊降臨はヨエルの預言の成就で あると語ったのです。 『神は言われる。終わりの日に、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。』(2:17) この日、ペテロのことばを受け入れた人々はバプテスマを受けました。3000人ほどが仲間に加えら れたのです。 『彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。』(2:42) 人々は、神のことばに従い、良き交わりを持ち、祈りを共にしていたことが分かります。 旧約時代には、特別な人に、特別な時に注がれた聖霊。しかし、ペンテコステ以降には、すべての神の民 に聖霊が注がれるようになりました。主イエスの十字架のみわざ、恵みのゆえです。 ただ信仰によって、すべての人が聖霊を受けることができます。聖霊に満たされ、神の御声に聞き従う 歩みでありますように。 『しかし、主の御名を呼び求める者は みな救われる。』(2:21) ![]() ![]() |
2025.5.25 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:27~30 | キリストのための苦しみ | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙 1章27~30節です。ここでパウロは、 『キリストの福音にふさわしく生活しなさい』と勧めています。これは、みことばを 実践することです。生き方そのものが証しとなり、福音の素晴らしさが周囲に届け られるのです。そのためには、聖書から「神のことば」をしっかり聞くことが不可欠 です。またパウロは、ピリピ教会の人たちに願っていました。 『・・・あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つに してともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされること はない、と。・・・』(1:27,28) パウロは、キリストのために苦しむことも、恵みとして受けるようにと語っています。 パウロ自身、福音のゆえに迫害を受け、獄中につながれていたのです。 『あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために 苦しむことでもあるのです。』(1:30) 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() |
2025.5.18 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 3:17~21 | 天に国籍を持つ者たち | |
![]() 本日は召天者記念礼拝でした。天国に召された方々を偲び、私たちは地上で いかに生きていくかを考える時です。みことばを深く味わい、今生きている私 たちが、神の恵みと励ましをいただいて『走るべき道のりを走り終え、信仰を 守り通す』(Ⅱテモテ4:7)ことができますようにお祈りいたします。 きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙3章17~21節です。パウロは『私に倣う 者となってください』と語っています。パウロ自身、イエス・キリストに倣い、主の みこころに従って生きていました。 しかし『多くの人がキリストの十字架の敵』として歩んでいたのです。彼らは自分の 欲望を追及し、邪悪な生活をしていました。パウロはその現実に心痛めていたのです。 『・・・私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人が キリストの十字架の敵として歩んでいるからです。』(3:18) パウロは、イエス・キリストを信じる者たちに与えられた特権を明確に伝えています。 『しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、 私たちは待ち望んでいます。』(3:20) キリスト者は、『・・・私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださる』 (3:21)という希望を持って、主の再臨を待ち望むのです。 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() ![]() |
2025.5.11 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:19~26 | パウロの死生観 | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙1章19~26節です。パウロの喜びは「福音 の前進」でした。ともに福音にあずかること、ともに宣教にあずかることを、パウロ は何よりも喜びとしています。イエス・キリストの十字架とよみがえりによる救いの 恵みを感謝し、キリストがあがめられることを望んでいたのです。 『私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、 生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられること です。』(1:20) また、パウロにとって「死」とは、また「生」とは何かを語っています。福音宣教に 人生のすべてをささげていたパウロは死ぬことも覚悟していました。 『私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。』(1:21) 『世を去ってキリストとともにいる』ことを願いつつ、しかし『この肉体にとどまること』がピリピの教会の 信徒たちのために必要であると、パウロは語っています。 『このことを確信しているので、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私が生きながらえて、 あなたがたすべてとともにいるようになることを知っています。』(1:25) 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 『私(パウロ)は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。』Ⅱテモテ4:7 ![]() ![]() |
2025.5.4 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:12~18 | 福音の前進 | |
![]() きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙1章12~18節です。ピリピ教会にあてて 届けられたこの手紙は「喜びの手紙」とも言われています。きょうの箇所にも喜び が伝えられています。パウロは、信仰のゆえに投獄されてしまいますが、それは 『福音の前進』に役立ったと語っています。 『兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことで、主にあって確信が与えられ、 恐れることなく、ますます大胆にみことばを語るようになりました。』(1:14) またパウロは、見張りのローマ兵の親衛隊に福音を語ることができました。パウロの 投獄により、ローマの親衛隊やほかの人々にも福音が伝えられたのです。 パウロは、福音宣教の動機についても語っています。 『人々の中には、ねたみや争いからキリストを宣べ伝える者もいますが、善意からする者もいます。』 (1:15) ある人々は、愛をもってキリストを伝えていますが、ほかの人々の中には、純粋な動機からではなく党派心 から伝道する者もいたのです。パウロに対するねたみや対抗心をもって、キリストを宣べ伝える者たちも いました。 しかしパウロは動機が何であれ、福音が前進することを喜びとしていました。キリストが宣べ伝えられて いることを喜んだのです。 『・・・あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。』 (1:14) 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() |
2025.4.27 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:8~11 | 愛の成長 | |
![]() きょうの聖書箇所は、ピリピ人への手紙1章8~11節です。パウロはピリピ教会の 聖徒たちを心から愛していたのです。 『私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを 慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。』(1:8) 次にパウロの祈りが記されています。ピリピ教会の人々の愛が豊かになるように、 そして重要なことを見分けることができるようにと願っています。 『私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって いよいよ豊かになり、あなたがたが、大切なことを見分けることができます ように。』(1:9,10) パウロは、一日一日を大切に生きましたが、同時に「キリストの日」に備えるようにと勧めています。 それは、主の再臨・さばきの日です。非難されるところがないように、神の栄光を現わすことができる ようにと願っているのです。 『こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。』 (1:10,11) 十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 罪の赦しと永遠のいのち、そして日々の守りと助け・導きがあります。イエスにある平安と喜びにあふれて 生活できますようにお祈りいたします。 ![]() |
2025.4.20 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ヨハネ 20:11~18 | 主イエスの復活 | |
![]() イースターおめでとうございます。 イエス・キリストは、十字架刑と葬りの後、3日目によみがえられました ![]() 主の復活は歴史的事実です。私たちは、その事を心から信じ、今、生きて共に いてくださる主の御名をほめたたえます。 神の御子イエス・キリストは、何の罪も犯されませんでしたが、十字架という 最もむごい刑で死なれました。逮捕から不当な裁判、そして十字架への道でも、 十字架上でも、暴力・ののしり・あざけりを受けました。それは私たちの罪の ためです。私たちの罪を贖うための苦しみと死だったのです。 『主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められ るために、よみがえられました。』ローマ4:25 きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書20章には、主イエスの復活の出来事が記されています。 イエスの死は確認され、墓に納められました。墓は大きな石によって封印され、番兵によって、しっかりと 墓の番がなされました。 日曜日の早朝、女性たちは、ご遺体に油を塗りに行こうと思い墓に行きました。すると石が墓からわきに 転がされていて、主イエスのからだは見当たらなかったのです。マグダラのマリアは泣きながら墓の中を のぞき込むと、2人の御使いがいました。 さらに復活の主が、マリアに現れてくださったのです。イエスは彼女に、弟子たちに主のことばを伝える という使命を告げられました。 『マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを 話されたと伝えた。』ヨハネ20:18 十字架にかかって死なれたイエスは、約束通り、日曜日の朝(3日目)によみがえられたのです。 そして、その御姿を弟子たちに現してくださいました。主イエスは、父なる神のご計画に従い、十字架へと 進まれました。十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。 イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できますように。 『イエスは・・・言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。 わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」 』ヨハネ11:25 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
2025.4.13 (日) 礼拝式のお話 | 聖書箇所 | テーマ |
ピリピ 1:3~7 | あふれる感謝と喜び | |
![]() きょうの聖書箇所はピリピ人への手紙1章最初のところで、パウロはピリピの教会 の人々に感謝の気持ちを表しています。 『私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。』(1:3) ピリピ教会は、ヨーロッパにおける最初の教会です。パウロはピリピ教会と親しい 交わりを持ちました。両者の関係の素晴らしさが記されています。 『あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わって きたことを感謝しています。』(1:5) ピリピ教会は、パウロを支援しつつ、自分たちも置かされている場所で宣教に励んで きました。パウロはそれを、ことさら喜んでいるのです。 『あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成 させてくださると、私は確信しています。』(1:6) 『良い働きを始められた方』とは、主ご自身です。神は、救いのみわざ・宣教の働きを始められた方です。 『キリスト・イエスの日』とは、主イエスが再臨される日です。 さらにパウロは苦難の中にあっても、福音を宣べ伝えることを恵みとして感謝しています。ピリピの教会は パウロが牢獄にいるときも、大胆に福音を証ししているときも、共に福音宣教の恵みにあずかったのです。 『・・・あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに 恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。』 |