神は愛です

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皆さまのおいでをお待ちしています

2018年度のみことば
『 主がお入り用なのです。』
(マルコの福音書 11章)

 2018.5.20 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヘブル 12:1~7 イエスから目を離さないで

  本日は、ペンテコステ記念礼拝です。ペンテコステとはギリシャ語で、五旬節・50日
  目の意味です。
聖霊降臨日とも呼ばれ、キリスト教会の誕生を記念する日でもあり
  ます。
イエス・キリストの復活・昇天の後、約束の聖霊が与えられました。聖霊は
  いつも私たちと共にいて、助け・守り・導いてくださるお方です。
     
  また、羽生キリスト教会にとって、本日は
召天者記念礼拝でもあります。天国に召さ
  れた方々を偲び、私たちは地上でいかに生きていくかを考える時です。みことばを
  深く味わい、今生きている私たちが、神の恵み・励ましをいただいて、『
走るべき
  道のりを走り終える
』ことができますように。

    『・・・
彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
                                   ヘブル人への手紙  11:4
    『 
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
                                   テモテへの手紙 第二 4:7
                   
  クリスチャンは与えられた信仰を、生活全般を通して証していけたらと願います。きょうの聖書箇所 
ヘブル人への
  手紙 12章
から、その秘訣を見たいと思います。
  ① イエスさまから目を離さないこと。それは、
聖書をよく読むことが大切です。
   
       『
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。・・・・』 (12:2)
  ② 人生は、一人旅ではないことを知ること。主なる神がいつも共にいてくださり、また兄弟姉妹の祈りと支えが
     あります。
  ③ 神の訓練は、愛の証しであることを忘れないこと。試練は、その時は辛く・悲しいものであっても、後になって
     私たちの益となり、『
平安な義の実を結ばせる』(12:11)ものです。

            
    
            



 2018.5.13 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨシュア記 11:10~15 約束の地は、主による獲得

  モーセの後を継いだヨシュアに率いられ、イスラエルの民はエリコやアイとの戦いに
  勝利します。その後、周囲の王たちが連合して向かってくるという、最大の戦いを迎え
  ます。『
その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった。』(11:4)
  とあります。
  敵軍の威力に対し、イスラエルの民は、数・質・装備等、すべての面で連合軍に負け
  ていました。しかし、神はヨシュアに仰せられたのです。

             『
彼らを恐れてはならない。・・・・』(11:6)
       
  神を信頼し、実行し、前進することが求められました。彼らの武力ではなく、
信仰
  問われたのです。
  敵や馬・戦車を滅ぼすことを、残酷でもったいないと思い、自分たちのために用いる
  ことは、神の命令に背くことでした。ヨシュアは、神の命令とモーセの遺言に忠実に
  従ったのです。

  『
主がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりに行い、
   主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かなかった。
』 (11:15)
                  
  この11章に記された戦いを通して、後のイスラエル王国・12部族の入植地の確保につながります。しかしここでは
  イスラエルがどのように戦い勝利したかではなく、
どのように神に従ったかどのように神から約束の相続地を
  
賜ったか、ということが強調されています。

    『 
ヨシュアは彼らに言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。
      あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」
 』 (10:25)


              



 2018.5.6 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨシュア記 6:1~7 エリコの城壁は崩れた

  イスラエルの民は、奴隷として苦役を強いられたエジプトを脱出します。その時の指
  導者は
モーセです。40年にわたる荒野での旅を終え、約束の地カナンに入る際、
  モーセの後継者として任命されたのが、
ヨシュアでした。偉大な指導者であった
  モーセ亡きあと、神はヨシュアに特別な励まし、みことばを与えてくださいました。

    『
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。
     恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、
     あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。
』(ヨシュア1:9)
      
  きょうの聖書箇所 ヨシュア記6章は、
エリコの町の攻略について記されています。
  神が与えると約束してくださった土地は、自動的に手に入るのではなく、戦って勝ち
  取っていくものでした。エリコは要塞都市で、イスラエルの民を恐れて、城門を堅く閉ざ
  していたのです。しかし、神は戦う前に、すでに勝利を約束してくださったのです。

         『
見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。』 (6:2)
            
  神が与えた攻撃の作戦は、驚くべきものでした。神が具体的に示された行動を従順に行うことでした。これは、神の
  命令であり、
信仰によって従うことが求められたのです。エリコの陥落は、人間の力ではなく、神の奇跡的な力
  よって成されたのです。

             『・・・
主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。』 (6:16)
                   
  それぞれの持ち場・立場は違いますが、神がふさわしく用いてくださるのです。

 『
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
                                                  コリント人への手紙 第一 6:20


             
          




 2018.4.29 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネ 14:1~6 いのちの道であるイエス

  きょうは講壇交換礼拝で、小川キリスト教会(埼玉県)の先生がお話してくださいま
  した。

  きょうの聖書箇所 
ヨハネの福音書14章は、イエス・キリストから弟子たちへの
  告別の説教です。最後の晩餐で、イエスの弟子たちは心を騒がせていました。そ
  れは3年半の間、いつも一緒にいた主なるイエスさまがいなくなるという不安、また
  自分たちの誰かが裏切る、という言葉に対する不安でした。
  私たちも日々の生活の中で、思いがけない事・大変な事が起こることがあります。
  色々なことを心配し、不安になることもあります。しかし、イエスさまは、心を騒がせ
  るのではなく、神とご自身を信じることを命じられました。

    『
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさ
     い。
』 (14:1)
       
  私たちは、すぐ解決してくださることを望みますが、神は必ずしもそうではありません。しかし、神を信じ従う時に、
  ご自身の平安で私たちを満たしてくださるのです。

  『 
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって あなたがたの願い事を
    神に知っていただきなさい。
    そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたの心と思いをキリスト・イエスにあって守って
    くれます。
』 ピリピ 4:6,7
                   
  イエスさまこそが、示された道であり、真理、いのちなのです。人は将来に対する不安を持ちます。先がどうなるの
  か分からない不安に心を奪われるのではなく、イエスさまに信頼していくことこそが、私たちの救いの道なのです。
  主は、私たちを慰め・励まし・支えてくださるお方です。

   『
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、
    だれひとり父のみもとに来ることはありません。
』 (14:6)


            



 2018.4.22 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 49:1~12 祝福を祈る幸い

  きょうの聖書箇所創世記49章は、ヤコブの遺言が記されています。自分の最期を
  悟ったヤコブは、12人の子どもたちを呼び寄せて、一人ひとりにことばを贈りました。
  それは、祝福であり、預言とも言えるものでした。その中で、特にユダとヨセフに多く
  のことばが述べられています。
     
  
ユダは長男ではなく、四男でしたが、
  『
王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。』(10節)
  と語られ、ユダの子孫から
キリスト(救い主)が誕生します。ユダは人生において大
  きな失敗もありましたが、明確な悔い改めによって赦され、神さまの祝福にあずかっ
  たのです。
          
  
ヨセフには、<祝福>のことばが繰り返し語られています。彼は、母親が違う兄弟か
  ら憎まれ、エジプトに奴隷として売られる等、苦労の連続でした。しかし、どのような
  状況の中でも、共にいてくださる神さまを覚えて歩んだのです。ヨセフは兄弟たちを心から赦し、人知をはるかに
  超えた神のご計画を認めています。

  『
あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。・・』(50:20)
                   
  他の兄弟たちへのことばには、叱責や戒めもありましたが、それぞれが
ふさわしい祝福をいただいたのです。

     『
これらすべてはイスラエルの部族で、12であった。これは彼らの父が彼らに語ったことである。
      彼は彼らを祝福したとき、おのおのにふさわしい祝福を与えたのであった。
』 (28節)

                『・・・・
きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。』 (48:15)


                 



 2018.4.15 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 44:1~17 和解への道のり

  きょうの聖書箇所 創世記44章は、エジプトの宰相となったヨセフが、兄
  たちにとった「はかりごと」が記されています。しかし、それは軽率な行動
  ではなく、恨みをはらそうとしているのでもありません。このヨセフの行為を
  通して、兄たちは神からのお取り扱いを受けたのです。

  『・・・
神がしもべどもの咎(とが)をあばかれたのです。・・・』(44:16)

  飢饉にみまわれたヤコブの息子たちは、エジプトで十分な食糧を手に入れ
  帰ろうとしましたが、末弟ベニヤミンに盗みの疑いがけられてしまいます。
  兄たちは、自分たちが犯した罪を、強く意識せざるをえませんでした。
                 
  ヤコブが最も愛した妻ラケルの子が
ヨセフベニヤミンです。ヨセフは父から特別扱いされ、また夢(兄たちの束が
  自分の束におじぎをした等)を話したことから、兄たちにねたまれ・憎まれるようになります。そして、兄弟たちの
  陰謀により、エジプトに売り飛ばされてしまったのです。
  しかし、ヨセフは、全てが
神のご主権・ご計画の中の出来事であったことを理解し、兄たちを赦しています。ヨセフ
  が奴隷として売られてから幾星霜を経て、家族との和解と再会の時が与えられたのです。

     『
今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために
      あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。・・・・また、大いなる救いによって あなた
      がたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがた
      ではなく、実に、神なのです。
』 (45:5,7,8)


           
     
              



 2018.4.8 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ルカ 24:1~12 よみがえられた主イエス

  きょうの聖書箇所 ルカの福音書24章には、イエス・キリストの復活の出来事が
  記されています。ご自身の受難について3度、弟子たちに話されたイエスさまは、
  十字架にかかるためエルサレムに入られました。ルカの福音書は、他の福音書以
  上に十字架の出来事が詳細に書かれています。私たち全人類の罪を赦すために、
  イエスさまは、十字架にかかって死んでくださったのです。

   『・・・・
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
    また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられた
    こと
・・・・』 (Ⅰコリント15:3,4)
         
  週の初めの日(日曜日)の明け方早く、マグダラのマリヤたちが墓に着くと、驚くべ
  き事が起こります。主イエスのからだはなく、途方にくれていると、御使いが現れて
  言いました。
    『
あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここには
     おられません。よみがえられたのです。
・・・・・』 (5,6節)

  彼女たちは、イエスさまのみことばを思い出し、主はよみがえられたと信じます。そして、すぐに弟子たちのところに
  知らせに行ったのです。主イエスさまの十字架と復活を信じ、罪を悔い改める者には、
永遠のいのちが与えられま
  す。この恵みをいただいた私たちは、
復活の証人として歩めますように。

    『
神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を
     信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
』 (ヨハネ3:16)


                
           



 2018.4.1 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ルカ 24:1~12 証し(信仰の体験談)

  きょうの礼拝は、福音伝道教団の聖会中(群馬県伊香保にて)で、牧師が不在のた
  め、教会員の証し(信仰の体験談)でした。今年の聖会は、「
聖霊に満たされて主
  の証人となる
」をテーマに行われました。
      
  (証しは一部抜粋です。二人の方を掲載します)
  私たち家族は、約40年間、東京で生活しましたが、子ども達はそれぞれ家庭を持ち
  ましたので、私達(二人)だけ「終の住処」と定めて羽生に戻って4年目に入りました。
  ・・・・そろそろ今回の証しの準備をと思っておりました時、主人が体調を崩し、入院・
  治療が始まりました。面会時間はベッドの側におりまして、さほど用事が無いため、
  じっくり聖書を読み、過去の日記等を読む時間が与えられました。自分に足りない事
  やらねばならない事、優先順位がはっきり分かってきました。
  ずっと以前、書き留めてあったノートを開いて読み、心に響いたことばがあります。

     『
立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。』 (ルカ17:19) 
  病をいやされた10人のうち、たった一人だけがイエスさまのもとに戻ってきて感謝したのです。
  今ここに生かされていることが、どんなにかけがえのないものであるか、本当に知らないと喜び、感謝できません。
  愛されている中に生きていることを知り、ゆえに賛美できます。聖書の語りかけに耳を澄ましながら、すでに私達の
  日ごとの経験の内に届いている神の恵みに、共に豊かにあずかりたいと願います。
                  
  昨年度、私は、聖書学院の牧会協力者研修コースに参加させていただきました。また学院生と一緒に、聴講生とし
  て教会音楽の講座を学ばせていただきました。きょうは、その講座を通して得たことや、思い巡らしたことなどをお
  話したいと思います。
  神様は、世界中の人々に共通の響き、第二の言葉を与えてくれました。音楽は神様からの贈り物です。私は、この
  音楽という言葉をもって、日頃、神様と対話しています。私に悲しみのある時、神様は共に悲しんでくれます。心が
  弾むような時には、さらに心が弾む程の音楽をプレゼントしてくれるのです。それを五線紙に書き留める事により、
  その音の響きは、私の慰め・希望となるのです。
  ・・・・これまでの私は、礼拝賛美の時、歌う喜びを求めて歌っていました。つまり、自己満足、形だけの賛美でした。
  礼拝賛美は、歌詞の意味をよく理解し、心から、聖なる聖なる聖なる神様に捧げる賛美です。神様との共鳴を求め
  つつ、祈り心で賛美したいと思います。

     『
ダビデと全イスラエルは、歌を歌い、立琴、十弦の琴、タンバリン、シンバル、ラッパを鳴らして、
      神の前で力の限り喜び踊った。
』 (Ⅰ歴代誌 13:8)


                 
  
            



 2018.3.25 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 14篇 しかし、主がおられる

  きょうの聖書箇所 詩篇14篇は、「神はいない」と言う者と「神を避け所」とする者
  とが対比されています。人は自らの考えに従った行動をとるものです。
  神を無視し反逆する人々は、罪の奴隷となり、悪や忌まわしい事を行うと記されてい
  ます。しかし、
天地創造のまことの神を信じ従う者は、神を尋ね求め、神を避け所と
  して歩むのです。

     『
おまえたちは、悩む者のはかりごとを はずかしめようとするだろう。
      しかし、主が彼の避け所である。
』 (6節)
          
  新約聖書 ローマ人への手紙の中で、パウロは本篇を引用し語っています。
     『
義人はいない。ひとりもいない。・・・・・
      善を行う人はいない。ひとりもいない。
』 (3:10,12)

  すべての人が、神の前に罪人であり、悪が宿っているのです。
イエス・キリストの十字架は、私たちの罪を赦すた
  めです。信仰によって、この恵みを自分のものとすることが出来るのです。

  『
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生
   きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
   神の御子を信じる信仰によっているのです。
』 ガラテヤ 2:20
                  
  今週は
受難週であり、イエス・キリストの十字架を深く思う時です。来週はイースターです。羽生教会では、来週
  は教団の聖会があるため、
4月8日(日)にイースター礼拝を行います。共に主イエスさまのよみがえりを喜び、
  感謝いたしましょう。


               
               



 2018.3.18 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 36:20~24 エサウの系図

  きょうの聖書箇所 創世記36章には、エサウの系図が記されています。エサウ
  はヤコブの双子の兄で、弟ヤコブとの間には様々な問題・確執がありました。彼は
  長子の権利を軽んじて、軽率な行動をとります。それは、神の恵みを軽んじ、神の
  恵み以上にこの世の物、目の前の物に心奪われたのです。

  『
すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。
   ・・・・また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった
   長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさ
い。

   
                                 (ヘブル 12:14,16)
         
  
  しかし、このようなエサウを神は見捨てることなく、本章のような系図を遺す者とな
  りました。神は傍系であっても、祝福してくださる恵み豊かなお方です。
  20年ぶりの兄弟の再会と和解、父イサクの葬りを2人で成したこと、エサウが移り
  住んだ荒野で温泉を発見したこと・・・・・・ヤコブもエサウも神のあわれみの中に、守られ支えられました。

 『
エサウは彼(ヤコブ)を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。』(33:4)
                     
  弟でありながら直系となったヤコブは、ただ神のご計画の中で、選ばれ導かれてきました。私たちも
神の愛とあわ
  れみ
によって、救われ生かされていることを感謝いたします。

  『
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。』ローマ 9:16

  『・・・
わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。』 マタイ 26:39


        
          



 2018.3.11 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 32:1~12 ヤコブの祈り

  きょうの聖書箇所 創世記32章も先週と同じように、ヤコブの生涯について記され
  ています。兄エサウに、殺されそうになるほど憎まれたヤコブは、伯父ラバンのもと
  に身を寄せ、結婚し子どもたちが生まれました。ヤコブは神の祝福の中で、大いに
  富み、財産を多く持つようになったのです。しかし、そのことで、ラバンや彼の息子
  たちからは憎まれるようになります。   そのような中で、主はヤコブに、
  
      『
あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。
       わたしはあなたとともにいる。
』 (31:3)と語られました。
  どのような状況であっても、真実な神は、ヤコブと共にいてくださったのです。
     
  そこで、ヤコブは約20年ぶりに故郷に向かいます。しかし、兄をあざむき裏切った
  過去の出来事ゆえに、エサウの復讐を恐れ、心配していました。そのような状況で
  神である主は、ヤコブに御使いを遣わし、臨在と顧みを現してくださったのです。
  彼は恐れの中で、神の約束に立ち、率直に祈り求めています。

  『
私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなた
   をしあわせにする』と仰せられた主よ。・・・・
   どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。・・・・
』 (32:9,11)
                
  神の一方的な選びにより、愛され祝福をいただいたヤコブは、神のご計画にふさわしく整えられていきました。
  どのような状況の中でも、
神に信頼し、祈ったのです。

  『
わたしは必ずあなたをしあわせにし、あなたの子孫を多くて数えきれない海の砂のようにする。』(32:12)


          
  
  
            



 2018.3.4 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 29:1~14 ヤコブとラバンの出会い

  きょうの聖書箇所 創世記29章の主人公は、ヤコブです。彼の人生は波乱に満ち
  ていました。兄エサウから長子の権利を奪う出来事を始め、これから様々な困難に
  直面していきます。
  兄をだましたヤコブは報復を恐れ、父イサク・母リベカの言う通り、パダン・アラムに
  向かいました。そこはリベカの兄ラバンが住む彼女の故郷だったのです。色々な事
  がありましたが、イサクは息子ヤコブを祝福し、母の故郷で妻をめとるよう命じます。
  人間的な思惑・策略の中で、神はご自身の選びの計画を実現されたのです。

  『
神はアブラハムの祝福を、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫とに
   授け、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留しているこの地を
   継がせてくださるように。
』 (28:4)
       

  途中、ヤコブはベテルで霊的な大きな経験をしました。それは、神の臨在の豊かさ
  に触れた経験であり、それからのヤコブの長い旅を支えるものとなったのです。いつも共にいて、支え励ましてくだ
  さる神に触れ、祝福をいただきました。

  『
見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。
   わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。
』 (28:15)
                    
  ヤコブは、やがて妻となるラケルと、井戸で出会います。神の導きの中で、伯父ラバンの家に滞在することになる
  のです。試練を通して、神の特別なお取り扱いを受けて、
ヤコブ押しのける者の意)が、神の聖徒に変えられて
  いくのです。

     『
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを
      働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
』  ローマ人への手紙 8:28


        
                   



 2018.2.25 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
Ⅰヨハネ 4:1~12 御子を信じる

  きょうの聖書箇所 ヨハネの手紙 第一が書かれた1世紀末頃、偽りの教師たちが
  台頭し、教会を混乱させました。彼らは、イエスが人となったキリスト(救い主)である
  ことを否定し、イエスは神ではないと語っていました。しかし、ヨハネは、
  『
人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。
   それによって神からの霊を知りなさい。
』 (4:2)と教えています。

  反キリスト・にせ預言者たちは、人々を惑わし、かき乱す者たちでした。ヨハネはこれ
  らの間違った教えに対して、正しい福音の教理を示し、警告を与えています。
         
  ヨハネは、さらにこの手紙を書いた目的を記しています。
  ① 喜びが全きものとなるため (1:4)
  ② 罪を犯さないようにするため (2:1)
  ③ 永遠のいのちを持っていることをよくわからせるため
    『
私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠の
     いのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
』 (5:13)
                
  永遠のいのちを得、勝利ある信仰生活を送るには、イエス・キリストが示された教え(
聖書のみことば)以外には
  ありません。それは、『
イエスが神の御子キリストである』ことを信じることです。

      『
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。
       ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
』 (4:9)


             
        
      



 2018.2.18 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 27:18~29 エサウとヤコブ(偽りの報い)

  きょうの聖書箇所 創世記27章には、ヤコブが兄エサウの祝福を奪う出来事が記
  されています。
アブラハムの約束の子イサクに、エサウとヤコブの双子の兄弟が与
  えられました。しかし、二人は誕生前に、
    『
二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。
     一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。
』 (25:23)と、
  主のみこころが示されていたのです。
       
  『
イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなったとき・・・』(27:1)それは、
  イサクの最晩年の時のことです。愛するエサウに長子の祝福を与えようとします。し
  かし、妻の
リベカは、自らが愛するヤコブを守ろうと、イサクをあざむく策略を練るので
  す。ヤコブは、最初はためらいながらも、母と共に父イサクをだまして、跡継ぎとして
  の権利を得ようとしました。ヤコブはエサウの服を着、子やぎの毛皮を使って毛深い
  エサウになりすましたのです。そして、イサクの前に嘘を積み重ねます。
           
        『
国々の民はおまえに仕え、国民はおまえを伏し拝み、おまえは兄弟たちの主となり、
         おまえの母の子らが おまえを伏し拝むように。おまえをのろう者はのろわれ、
         おまえを祝福する者は祝福されるように。
』 (27:29)

  ヤコブは、祖父アブラハムに与えられた祝福の約束を受け継ぎますが、その生涯は終わりまで、大変な労苦と
  試練が続くことになるのでした。神のご計画は必ず成就しますが、人はその行いと報いをその身に負うのです。
                   
  このような裏切りやあざむきを通しても、神のご計画は実現していくのです。聖書には、人間の弱さ・愚かさ・罪が
  隠さず記されています。
イエス・キリストの十字架は、人々を罪と滅びから救うためです。私たちが信仰によって
  この恵みを受け取ることができますように。

    『
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
                                                 コリント人への手紙 第一 1:18


               
                    



 2018.2.11 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 24:1~27 アブラハムのしもべの祈り

  きょうの聖書箇所 創世記24章には、アブラハムの息子イサクのお嫁さん選び・
  結婚に関する出来事が記されています。
  アブラハムは年を重ね、老人になっていました。一人息子のイサクの結婚について、
  異教の習慣に染まったカナンの地からではなく、真の神を信じる自分の関係者から
  お嫁さんを迎えたい、という思いがありました。
  アブラハムのしもべは、主人から重要な仕事を任せられます。それは、イサクの妻と
  なる女性を探して、神が約束されたこの地に連れて来る、ということでした。

     『・・・・
主は、御使いをあなたの前に遣わされる。・・・・』 (7節)
    

  町の外の井戸のところに着いたしもべは、まずお祈りしました。それは具体的な祈
  りでした。その祈りが終わらないうちに、一人の女性
リベカが現れます。彼女は、そ
  のしもべだけでなく、らくだにまで水を飲ませてくれました。健康で、旅人に親切を尽
  くし、らくだにさえ心配りができる優しい女性だったのです。しもべの祈りは、見事にすぐに答えられました。

  『
この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。』(21節)
                

  神の不思議な摂理と、確かな導きに、しもべは感謝してひざまずき、主を礼拝して感謝の祈りをささげました。

  『
そこでその人は、ひざまずき、主を礼拝して、言った。
   「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は 私の主人に対する恵みとまこととを
    お捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。
』(26,27節)

  クリスチャンの最大の武具は、祈りです。いつも、祈りつつ主と共に歩むことができますように。

                       『
主の山の上には備えがある。』 (22:14)


        
            



 2018.2.4 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 6篇 悩みの日の祈り

  きょうの聖書箇所詩篇6篇は、表題に「ダビデの賛歌」とあります。詩篇の約半数
  は、ダビデの作となっています。
  私たちは日々の生活の中で、喜びの日があり、悲しみ・苦しみの日もあります。
  詩篇の内容は、苦悩・悔い改め・感謝・賛美・・・であり、現代の私たちの告白・祈り
  に通じています。

      『
私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。
       あなたは、私の苦しみのときに ゆとりを与えてくださいました。
       私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。
』 (4:1)
      

  ダビデは、自分の罪深さを自覚していました。神がその罪を責められ、弱り果てて、
  恐れおののいていたのです。
    『
主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。
     主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。
』 (6:2)

  病気のために、敵のために、あるいは自らの罪のゆえに、苦しい状況が続くとき、神に助けを仰ぐ祈りが出来るこ
  とは、幸いなことです。
           『
帰って来てください。主よ。私のたましいを助け出してください。
            あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。
』 (6:4)
                      
  ダビデは深い苦しみの中で、
真実な悔い改めと信仰によって、祈りました。困難な状況にあっても、ついには神の
  恵みと助けを確信し、感謝と賛美に変えられていったのです。

           『
主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。』 (6:9)

           『
その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう。
            いと高き方、主の御名をほめ歌おう。
』 (7:17)


                



 2018.1.28 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
コロサイ 3:12~25 結びの帯は愛

  きょうの聖書箇所 コロサイ人への手紙の著者は、使徒パウロです。この手紙は
  『
牢につながれている』(4:18)状況で書かれたので、<獄中書簡>の一つとさ
  れています。
  3章は、キリストにある新しい生き方について記しています。私たちは、
イエス・キリ
  スト
を信じた時に、新しい人を着せていただいたのです。

  『・・・・
あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を
   着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、
   真の知識に至るのです。
』(3:9,10)
      
  キリスト者として、
新しいいのちが与えられた私たちは、さらに、ふさわしいものを
  身につけていくのです。それは、深い同情心・慈愛・謙遜・柔和・寛容、互いに赦し
  合うことです。    そして・・・・・・
  『
これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。』 (3:14)
                
  キリストの平和・感謝の心・神への賛美は、私たちの着衣を輝かせます。その後、パウロは、家庭生活において、
  主人と奴隷の関係において、具体的な勧めをしています。
  
      『
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。』 (3:23)

      
神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として(3:12)、日々感謝をもって生活できますように。


            
               



 2018.1.21 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 19:1~22 主のあわれみによる

  きょうの聖書箇所 創世記19章は、「ソドムとゴモラの滅亡」の出来事が記されて
  います。
  『
ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
  (18:20)とあるように、
アブラハムの甥ロトが住んでいたソドムの町は、倫理的・
  道徳的に腐敗し罪悪に満ちていました。二人の御使いがソドムにやって来た時も、
  町の人々は性的にゆがんだ欲望をあらわにします。また、御使いを守ろうとしたロト
  の対応にも問題があり、ソドムの人々の悪影響を受けていたことが分かります。
       

  御使いは、なんとかロトと身内の者を助け出そうとしました。
  『
御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふた
   りの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅
   ぼし尽くされてしまおう。」
』 (19:15)

  『
しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。
   ――主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
』 (19:16)

  ためらうロトでしたが、御使いたちは、彼らの手をつかんで連れ出してくださったのです。それは唯々
神のあわれみ
  であり、アブラハムの
信仰と、とりなしの祈りのゆえです。
  『
彼(アブラハム)はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。 もし
   やそこに十人見つかるかもしれません。すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」

  (18:32)   ソドムの地には、10人の正しい者がいなかったのです。
  
   私たちも、まわりの方々の救いのために、日々とりなしの祈りができますように。



   
                  




 2018.1.14 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 13章 アブラハムの信仰の歩み

  「イスラエル民族の父」と呼ばれるアブラハム(きょうの箇所13章ではアブラム
  の歩みは、神さまからのお取り扱いを受ける、試練の連続であったと言えます。彼
  は、さまざまな事を通して、信仰をためされました。
  しかし、『
そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、
  主の御名によって祈った。
』(13:4)とあるように、アブラムは信仰者であり、生活
  の中心に、いつも主を
礼拝し、祈ることを据えていたのです。私たちも、たとえ欠け
  があっても、精一杯の礼拝をおささげしたいと願います。
       

  アブラムと共に旅を続けてきた甥のロトとの間に、むずかしい問題が生じます。お互
  いの持ち物が増え、場所・牧草・水が不足し、牧者たちとの間に争いも起こったの
  です。アブラムは、争いや憎しみを避けるため、別れて暮らす決断をしました。
  年長者として、当然自分にあるはずの土地の選択権をロトに譲り、先にロトに選ばせ
  たのです。それは、彼の謙遜さと、目先の利益に飛び付かない
信仰による決断でした

  『
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には
   報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
』 ヘブル 11:6
                 

  アブラムは、神さまから祝福のとこばをいただきました。
     『
わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
      わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、
      あなたの子孫をも数えることができよう。
』 (13:15,16)

  私たちもさまざまな試練を経験しますが、神さまの導きに従順に従っていきたいと思います。

    『
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、
     神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
』 ローマ4:20,21


                 



 2018.1.7 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
創世記 6章 ノアの生き方

  今年も神さまの豊かな祝福がありますように、お祈り申し上げます。

  
創世記は、聖書の最初の書です。そして、創世記の初めには、天地万物と
  人間の創造が記されています。『
神はお造りになったすべてのものを見られ
  た。見よ。それは非常によかった。
』(1:31)とあります。
  しかし、最初の人・アダムとエバが神の命令を守らずに、蛇(サタン)の誘惑に
  負けてしまったことから、人類に罪が入ります。罪を犯した結果、エデンの園か
  らの追放、家族間の殺人など、痛み・苦しみを経験しますが、しかし、そこにも
  
神の愛が示されて、救いの道も備えられたのです。
     
  アダムの子孫レメクの子
ノアの時代は、人口が増加し、さらに地は堕落と暴虐で満ちていきました。
  『
主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
                                                                  (6:5)
  神は、たいへん心を痛められました。しかし、そのような時代にあっても、ノアは神を信じ従う人でした。
  『
ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。』(6:9)
                 
  神は、大洪水によって、地上のすべてのものをさばかれますが、ノアと彼の家族に心を留められ、箱舟を造るように
  命じられました。いつも、主の命令・おしえに喜んで従うノアのように、私たちも
みことば(聖書)に従って歩むことが
  できますように。

   『
ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。』(6:22)

   『
信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その
    家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となり
    ました。
』 ヘブル 11:7


          
  
                



 2017.12.31 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 150篇 ハレルヤ、アーメン

  聖書66巻中、最も分量のある詩篇の最後、150篇がきょうの聖書箇所で
  す。146篇~150篇は、「
ハレルヤ詩篇」と呼ばれていて、ハレルヤで始
  まりハレルヤで終わる賛美の詩篇です。
  「
ハレルヤ」は、ヘブル語で「主を賛美せよ・主をほめたたえよ」の意味で
  聖書の中で繰り返し用いられている重要な言葉です。

  『
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。』 (150:6)
    

  150篇は、全節「神をほめたたえよ」と勧めています。私たちは、どこででも
  主を賛美することが出来ます。私たちを愛し、十字架による救いを成し遂げ
  てくださった神を見上げる時、賛美が溢れます。私たちの感謝・賛美を、神は喜んでくださるのです。

    『
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』 (103:2)
                  
  詩篇は、今から約3000年前に作られたものですが、現代の私たちにも同じように、真理・恵みを与えてくれます。
  それは、人間の本質と救いの真理は変わらないからです。生きて働く神のみことばが、聖霊の助けの中で、一人
  一人に語り続けてくださるのです。  今年一年の神さまの恵みを感謝いたします

            『
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。・・・・』 伝道者の書 3:11


             
      



 2017.12.24 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マタイの福音書 2:1~12 幼子への礼拝
           クリスマスおめでとうございます。

  クリスマスは、キリスト(救い主)のご降誕をお祝いするもので、きょうは
  世界中でクリスマス礼拝・祝会が行われています。新約聖書の著者たち
  は、クリスマスの出来事・喜びをそれぞれの表現で伝えています。
  私たちの罪を赦し、永遠のいのちを与えるために『
神が人となられた
  のです。信仰によって、この恵み・祝福をいただくことができますように。
     

  救い主に最初にお目にかかり、礼拝をささげたのは、羊の群れの夜番を
  していた
羊飼いたちでした。
    『
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれに
     なりました。この方こそ主キリストです。
』 ルカ 2:11

  きょうの聖書箇所 マタイの福音書2章では、
東方の博士たちが幼子を礼拝した出来事が記されています。どち
  らの場合も、神さまの特別な導きがありました。博士たちは、大いなる喜びをもって、黄金・乳香・没薬をささげ、ひ
  れ伏して礼拝しました。それらの贈り物は、まさに王・救い主にささげるにふさわしい物だったのです。
                
  今も生きて働いておられるお方、いつも共にいて助け・導いてくださるイエスさまを覚えて生活できますように。

  『・・・
この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる
   特権をお与えになった。
』 ヨハネ 1:12


             
   



 2017.12.17 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マタイの福音書 1:18~25 その名はインマヌエル

  きょうの聖書箇所は、マタイの福音書1章です。
  救い主のお誕生の次第を、著者マタイは、
ヨセフに焦点を当てて記してい
  ます。(ルカの福音書は、
マリヤに焦点を当てています。)
  マリヤの処女降誕は、非常に重要な意味を持っています。それが、信仰の
  妨げになっている人もいるようです。しかし、
救い主イエスさまが、神であ
  り、同時に完全な人となられたことは、この出来事に拠るからです。
  
  ヨセフは、ナザレという小さな町に住む大工でした。マリヤとの結婚を心待
  ちにしていたヨセフに、思いもよらない出来事が起こります。それは、人知
  を超えた神のみわざでした。

   『
その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重
    になったことがわかった。
』(18節)
  
                
  ヨセフは悩み、『内密に去らせようと決め』(19節)ますが、主の使いが夢に現れて語りました。

    『
ダビデの子ヨセフ、恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊による
     のです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪
     から救ってくださる方です。
』 (20,21節)

  ヨセフは信仰と勇気をもって、そのことばを受け入れ、従いました。常に最善を成してくださる神に、すべてをゆだね
  たのです。

       『
見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。
        
訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。』 (23節)


        
          



 2017.12.10 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マタイの福音書 1:1~17 神の恵みの系図

  新約聖書は、マタイの福音書キリストの系図」から始まっています。
  42代、2000年にわたる系図です。
  『
アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。』(1:1)
  
  この書の著者マタイは取税人でしたが、イエスさまの呼びかけに従い、や
  がて12使徒の一人に選ばれました。マタイの福音書は、ユダヤ人読者
  を特に意識して書かれています。しかし、イエスさまは、単にユダヤ人だけ
  の救い主ではなく、全世界の救い主なのです。

  『
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
                                        (28:19)
            

  系図は、旧約の民にとって出自を証明する、かけがえのないものです。
  イエスさまこそが、旧約聖書において預言されていた
メシヤ(救い主)であることを、この系図を通して証しています
  キリストによって成し遂げられた救いは、歴史の初めから神のご計画によるものであったことが、このアブラハムか
  らキリストに至る系図によって示されているのです。

    『
御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、
     大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
』 ローマ 1:3,4
                    
  
アドベント第2週です。私たちの罪を赦し、救いの道を備えてくださった主イエスさま。クリスマスを感謝と喜びに
  満ちて迎えたいと思います。

    『
わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。』 ルカ 1:46,47


               




 2017.12.3 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの黙示録 10章 死に至るまで忠実でありなさい

  本日から、アドベント(待降節)が始まります。イエス・キリストのご降誕と
  再臨を覚える時です。イエスさまのお誕生は、毎年世界中でお祝いされます
  私たちは、死んだ人の誕生祝いはしません。イエスさまは、今も生きて働か
  れています。
  私たちの罪を負って十字架にかかって死なれましたが、3日目によみがえら
  れたのです。アドベントは、救い主イエス・キリストのお誕生を祝うクリスマス
  の備えをし、感謝をもって待ち望む時です。
      

  聖書の最後に置かれている「ヨハネの黙示録」は、これから起こる出来事
  について記されています。それは、患難時代・キリストの再臨・最後の審判・新天新地・・・・です。<黙示>と言わ
  れているように、象徴的表現が多く用いられています。私たちに、主の再臨の時を、信仰と忍耐をもって待ち望むよ
  うに励ます、希望の書なのです。

     『
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。
      神は、彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
      彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。
      なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
 』 (21:3,4)
               
  朝明け前が最も暗いように、キリストが再臨される直前は、暗黒の世界です。前に、天の礼拝の幻を見せられた
  ヨハネですが、これから起こる出来事は、患難と神の怒り・さばきです。にもかかわらず、希望を見いだすことが
  出来るのは、
小羊イエス・キリストの血により、罪を赦され、白い衣を着させていただいているからです。
  私たちは、最期の時まで、信仰によって歩むことができますように。また、この素晴らしい福音をまわりの方々に
  証しできますように。

     『
あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。・・・・・死に至るまで忠実でありなさい。
      そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
』 (2:10)


               



 2017.11.26 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの黙示録 4章 ヨハネの使命

  本日の礼拝に、日本国際ギデオン協会埼玉北支部の2人の方が出席され、お証し
  を伺うことができて感謝でした。また、次のような祈りの課題があげられました。
     贈呈された聖書によって、救いに導かれるように。
     ギデオンの働き手が起こされるように。
     聖書資金が与えられるように。

  聖書を受け取った若い方々が信仰に導かれますように、お祈りしましょう。
     

  きょうの聖書箇所ヨハネの黙示録の著者は、12弟子のヨハネです。この書が書か
  れた時代は、ローマ帝国支配化のもと、キリスト者への迫害が厳しさを増していまし
  た。ヨハネ自身、パトモス島に島流しにされます。そして、そこで神から幻を示され、
  黙示録を書き記しました。迫害に苦しむ信者たちを力づけ、主の再臨を信仰と忍耐を
  もって待ち望むように、励ましているのです。
  かつてのヨハネは、「
雷の子」と呼ばれ、激しい気性の持ち主であったと思われますが、愛の人・思慮深い人に変
  えられていったのです。

  『
ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした。』 (1:2)
              

  2章・3章には、7つの教会への使信が記されています。すべての教会に語られていることは、
  『
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。』です。いつも神のことば・聖書に聞き従うことが
  できますように。
                     
  4章から、天における礼拝・幻が記されています。やがて経験する永遠の御国での礼拝の先取りです。信仰ゆえの
  迫害に苦しむ聖徒たちに、天の礼拝・祝福を見せてくださっているのです。

     『
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に
      来られる方。
』 (4:8)

     『
主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を
      創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。
』 (4:11)


         



 2017.11.19 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 144篇 幸いな生活のために

  きょうの聖書箇所は、詩篇144篇です。表題に「ダビデによる」と記されています。
  ダビデはイスラエルの王であり、戦いの先頭に立つ勇敢な武将でもありました。1節
  と2節に、主なる神がどのようなお方であるのか、8つのことばで表しています。
  ――
岩・恵み・とりで・やぐら・救う方・盾・避け所・私の民を私に服させる方――
  です。ダビデが信仰者としての歩みの中で、体験し、実感してきたことでしょう。多くの
  戦いを経験したダビデにとって、神は常に堅固な避け所だったのです。

     『
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。』 (46:1)
      
  全世界を造られ、歴史を導いておられる神は、小さく弱い存在の私たちを顧みてくだ
  さいます。一人ひとりが、かけがえのない存在として覚えられ、愛されているのです。

     『
主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。
      人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
』 (144:3)
                   
  5節から、祈りのことばが続きます。外敵に悩まされながらも、神に信頼し、神をほめたたえ、助けを祈り求めていま
  す。また、12節からは、王として、民への祝福をとりなす祈りをしています。民と国全体の繁栄と、幸福な生活を願
  っているのです。ダビデは、どのような時にも、
主に拠り頼み・祈り・神を賛美し、信仰によって歩んだのです。

    『
幸いなことよ。このようになる民は。  幸いなことよ。主をおのれの神とするその民は。』 (144:15)



              



 2017.11.12 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 46:1~3 神殿と礼拝の啓示

  きょうの聖書箇所 エゼキエル書は、さばきの宣告が繰り返されていますが、回復の
  預言・神殿再建の預言という希望も語られています。
  神の民・イスラエルは、出エジプトの時代、神から礼拝の規定を事細かに教えられまし
  た。「~しなければならない」という数々の教えは、人々を不自由にするものでは、あり
  ませんでした。このようにすれば、神の前に出て、神を礼拝することが許されるという、
  祝福を受ける恵みの言葉だったのです。
  
安息日(現代においては日曜日)の礼拝を守ることは大切であり、何にも勝る恵み
  です。まごころから、喜びと感謝をもって神を礼拝できますように。

   『
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなり
    ません。
』  ヨハネ 4:24
     
  イスラエルの民は捕囚の時代、国・都・神殿・礼拝を失いました。しかし、あわれみ豊かな神は、回復の約束と共に
  もう一度、ささげ物の規定・礼拝についての啓示を与えてくださいました。これは、恵みの招きです。偶像礼拝の罪
  を犯した民に、唯々まことの生ける神だけを礼拝するように、という愛の招きなのです。

  『
一般の人々も、安息日と新月の祭りの日には、その門の入口で、主の前に礼拝をしなければならない。』
                                                           エゼキエル46:3
                  
  現代の私たちは、これらの旧約の規定の通りに礼拝を行うことを、強制されていません。それは、
救い主イエス・
  キリストの十字架
のゆえです。イエスさまは、ご自身の流した血によって、私たちに礼拝への道、救いへの道を
  開いてくださいました。恵みを感謝しつつ、主への礼拝の生涯を送ることができますように。

      『・・・・・
その日からこの町の名は、『主はここにおられる』と呼ばれる。』  エゼキエル48:35


                  



 2017.11.5 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 40:38~49 神礼拝の回復

  エゼキエル書1~24章は、エルサレム滅亡の預言、25~32章は、諸外国に対する
  さばき、33~48章は、イスラエル回復の預言が記されています。エゼキエル書のキー
  ワードは、『
わたしが主であることを知る』です。神がさばきの宣告をなされるのは、
  人々が罪を悔い改めて、神と共に生きるためです。

   『
あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。
    こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは
    死のうとするのか。
    わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。― 神である主の御告げ。―
    だから、悔い改めて、生きよ。
』 (18:31,32)
        
  神は、罪に罪を重ねる民をさばかれましたが、豊かなあわれみによって、イスラエルに
  回復の希望を与えてくださいました。

    『
「・・・・怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、
     永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ」とあなたを贖う主は仰せられる。
』 イザヤ 54:8
                 
  かつてエルサレムの堕落の幻を見せられたエゼキエルですが、きょうの聖書箇所 40章では、
新しい神殿の幻
  見せられます。この幻が与えられたのは、捕囚から25年後、エルサレム陥落から14年後で、エゼキエルは50歳
  になっていました。
  義なる神は、民の不従順を怒り、捕囚というさばきを下されましたが、必ず解放と帰還・神殿再建が起こるという
  希望を与えてくださいました。
神を愛し、神を礼拝することが、回復と希望の鍵なのです。

    『
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たに
     されています。
』  Ⅱコリント 4:16



          



 2017.10.29 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マタイ 6:9~13 御国を広げよう

  本日は講壇交換礼拝で、本庄キリスト教会(埼玉県)の先生がお話してくださいました
  
  『
御国(みくに)が来ますように。みこころが天で行われるように 地でも行われま
   すように。
』 マタイ 6:10
  きょうの聖書箇所
マタイの福音書 6:9~13は、毎週の礼拝で祈る<主の祈り
  です。これは、
主イエスさまが弟子たちに教えてくださったお祈りです。私たちは、こ
  の地上でみこころを行い、そして、栄光を主にお返ししていくのです。<
主の祈り>は
  キリスト者・主の弟子としての生き方を示しています。

  『
御国』とは、はるか遠い所にいつか行く、ということではありません。この地上にお
  いて、神に支配された生活をしていくことです。自分の思い・考えではなく、主の臨在
  において、主のみわざが成されるのです。
  私たち一人ひとりが、御国の主役です。そして、私たち一人ひとりによって、神の国が
  広がっていくのです。愛と恵みに満ちた関係が、もっともっと広がっていくようにと願い
  ます。
             
  この地において、主のみこころが行われる生活とは、どのようなことでしょう。

  ① 主のみこころが成るように祈る。積極的に願う。  ② 祈ると共に実行する。御霊の賜物を生かして用いる。
  ③ 聖霊なる神の力によって行う。自分の力ではなく、神に拠り頼む。
  ④ 宣教と社会貢献(愛の実践)。パウロは、貧しい人々をいつも顧みた。
    『
ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来た
     ところです。
』 ガラテヤ 2:10
                      
  
イエス・キリストの心を持って生きることを明確にしていく時に、御国は広がるのです。

  ① 人を尊敬する  ② 人を信頼する  ③ 人を好意的に見る  ④ 関心を持つ(愛がないと無関心になる)
  ⑤ 最高の状態で生きられるように  ⑥ 人をさばかない(聖化の途中にあるのですから)

  このような時に、聖霊が働かれます。主の弟子として、主のみこころを行い、御国をつくる事業に私たちも貢献して
  いるのです。

   
このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与える
   ほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して
   来たのです。
   使徒の働き 20:35


                           



 2017.10.22 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 31章 エジプトもさばかれる

  エゼキエル書は、エルサレム滅亡の預言、さらに諸外国に対する神のさばきが記
  されています。29章から32章までは、エジプトに対するさばきが告げられています
  きょうの聖書箇所 29章は、エルサレム陥落のわずか一ヶ月前の預言です。
     
  神の民として特別な祝福を受け、諸外国に主を証しする存在として召されたにもか
  かわらず、神を裏切り、罪に罪を重ねた南ユダ王国は、神のさばきを受けます。
  しかし、それは神の民が、
悔い改めて立ち返るためでした。『わたしが神、主で
  あることを知ろう
』と繰り返し語られています。
          
  バビロン帝国の脅威にさらされていた南ユダ王国は、唯々、神に拠り頼むべきであ
  ったのに、大国エジプトを頼みとしました。しかし、そのエジプトの滅亡をエゼキエル
  は宣告しました。エジプトは、繁栄のゆえにおごり高ぶり、創造主なる神を認めなか
  ったからです。この世のものは、滅び去ります。ただ神のことばだけが、滅びること
  がないのです。

    『
この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。』 マルコ 13:31
                 
  神さまの御前に、謙遜な誠実な歩みができますように。
  全世界を造られ、歴史を支配し導いておられる主を、心から崇め、愛し、従う日々でありますよう、祈ります。

  『
主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。
   それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。
』 ミカ 6:8


                     




 2017.10.15 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネ 21:15~25 三度の問いかけ

  ヨハネの福音書の著者ヨハネは、自らを『イエスが愛された弟子』と言っています
  彼は12弟子の一人で、ゼベダイの子であり、ヤコブの兄弟です。そして、この福音
  書の書かれた目的が、20章31節に記されています。

  『
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたが
   たが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によって いのち
   を得るためである。

      
  ヨハネは、イエスさまの最後の1週間に、多くの記述を費やしています。きょうの聖
  書箇所21章は最後の章で、よみがえられた
イエス・キリストが、ガリラヤでもう一
  度、ご自分を弟子たちに現されたところです。弟子たちは、イエスさまを置いて逃げ
  裏切ったのです。それにもかかわらず、主は弟子たちを見捨てず、赦してくださいま
  した。大漁の奇蹟、さらに朝食の準備までして、共に食事をしてくださったのです。
          
  弟子たちと朝の食事を済ませたあと、イエスさまはペテロに、『
あなたは、この人たち以上に、わたしを愛します
  か。
』(15節)と言われました。3度も『イエスを知らない』と言って否認したペテロに、やはり3度もこの質問をされた
  のです。失敗をして自分の弱さを思い知らされたペテロは『
私があなたを愛することは、あなたがご存知です。』
  
(15節)と答えました。以前の自信に満ちた言葉では、ありませんでした。
  『
あなたは、わたしを愛しますか。』この問いかけは、私たち一人ひとりにも語られています。ただ聖霊の助けと
  導きにより、主イエスさまに従い続けることができますように。

  『
わたし(イエス・キリスト)はぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の
   中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすること
   ができないからです。
』 (15:5)


         



 2017.10.8 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネ 19:1~16 キリストとピラト

  イエス・キリストは、ユダヤの指導者により捕らえられ、総督ピラトのもとに連れて行
  かれました。ピラトは、イエスさまをむち打ちにし、兵士たちは、いばらの冠をかぶらせ
  顔を平手で打って、ののしったのです。イエスさまは、後に十字架を背負うことが出来
  ないほどに、肉体的な痛みを受けましたが、心理的にも、人々のあざけりや弟子たち
  の裏切りという苦しみを受けました。
     
  ピラトは、人々がねたみから、イエスさまを引き渡したことに気づいていました。
  『・・・・
私はこの人には罪を認めません。』(19:6)と語っています。
  しかし、群衆の「十字架につけろ」と激しく叫ぶ声に負けてしまいました。騒動を恐れ
  保身に走ったピラトは、イエス・キリストを十字架につけるため、引き渡したのです。
  <
使徒信条>の中で、『ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け・・・・・』と唱えられ
  続けていくことになったのです。
          
  しかし、イエス・キリストの苦しみは、神のご計画でした。なぜ、不当な、理不尽な苦しみを負われたのでしょうか。
  それは、私たちのそむき・かたくなな罪のゆえです。イエスさまは、
私たちの救いのために、すべての苦しみに耐え
  られ、十字架へと進まれたのです。

  『
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり
   返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
   そして、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、
   義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

                                               ペテロの手紙 第一 2:22~24


                



 2017.10.1 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 137篇 捕囚の民の苦しみ

  きょうの聖書箇所 詩篇137篇は、捕囚の民の苦しみがつづられています。
  本篇の前は、『
天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。』(136:26)
  後ろは、『
私は心を尽くしてあなたに感謝します。』(138:1)というように、
  感謝・恵みにあふれた詩篇です。
  しかし、137篇は、『バビロンの川のほとり』(1節)が、この詩の生まれた背景で、
  捕囚の地バビロンでのイスラエルの民の嘆きがつづられています。
     
  
エゼキエルは、バビロンで預言者としての召しを受け、人々に神のことばを語り続け
  ました。民が聞いても聞かなくても、忠実に自分の役割を果たしたのです。

            『・・・・
悔い改めて、生きよ。』 エゼキエル 18:32
            
  捕囚の地で、民を捕虜として連れて来た者たちが、『シオンの歌を一つ歌え』(3節)
  と、余興で物笑いにしようとする時に、その求めを拒否したのです。それは、ヘブル人としての信仰と誇りのゆえで
  
した。
  クリスチャンは、この世で様々な戦いがあります。信仰者としての聖なる誇りを保てますように、主の守りと助けを
  祈ります。

    『
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。』 ローマ 12:21

    『
あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたし(イエス・キリスト)は
     すでに世に勝ったのです。
』 ヨハネ 16:33


            
                



 2017.9.24 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 22:1~16 悪から離れよ

  祭司エゼキエルは、捕囚となってバビロンの地に連れて行かれてから、5年目に、
  預言者としての召しを受けます。イスラエル滅亡という辛く悲しい預言、神のさばきを
  人々に語りました。彼は、言葉だけでなく、行動・生活を通しても、神のメッセージを
  表しました。それは、何百日も横たわってパンを食べたり(4章)、愛する妻が死んで
  も、『泣くな。・・・喪に服するな。・・・』(24章)という、辛いことでした。
  しかし、エゼキエルは、『
私は命じられたとおりにした。』(24:18)とある通り、どの
  ような時にも、神の命令に従ったのです。自分の思い・考えではなく、神のみこころを
  第一としたのです。
        

  滅亡が近づきつつあるエルサレムでは、エレミヤが神のことばを語り、捕囚の地で
  は、
エゼキエルが民に語り続けました。きょうの聖書箇所 22章には、エルサレム
  のさばきの原因となった数々の罪が挙げられています。
  まことの神への礼拝が行われるべき「聖なる都」が、「流血の町」と言われています。
  偶像礼拝・社会的な罪・道徳的な罪・・・・神を忘れ、神以外のものを第一に生き方が、人々を悪へとおとしいれるの
  です。
  しかし、神は、人々が悔い改めて生きることを、望んでおられます。
イエス・キリストの十字架は、私たちの罪を赦
  すためです。信じる者に、赦しを、
永遠のいのちを与えてくださるのです。

       『
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある
        永遠のいのちです。
』 ローマ 6:23


               



 2017.9.17 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 18:1~18 責任を負う覚悟

  エゼキエルは、2度目の捕囚でバビロンに捕らえ移され、捕囚の民と共に住んで、
  預言者として働きました。イスラエルの民は、神の教えに聞き従わず、罪に罪を重ね
  た結果、バビロン捕囚という神のさばきを受けたのです。
  しかし、捕囚は絶望ではなく、
希望・回復のメッセージも語られています。神は、い
  つも人々が
悔い改めて、立ち返ることを願っておられるのです。
     

  『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』(18:2)ということわざは、
  先祖の罪の結果として、自分たちがこのような不幸な状況になっている、という思い
  を語っています。イスラエルの民は、被害者意識を持っていました。
  しかし、神は、そうではないと語られます。罪の責任は一人ひとりが負うもので、神
  は、一人ひとりの行いに応じてさばかれるのです。

    『
見よ。すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちも
     わたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。
』 (18:4)

  神はエゼキエルを通して、生きるべき道を教えられました。『必ず死ぬ者』と『必ず生きる者』とが記されています。

   『
・・・・わたしのおきてに従って歩み、まことをもって わたしの定めを守り行おう。こういう人が正しい人で、
    必ず生きる。・・・
』 (18:9)
                  

  私たちは、神の前にその生き方が問われています。へりくだり、いつも神のみこころに従って歩むことができますよ
  うに。

    『
あなたがたの犯したすべてのそむきの罪を あなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と
     新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
     わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。―― 神である主の御告げ ――だから、悔い改めて、
     生きよ。
』 (18:31,32)


                   



 2017.9.10 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 13:1~9 人を生かす神のことば

  エゼキエルは、バビロン捕囚・南ユダ王国滅亡の時の預言者です。預言者は、神の
  ことばを直接預かり人々に語る、という非常に大切な働きを担っていました。神のこと
  ばを忠実に語るということは、そむきの罪やさばきを宣告しなければならないこともあり
  厳しく辛い働きでした。
  一方、エゼキエル書には、にせ預言者もたくさん登場します。神に召されていない彼
  らは、神からのことばではなく、王や民が喜び、受け入れやすいことばを語りました。
  その罪は重く、わざわいが来ると語られています。

  『
神である主はこう仰せられる。自分で何も見ないのに、自分の霊に従う愚かな
   預言者どもにわざわいが来る。
』 (13:3)
         
  民が間違った生き方をして苦しんでいる時、エゼキエルは悔い改めを迫りましたが、
  人々は受け入れませんでした。ところが、悔い改めを語らないにせ預言者たちが、これ
  からも平和だ、と言うと、民は聞き従いました。自分にとって都合のよいことだけを聞き入れたのです。
  人々は、ますます間違った道に進んで苦しみました。たとえ、耳に痛いことでも、まことの神のみことばに聞き従う時
  苦しみ倒れた人々は癒され、人生は建て上げられるのです。
  『
あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう』と繰り返し語られています。まことの神を知るとは、日々、
  みとば(聖書)を読み、祈りつつ、主に従って歩むことです。


  『
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から
   私たちをきよめてくださいます。
』  ヨハネの手紙 第一 1:9


               




 2017.9.3 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エゼキエル 6章 わたしが主であることを知ろう

  南ユダ王国は、バビロン捕囚・エルサレム陥落という神の厳しいさばきを受けました。
  それは、神への背信のゆえです。周辺諸国に神を証しする存在として選ばれたにもか
  かわらず、神の教えに従わず、偶像礼拝の罪を重ね、さらに回りの諸国の民よりも狂暴
  になってしまったのです。

  『
彼らは、わたしが主であること、また、わたしがゆえもなくこのわざわいを彼らに
   下すと言ったのではないことを知ろう。
』 (6:10)
      
  
祭司エゼキエルは、当時の王エホヤキンをはじめ多くの民と共に、異国の地バビロン
  に捕囚の民として移されました。そして、5年目に預言者として召されます。そこには、
  すでに捕囚となった
ダニエルがいて、王宮に住み要職につき、預言者として働いてい
  ました。一方、エゼキエルは、ケバル川のほとりで捕囚の民と共に生活し、神のことば
  を語ります。さらに、
エレミヤは、エルサレムにおいて預言者として活動しました。それぞれ神が遣わされた場所で
  働きを全うしたのです。
                     
  神は罪に対してさばきを与えましたが、必ず回復と希望を与えてくださるお方です。ご自分の民を愛する神は、民が
  悔い改めて、立ち返ることを望んでおられるのです。
  『
あなたがたは、わたしが主であることを知ろう』と繰り返し語られています。日々、罪を悔い改めて、主に喜ばれ
  る歩みができますように。

     『
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――
      それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるため
      のものだ。
』 エレミヤ 29:11


                    




 2017.8.27 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 17:1~19 イエスの祈り

  イエス・キリストは十字架の前日、「二階の大広間」に弟子たちを集めて、最後の時を過
  ごされました。(ヨハネの福音書 13~17章)
  きょうの聖書箇所 17章は、その最後の部分で<
大祭司の祈り>と言われています。
  イエスさまは今も、大祭司として私たちのために、とりなしの祈りをささげてくださってい
  ます。主は、私たちの近く、すぐそばにいてくださるお方です。

  『
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられ
   ることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければなら
   ないのです。
』 ヘブル 11:6
       
  17章は、3つに分けることができます。
    ① ご自身のための祈り(1~5)
    ② 弟子たちのための祈り(6~19)
    ③ 後に信じる者のための祈り(20~26)
                  
  今回は、特に1~5節を中心に見ていきましょう。
  『
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを
   知ることです。
』 (17:3)

  <
永遠のいのち>とは・・・・天国に行ける、とは良く知られていることです。ここでは、さらに『父なる神と子なる
  イエス・キリストを知る
』と記されています。「知る」とは、お互いの信頼に基づく全人格的な深い交わりを意味し
  ます。それは、聖書を学ぶことであり、祈りであって、継続することが大切です。それにより、私たちは、励まし・
  慰め・力を受けることができるのです。


         『
真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。』(17:17)



                




 2017.8.20 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 13:21~38 ユダとペテロ

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書13章には、イエスさまの十字架の前夜、すなわ
  ち最後の晩餐の出来事が記されています。ここには驚くべき事が記されています。
  第一に、イエスさまの<
洗足>の行為です。足を洗うということは、しもべの仕事です。
  神であられるお方が、ここまでへりくだり仕える姿を、弟子たち・私たちに模範として示し
  てくださったのです。主の御姿にならい、謙遜な歩みができますようにと、祈ります。
     
  第二に、<
裏切る者がいる>というイエスさまのことばです。弟子たちは誰のことかも
  また、イエスがユダに語られたことばの意味も、理解することが出来ませんでした。
  ユダはお金の管理という大切な仕事を任されていましたが、その中から盗んでいたの
  です。他の弟子たちには気づいていなくても、イエスさまはすべてをご存知でした。神の
  細き御声を退け、聞こうとしないと、罪に陥りやすいのです。
          
  第三は、<
ペテロの裏切り>のイエスさまの予告です。『あなたのためにはいのちも捨てます。』(13:37)とも
  語ったペテロでしたが、「イエスを知らない」と3度も否認します。その後、『・・・
彼は出て行って、激しく泣いた。
  (マタイ26:75)のでした。
  ユダと違って、ペテロは心から
悔い改め、生涯を主にささげ、聖霊の力によってすばらしい働きを成したのです。

   『
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、
    あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによって あなたがたが
    わたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです
。』 (13:34,35)


           
                



 2017.8.13 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 11:45~57 十字架の預言

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書11章には、「ラザロのよみがえり」の出来事が
  記されています。マリヤとマルタの兄弟ラザロは、病気にかかり死んでしまいます。
  イエスさまが到着された時には、墓に入れられてから4日も経っていました。しかし、
  イエスさまは、
  『
わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きる
   のです。
・・・』 (11:25)と言われ・・・・
  ラザロはよみがえります‼ 死者が生き返るという、神のみわざが成されたのです。
  
イエス・キリストを信じる者にとって、死は終わりではありません。肉体は滅んでも、
  
永遠のいのちを持ち、復活の望みがあるのです。
        

  イエスさまによるラザロのよみがえりの奇蹟は、人々に2つの反応を起こさせました。
  多くのユダヤ人はイエスさまを信じたのですが、祭司長やパリサイ人などの指導者たち
  は、なんと殺害計画を立てたのです。指導者たちは、イエスさまを、自分たちの権威をお
  びやかす危険な存在としてとらえていました。イエスさまの
しるし(奇蹟)を目の当たりにしながら、真理から目をそ
  むけ、自分たちの特権を守ることに固執したのです。

                      
  ユダヤ人の過越の祭りが近づいていました。イエスさまは、ご自身が過越の小羊として、人々の罪のために十字
  架にかかることをご存知でした。
                        『
見よ、世の罪を取り除く神の小羊。・・・・』 (1:29)

  
イエス・キリストは、私たちの罪のために十字架で尊い血潮を流されました。そして、3日目によみがえられ、今も
  生きておられます。日々、主に喜ばれる歩みができますように。福音のすばらしさを証しできますように。


   『
イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったでは
    ありませんか。」
 』 (11:40)


                    



 2017.8.6 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 9:24~41 霊的開眼

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書9章は、イエスさまが生まれつきの盲人をいやさ
  れた出来事が記されています。

  イエスさま一行は道の途中で、生まれつきの盲人と出会います。弟子たちは、彼が
  盲目に生まれついたのは、この人か、あるいは両親の罪の結果であろうと、因果応
  報的な質問をします。しかし、主イエスは、
  『
この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れ
   るためです。
』(9:3)と答えられました。
  その男は、イエスさまが言われた通り素直に従った時、見えるようになります。これは
  
イエス・キリストが救い主であることを示す奇蹟(しるし)でした。
       

  しかし、この出来事が安息日に行われたため、パリサイ人が問題にします。けれども
  安息日は、人間のために定められたのです。
  『・・・
安息日に良いことをすることは、正しいのです。』(マタイ12:12)

  パリサイ人の信仰は形式的であり、霊的な目が開かれていませんでした。
                   
  いやされた男は、自分の身に起こったことを率直に語り、証しします。その結果、イエスさまに反対するユダヤ人は
  怒り、男を会堂から追放してしまいました。しかし、イエスさまは彼のことを心配し、捜し出し、声をかけてくださった
  のです。イエスさまとの会話の中で信仰告白がなされます。彼は肉の目だけではなく、
霊の目も開かれたのです。
           『
彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして、彼はイエスを拝した。』 (9:38)

  
       『
私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇(くす)しいわざに思いを潜めます。』 (詩篇145:5)


                     



 2017.7.30 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 7:37~53 生ける水の川

  本日は講壇交換礼拝で、足利キリスト教会(栃木県)の先生がお話してくださいまし
  た。

  
イエスさまが伝道を開始された時、戸惑い、疑う人々がいました。「この人は本当に
  キリスト(救い主)なのか?」「 ただ群衆を惑わせているだけなのか?」・・・霊的な目
  が開かれていなかったのです。特に民の指導者たちは、イエス・キリストの言葉も
  みわざも受け入れようとは、しませんでした。
     

  仮庵の祭りの終わりの日に、イエスさまは群衆に語りました。
  「
だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」 (37節)

  自分が渇いていることに、気づいていない人もいます。自分の弱さや罪に気づき、
  イエスさまの救いを求める人は幸いです。さらにイエスさまは、
  「
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るよう
   になる。
」 (38節)と言われました。
                  
  神(
聖書)のみことばによって、魂の渇きはいやされます。イエス・キリストを救い主として信じ受け入れる時、私
  たちの心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになるのです。それは、まさに
聖霊の働きです。あふれ出し
  た水は、回りの方々にも良い影響を与えていくのです。
  「疑わずに信じる人にならせてください。」と祈り求めていきましょう。この週も、主の恵みの中で、聖霊の導きに
  従って歩んでいきましょう。



   
                



 2017.7.23 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 6:16~33 神への最大の応答

  ヨハネの福音の著者ヨハネは、本書を書いた目的をはっきりと語っています。
  『・・・
これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなた
   がたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを
   得るためである。
』 (20:31)

  きょうの聖書箇所 6章には、2つの奇蹟(
しるし)が記されています。
  <
五千人の給食
   少年が持っていた僅か5つのパンと2匹の魚だけで、男性だけでもおよそ五千人い
   た人々を充分に満たし、なお余ったもので12のかごがいっぱいになりました。

  <
湖の上を歩かれたイエス
   暗闇の中、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、
   幽霊だと思い、恐れたとあります。
         

  これらの奇蹟は、イエスが神であることを証しするためで、人々がイエスを信じ従うためであったのです。しかし、
  群衆は、イエスさまご自身ではなく、自分の空腹を満たすパンを求めてイエスを追いかけて行きました。群衆は自分
  の欲求を満たすことしか考えられず、主イエスを民族解放の王にしようとします。しかし、イエス・キリストは、永遠の
  御国の王であり、人々が救われ、永遠のいのちを持つために働かれたのです。そして・・・、今も生きて働いておら
  れます。

    
  イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、
       わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」 
 (6:35)


               



 2017.7.16 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 4:16~26 真の礼拝

  きょうの聖書箇所ヨハネの福音書4章の舞台は、サマリヤのスカルという町にあった
  ヤコブの井戸です。イエスさまはガリラヤに向かう途中、ここで一人のサマリヤの女性
  と出会います。当時、ユダヤ人はサマリヤ人と関わりを持たず、また、男性が女性に
  親しく声をかけることもありませんでした。しかし、イエスさまは女性に語りかけ、井戸
  の水のことから、
永遠のいのちへの水、すなわち信仰による救いへと導かれました。

  『
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
   わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき
   出ます。
』 (4:14)
         

  永遠のいのちへの水を求める女性に対して、イエスさまは、彼女の罪を指摘されま
  した。罪の悔い改めなしに信仰による救いはないからです。さらに、イエスさまは、
  <
礼拝>について語られました。

     『
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』 (4:24)

   私たちは、主イエスさまがよみがえられた日曜日の朝、礼拝をささげます。私たちの罪を赦すための十字架、
   そして、復活されて今も生きておられる主に、毎週心からの礼拝をおささげできますように。



                        



 2017.7.9 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 1:29~42 神の小羊

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書の著者は、「イエスが愛された弟子」である使徒
  ヨハネです。ゼベダイの子であり、漁師であったヨハネは「
雷の子」と呼ばれたことか
  ら、激しい気性の持ち主であったようです。しかし、彼はイエスさまと共に歩む中で、
  変えられていったのでしょう。彼の書いた福音書や書簡から、思慮深い愛の人として
  のヨハネの姿を見ることができます。
     
  イエス・キリストが公生涯に入る前に、バプテスマのヨハネが登場します。多くの人々
  が、彼のもとに来て罪を告白し、バプテスマを受けました。しかし、ヨハネは自分の働
  きをしっかりと自覚し、キリスト(救い主)について証言し、『
私はその方のくつのひも
  を解く値うちもありません。
』(1:27)と語っています。
            
  バプテスマのヨハネは、主イエスを指して、『
見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
  (1:29)と語りました。
イエス・キリストを説明する<神の小羊>は、ほふられ、ささ
  げられる過越の小羊・犠牲の小羊を意味しています。ヨハネはこのように、世の罪を取り除き、人の罪を贖うキリス
  トのみわざを証言しました。イエスさまは、永遠の初めから存在しておられる神の子であり、救い主なのです。

      『
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、
       ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
』 (3:16)


                   




 2017.7.2 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 128篇 神の祝福のかたち

  きょうの聖書箇所 詩篇128篇は、表題に「都上りの歌」とあり、エルサレムの
  神殿に巡礼する人々によって歌われたものです。神を恐れ、神を礼拝することは、
  祝福を受ける道です。

        『
幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。』 (1節)
     

  前半は、「幸いなことよ」「幸福」「しあわせ」が重ねて歌われ、勤労・家庭(妻と子)
  のことが語られています。また、「ぶどうの木」「オリーブの木」「若木」は、祝福を
  表現しています。
イエス・キリストは、自分にとどまることが実を結ぶ生涯であり、
  それが祝福であると語られました。

  『
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、
   わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。
   わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
』 ヨハネの福音書 15:5
         
、      
  後半には、主からの約束が明確に語られています。祝福のかたちは様々で、それぞれにふさわしい祝福を、神は
  備えてくださっているのです。神は私たちの祈りに応えてくださるお方、いえ、それ以上のみわざを成してくださる
  お方です。この主にいつも信頼して歩むことができますように。

                『
見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。』 (4節)
   『
私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、
    私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
』 詩篇16:8,9

、               




 2017.6.25 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
哀歌 2章 廃墟に立ちすくむ

  きょうの聖書箇所 <哀歌>は、聖書の中で最も悲しい歌です。著者は、エルサレ
  ムの滅亡を嘆き、『
私の目は涙でつぶれ・・・』(2:11)と語っています。かつての
  エルサレム、特にダビデ・ソロモンの時代は、繁栄をきわめ、諸国の羨望の的で
  あったのに、見る影もなくなってしまいました。バビロン捕囚により、人々は捕らえ
  移され、エルサレムは焼失・荒廃したのです。神殿は汚され、敵はあざわらい勝ち
  誇っています。
        

  これらの出来事の原因は、南ユダ王国の罪のためでした。罪に罪を重ねる民への
  神のさばきだったのです。

  『
彼女(南ユダ)の多くのそむきの罪のために、主が彼女を悩ましたのだ。・・』
                                                 (1:5)
  また、良いことだけを語るにせ預言者への責任と厳しい非難が記されています。
   『
あなたの預言者たちは、あなたのために、むなしい、ごまかしばかりを預言
    して、あなたの繁栄を元どおりにするために、あなたの咎(とが)をあばこうともせず、あなたのために、
    むなしい、人を惑わすことばを預言した。
』 (2:14)
                

  しかし、このような苦難と悲しみの中にあっても著者は、希望を語っています。それは、神に対する信仰のことば
  であり、
神のあわれみと慈しみに拠り頼んでいるからです。神は、私たちが心から悔い改めて、神に立ち帰ること
  を願っておられるのです。

     『
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。』 (3:22)
     『
主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。』 (3:25)

           
      



 2017.6.18 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
雅歌 3章 愛する方を見つけた喜び

  <雅歌>のヘブル語聖書での原題は、「歌の中の歌」となっています。
  内容は、男女の恋愛歌であり、愛する者に対する心の様々な動きや結婚について
  記されています。男女の愛の素晴らしさが語られていて、互いに相手を尊重し、愛
  することの大切さを教えられます。

  『
私の上に翻(ひるがえ)るあの方の旗じるしは愛でした。』 雅歌 2:4
      

  ただ、描写的なことも含めて、本書が聖書に入っていることに違和感を覚える声も
  あるようです。しかし、神が与えてくださった聖書66巻の中の一つとして聞き従う
  ことは、大切なことです。そして、<
>は聖書の中で最も大切なテーマです。
  神はひとり子(
イエス・キリスト)をお与えになったほどに、私たちを愛してくださって
  います。

  『
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
                                                          Ⅰコリント 13:13
               

  雅歌を通して、①愛の大切さ ②結婚の大切さ ③人間の愛は成長が必要 ④神の愛の大きさ ⑤キリストと教会
  の関係 について学ぶことができます。私たちは、神の愛によって、他者との間に本当の愛を築くことができるので
  す。

    『
大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、
     自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
』 雅歌 8:7

            『・・・・
キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。』 Ⅱコリント 5:14

               



 2017.6.11 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ネヘミヤ記 11章 再建と祝福

  ネヘミヤ記は、バビロン捕囚からの帰還、エルサレムの城壁再建、宗教改革(エズラ
  と共に)について記されています。
  ネヘミヤは
祈りの人でした。ネヘミヤは事あるごとに神に祈り、祈りの力を私たちに
  教えてくれています。そして、祈りを通して、みこころに対する確信・導きが与えられ
  ました。再建工事に反対する敵に対しても、毅然として立ち向かっています。また、
  エズラとネヘミヤのもとで行われた宗教改革は、<
律法の書>を第一とし、神のみ
  ことばに聞き従い、神を心から礼拝することを教えています。神のあわれみと豊かな
  恵みのゆえに、民は守られてきたのです。
      

  きょうの聖書箇所 11章には、エルサレム・その他の町々の居住者のリストが記さ
  れています。長い年月を経て、エルサレムの城壁は修復・再建されました。しかし、
  帰還の民のほとんどはエルサレム以外の町々に居住し、破壊されたエルサレムに
  住む人たちは多くなかったようです。新しいエルサレムのためには、もっと多くの住民
  が必要とされました。そこで、主の導きの中で、新たに住民となる人たちが選ばれました。さらに、犠牲を払って
  自ら進んでエルサレムに移り住む人々が起こされました。彼らは民から祝福されたのです。

        『
すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。』 (11:2)

  信仰・信頼によって、一歩を踏み出したのです。私たちも神に期待し、信仰によって、日々祈りつつ歩むことが
  できますように。
              『・・・・
私の神。どうか私を覚えて、いつくしんでください。』 (13:31)

                   



 2017.6.4 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
Ⅱコリント 3章 教会誕生の動力

  6月1日は羽生キリスト教会の創立記念日であり、本日の礼拝は、創立記念礼拝
  した。福音伝道協会(現福音伝道教団)による羽生開拓が、1927年(昭和2年)6月
  に開始され、今年は90周年です。
  今、使命があって生かされている私たちです。礼拝を大切にし、神のご計画の中を、
  喜びと感謝をもって歩んでいきたいと願います。また、宣教に励む者とさせていただき
  ましょう。
       

  また、本日は、ペンテコステ記念礼拝です。ペンテコステとはギリシャ語で、五旬節・
  50日目の意味です。イエス・キリストの復活と昇天の後、約束の聖霊が与えられ、エ
  ルサレム教会が誕生しました。<
聖霊降臨日>とも呼ばれています。聖霊はいつも
  私たちと共にいて、助け・守り導いてくださるお方です。

  『・・・
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』  マタイの福音書 28:20
                 

  弟子たちは聖霊に満たされ、イエス・キリストが救い主であると、力強く宣べ伝えていきました。その結果、やがて
  コリントにも教会が誕生します。しかし、この教会にはいくつか問題があり、パウロはそのために手紙を書き送りま
  した。パウロは聖徒たちに、「御霊に仕える者」としての自覚を求めています。御霊の働かれるところに、真の自
  由があります。

  『
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
   私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、
   主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

                                              コリント人への手紙 第二 3:17,18

                 
 



 2017.5.28 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ネヘミヤ記 1章 突然の悲報

  きょうの聖書箇所 ネヘミヤ記は、ネヘミヤがペルシヤ帝国からエルサレムに帰還
  し、城壁再建宗教改革
エズラと共に)を断行したことが記されています。
  ネヘミヤは、ペルシヤ帝国のシュシャンの城で、アルタシャスタ王の献酌官(王の給
  仕役)でした。異教の地であっても、神を信じ、従う者は用いられ、良い影響を与える
  存在として、信頼を得ていたのです。

  『
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。・・・』
                                            ピリピ 2:16
     
  そのネヘミヤのもとに、祖国ユダから数人の者たちがやって来ました。彼らから、あ
  まりにも悲惨なエルサレムの状況を知らされ、ネヘミヤは悲しみに沈みます。
  『
私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して
   天の神の前に祈って
・・・・』 (1:4)

  ネヘミヤは、神の御前に祈りました。イスラエルの民の罪を、自らの罪として告白し、そして、立ち帰る者にくださる
  神のあわれみを求めています。ネヘミヤは、自分がしなければならない事を考え、神が示し・導いてくださることを
  祈っています。

   『
ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を
    傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださ
    いますように。
』 (1:11)

            
                     



 2017.5.21 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エステル記 8章 事の結末はわからない

  本日は召天者記念礼拝でした。天国を仰ぎ見つつ、召された方々のことを思い、
  私たちは地上でいかに生きていくかを考える時です。みことばを深く味わい、今の自
  分の生き方を点検する時でもあります。

  『・・・・
彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
                                    ヘブル人への手紙 11:4
  『
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
                                         Ⅱテモテ 4:7
       

  先週に続いて、きょうもエステル記です。この書の中に、<><>の名は一度
  も出てきません。しかし、歴史を支配される神が、民と共にいて、助け・導いてくださ
  ったことは明らかです。
  アハシュエロス王の次の権力を持つハマンは、自分にひざをかがめないモルデカイ
  のみならず、ユダヤ民族を絶滅させようと陰謀を企てます。絶体絶命の状況の中で、エステルは<
断食・祈り>を
  要請しました。その結果、神から知恵が与えられ、信仰と勇気をもって行動することが出来たのです。そして、大逆
  転・大勝利を得たのでした。
エステルと養父モルデカイの、信仰者としての覚悟と確かな歩みによる勝利です。
  悲しみの日が、喜びの日となったのです。

  『
王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。
   この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。
・・・・』 エステル 8:17

             



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