神は愛です

羽生キリスト教会のホームページへようこそ


    

皆さまのおいでをお待ちしています

2017年度のみことば
どうか、望みの神が、あなたがたを
信仰によるすべての喜びと平和をもって
満たし、聖霊の力によって望みに
あふれさせてくださいますように。
(ローマ 15:13)

 2017.7.16 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 4:16~26 真の礼拝

  きょうの聖書箇所ヨハネの福音書4章の舞台は、サマリヤのスカルという町にあった
  ヤコブの井戸です。イエスさまはガリラヤに向かう途中、ここで一人のサマリヤの女性
  と出会います。当時、ユダヤ人はサマリヤ人と関わりを持たず、また、男性が女性に
  親しく声をかけることもありませんでした。しかし、イエスさまは女性に語りかけ、井戸
  の水のことから、
永遠のいのちへの水、すなわち信仰による救いへと導かれました。

  『
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
   わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき
   出ます。
』 (4:14)
         

  永遠のいのちへの水を求める女性に対して、イエスさまは、彼女の罪を指摘されま
  した。罪の悔い改めなしに信仰による救いはないからです。さらに、イエスさまは、
  <
礼拝>について語られました。

     『
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』 (4:24)

   私たちは、主イエスさまがよみがえられた日曜日の朝、礼拝をささげます。私たちの罪を赦すための十字架、
   そして、復活されて今も生きておられる主に、毎週心からの礼拝をおささげできますように。



                        



 2017.7.9 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネの福音書 1:29~42 神の小羊

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書の著者は、「イエスが愛された弟子」である使徒
  ヨハネです。ゼベダイの子であり、漁師であったヨハネは「
雷の子」と呼ばれたことか
  ら、激しい気性の持ち主であったようです。しかし、彼はイエスさまと共に歩む中で、
  変えられていったのでしょう。彼の書いた福音書や書簡から、思慮深い愛の人として
  のヨハネの姿を見ることができます。
     
  イエス・キリストが公生涯に入る前に、バプテスマのヨハネが登場します。多くの人々
  が、彼のもとに来て罪を告白し、バプテスマを受けました。しかし、ヨハネは自分の働
  きをしっかりと自覚し、キリスト(救い主)について証言し、『
私はその方のくつのひも
  を解く値うちもありません。
』(1:27)と語っています。
            
  バプテスマのヨハネは、主イエスを指して、『
見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
  (1:29)と語りました。
イエス・キリストを説明する<神の小羊>は、ほふられ、ささ
  げられる過越の小羊・犠牲の小羊を意味しています。ヨハネはこのように、世の罪を取り除き、人の罪を贖うキリス
  トのみわざを証言しました。イエスさまは、永遠の初めから存在しておられる神の子であり、救い主なのです。

      『
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、
       ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
』 (3:16)


                   




 2017.7.2 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 128篇 神の祝福のかたち

  きょうの聖書箇所 詩篇128篇は、表題に「都上りの歌」とあり、エルサレムの
  神殿に巡礼する人々によって歌われたものです。神を恐れ、神を礼拝することは、
  祝福を受ける道です。

        『
幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。』 (1節)
     

  前半は、「幸いなことよ」「幸福」「しあわせ」が重ねて歌われ、勤労・家庭(妻と子)
  のことが語られています。また、「ぶどうの木」「オリーブの木」「若木」は、祝福を
  表現しています。
イエス・キリストは、自分にとどまることが実を結ぶ生涯であり、
  それが祝福であると語られました。

  『
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、
   わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。
   わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
』 ヨハネの福音書 15:5
         
、      
  後半には、主からの約束が明確に語られています。祝福のかたちは様々で、それぞれにふさわしい祝福を、神は
  備えてくださっているのです。神は私たちの祈りに応えてくださるお方、いえ、それ以上のみわざを成してくださる
  お方です。この主にいつも信頼して歩むことができますように。

                『
見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。』 (4節)
   『
私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、
    私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
』 詩篇16:8,9

、               




 2017.6.25 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
哀歌 2章 廃墟に立ちすくむ

  きょうの聖書箇所 <哀歌>は、聖書の中で最も悲しい歌です。著者は、エルサレ
  ムの滅亡を嘆き、『
私の目は涙でつぶれ・・・』(2:11)と語っています。かつての
  エルサレム、特にダビデ・ソロモンの時代は、繁栄をきわめ、諸国の羨望の的で
  あったのに、見る影もなくなってしまいました。バビロン捕囚により、人々は捕らえ
  移され、エルサレムは焼失・荒廃したのです。神殿は汚され、敵はあざわらい勝ち
  誇っています。
        

  これらの出来事の原因は、南ユダ王国の罪のためでした。罪に罪を重ねる民への
  神のさばきだったのです。

  『
彼女(南ユダ)の多くのそむきの罪のために、主が彼女を悩ましたのだ。・・』
                                                 (1:5)
  また、良いことだけを語るにせ預言者への責任と厳しい非難が記されています。
   『
あなたの預言者たちは、あなたのために、むなしい、ごまかしばかりを預言
    して、あなたの繁栄を元どおりにするために、あなたの咎(とが)をあばこうともせず、あなたのために、
    むなしい、人を惑わすことばを預言した。
』 (2:14)
                

  しかし、このような苦難と悲しみの中にあっても著者は、希望を語っています。それは、神に対する信仰のことば
  であり、
神のあわれみと慈しみに拠り頼んでいるからです。神は、私たちが心から悔い改めて、神に立ち帰ること
  を願っておられるのです。

     『
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。』 (3:22)
     『
主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。』 (3:25)

           
      



 2017.6.18 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
雅歌 3章 愛する方を見つけた喜び

  <雅歌>のヘブル語聖書での原題は、「歌の中の歌」となっています。
  内容は、男女の恋愛歌であり、愛する者に対する心の様々な動きや結婚について
  記されています。男女の愛の素晴らしさが語られていて、互いに相手を尊重し、愛
  することの大切さを教えられます。

  『
私の上に翻(ひるがえ)るあの方の旗じるしは愛でした。』 雅歌 2:4
      

  ただ、描写的なことも含めて、本書が聖書に入っていることに違和感を覚える声も
  あるようです。しかし、神が与えてくださった聖書66巻の中の一つとして聞き従う
  ことは、大切なことです。そして、<
>は聖書の中で最も大切なテーマです。
  神はひとり子(
イエス・キリスト)をお与えになったほどに、私たちを愛してくださって
  います。

  『
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
                                                          Ⅰコリント 13:13
               

  雅歌を通して、①愛の大切さ ②結婚の大切さ ③人間の愛は成長が必要 ④神の愛の大きさ ⑤キリストと教会
  の関係 について学ぶことができます。私たちは、神の愛によって、他者との間に本当の愛を築くことができるので
  す。

    『
大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、
     自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
』 雅歌 8:7

            『・・・・
キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。』 Ⅱコリント 5:14

               



 2017.6.11 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ネヘミヤ記 11章 再建と祝福

  ネヘミヤ記は、バビロン捕囚からの帰還、エルサレムの城壁再建、宗教改革(エズラ
  と共に)について記されています。
  ネヘミヤは
祈りの人でした。ネヘミヤは事あるごとに神に祈り、祈りの力を私たちに
  教えてくれています。そして、祈りを通して、みこころに対する確信・導きが与えられ
  ました。再建工事に反対する敵に対しても、毅然として立ち向かっています。また、
  エズラとネヘミヤのもとで行われた宗教改革は、<
律法の書>を第一とし、神のみ
  ことばに聞き従い、神を心から礼拝することを教えています。神のあわれみと豊かな
  恵みのゆえに、民は守られてきたのです。
      

  きょうの聖書箇所 11章には、エルサレム・その他の町々の居住者のリストが記さ
  れています。長い年月を経て、エルサレムの城壁は修復・再建されました。しかし、
  帰還の民のほとんどはエルサレム以外の町々に居住し、破壊されたエルサレムに
  住む人たちは多くなかったようです。新しいエルサレムのためには、もっと多くの住民
  が必要とされました。そこで、主の導きの中で、新たに住民となる人たちが選ばれました。さらに、犠牲を払って
  自ら進んでエルサレムに移り住む人々が起こされました。彼らは民から祝福されたのです。

        『
すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。』 (11:2)

  信仰・信頼によって、一歩を踏み出したのです。私たちも神に期待し、信仰によって、日々祈りつつ歩むことが
  できますように。
              『・・・・
私の神。どうか私を覚えて、いつくしんでください。』 (13:31)

                   



 2017.6.4 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
Ⅱコリント 3章 教会誕生の動力

  6月1日は羽生キリスト教会の創立記念日であり、本日の礼拝は、創立記念礼拝
  した。福音伝道協会(現福音伝道教団)による羽生開拓が、1927年(昭和2年)6月
  に開始され、今年は90周年です。
  今、使命があって生かされている私たちです。礼拝を大切にし、神のご計画の中を、
  喜びと感謝をもって歩んでいきたいと願います。また、宣教に励む者とさせていただき
  ましょう。
       

  また、本日は、ペンテコステ記念礼拝です。ペンテコステとはギリシャ語で、五旬節・
  50日目の意味です。イエス・キリストの復活と昇天の後、約束の聖霊が与えられ、エ
  ルサレム教会が誕生しました。<
聖霊降臨日>とも呼ばれています。聖霊はいつも
  私たちと共にいて、助け・守り導いてくださるお方です。

  『・・・
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』  マタイの福音書 28:20
                 

  弟子たちは聖霊に満たされ、イエス・キリストが救い主であると、力強く宣べ伝えていきました。その結果、やがて
  コリントにも教会が誕生します。しかし、この教会にはいくつか問題があり、パウロはそのために手紙を書き送りま
  した。パウロは聖徒たちに、「御霊に仕える者」としての自覚を求めています。御霊の働かれるところに、真の自
  由があります。

  『
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
   私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、
   主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

                                              コリント人への手紙 第二 3:17,18

                 
 



 2017.5.28 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ネヘミヤ記 1章 突然の悲報

  きょうの聖書箇所 ネヘミヤ記は、ネヘミヤがペルシヤ帝国からエルサレムに帰還
  し、城壁再建宗教改革
エズラと共に)を断行したことが記されています。
  ネヘミヤは、ペルシヤ帝国のシュシャンの城で、アルタシャスタ王の献酌官(王の給
  仕役)でした。異教の地であっても、神を信じ、従う者は用いられ、良い影響を与える
  存在として、信頼を得ていたのです。

  『
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。・・・』
                                            ピリピ 2:16
     
  そのネヘミヤのもとに、祖国ユダから数人の者たちがやって来ました。彼らから、あ
  まりにも悲惨なエルサレムの状況を知らされ、ネヘミヤは悲しみに沈みます。
  『
私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して
   天の神の前に祈って
・・・・』 (1:4)

  ネヘミヤは、神の御前に祈りました。イスラエルの民の罪を、自らの罪として告白し、そして、立ち帰る者にくださる
  神のあわれみを求めています。ネヘミヤは、自分がしなければならない事を考え、神が示し・導いてくださることを
  祈っています。

   『
ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を
    傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださ
    いますように。
』 (1:11)

            
                     



 2017.5.21 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エステル記 8章 事の結末はわからない

  本日は召天者記念礼拝でした。天国を仰ぎ見つつ、召された方々のことを思い、
  私たちは地上でいかに生きていくかを考える時です。みことばを深く味わい、今の自
  分の生き方を点検する時でもあります。

  『・・・・
彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
                                    ヘブル人への手紙 11:4
  『
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
                                         Ⅱテモテ 4:7
       

  先週に続いて、きょうもエステル記です。この書の中に、<><>の名は一度
  も出てきません。しかし、歴史を支配される神が、民と共にいて、助け・導いてくださ
  ったことは明らかです。
  アハシュエロス王の次の権力を持つハマンは、自分にひざをかがめないモルデカイ
  のみならず、ユダヤ民族を絶滅させようと陰謀を企てます。絶体絶命の状況の中で、エステルは<
断食・祈り>を
  要請しました。その結果、神から知恵が与えられ、信仰と勇気をもって行動することが出来たのです。そして、大逆
  転・大勝利を得たのでした。
エステルと養父モルデカイの、信仰者としての覚悟と確かな歩みによる勝利です。
  悲しみの日が、喜びの日となったのです。

  『
王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。
   この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。
・・・・』 エステル 8:17

             



 2017.5.14 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エステル記 1章 エステル記の始まり

  きょうの聖書箇所 エステル記は、書名として女性の名が用いられています。聖書
  中、それは本書とルツ記のみです。この書は、ペルシヤの王アハシュエロス(ギリ
  シャ名:クセルクセス)の治世に、信仰者
モルデカイと養女エステルが、イスラエル
  民族を救った出来事が記されています。天地創造の神のご計画・みこころ・導き・
  選びの確かさを知らされます。
      

  アハシュエロス王は、治世の3年目に、半年も宴会を開き『輝かしい王国の富と、
  そのきらびやかな栄誉
』を示します。また、王妃ワシュティをも見せびらかすために
  呼び出しました。しかし、彼女はこれを拒み、王妃の座を失います。そこで、新しい
  王妃として選ばれたのが、エステルです。神のご計画は、歴史全体をつらぬいてい
  て、確かな神の御手のわざが成されます。
           

  ハマンの昇進、自分に対してひざをかがめないモルデカイへの憤り、さらにユダヤ人
  絶滅の法令の発布・・・・という絶体絶命の状況の中で、エステルは信仰によって応答します。それは、死をも覚悟
  したものでした。

    『・・・・
たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、
        死にます。
』 (4:16)

  私たちも時として、勇気ある決断を求められることもあるでしょう。
  
イエス・キリストは、私たちを愛し・赦し、十字架の死により救いを与えてくださいました。日々、みことばに従い、
  みことばの通りに生きることができますように。

   『
もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。
    しかしあなたも、あなたの家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のため
    であるかもしれない。
』 (4:14)

               



 2017.5.7 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
エズラ記 6章 神殿再建は皆の力で

  きょうの聖書箇所 エズラ記は、バビロン捕囚期以降のイスラエルの歴史がつづられて
  います。1~6章は、神殿再建工事と完成について、7~10章は、エズラ自身の活動・
  改革が記されています。
  ペルシャの王クロスの勅令に応答した人々は、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア
  リーダーとして祖国に戻り(第一回帰還団)、神殿再建工事に着手しました。それは、
  エレミヤの預言の成就であり、神のご真実さ・愛・あわれみのゆえです。

 『
まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに70年の満ちるころ、わたしはあなたが
  たを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの地に帰
  らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
  ― 主の御告げ ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなた
  がたに将来と希望を与えるためのものだ。
』 エレミヤ 29:10,11
     

  しかし、神殿再建工事は、様々な苦難・妨害に遭い中断されます。その時、工事の再開を促し、人々を励ますため
  に用いられたのが、預言者
ハガイゼカリヤでした。神殿再建は、神がなしてくださるみ業であり、神に拠り頼むこ
  とが示されたのです。

   『 
これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の
     主は仰せられる。
』 ゼカリヤ 4:6
                  
  第二回帰還団のリーダーは、祭司であり、学者であった
エズラです。
  『
エズラは、・・・・イスラエルの神、主が賜ったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が
   彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。
』 エズラ 7:6

  神殿再建工事には、実際に現場で仕事をした者たちや、背後で祈っていた者たちも用いられました。
  神の壮大なご計画の中で、私たち一人ひとりが役割を果たすことができますように。

             『
主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。
             主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。
』 詩篇127:1

           
 




 2017.4.30 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネ 21:15~22 あなたはわたしを愛しますか

  きょうの礼拝宣教は、奉仕学院生の「救いと献身」についての証し宣教でした。

  私は、小学校の高学年の頃から、むなしい思いをいだくようになり、高校生になって
  からは、宗教関係や哲学の本を読みましたが、答えは見つけられませんでした。
  ある日、アメリカ人の高校生が来て話しが出来る、ということで、友人と教会に行き
  ました。しかし、その高校生は都合が悪く、来なかったのです。賛美やゲームなどが
  あり、楽しいひとときでしたが、<牧師先生のメッセージ>がありました。それは、自
  分にとって想定外のことでした。お話しは分からないところもありましたが、それから
  高校生の集会に出席するようになったのです。
                           
  信じたら、精神の自由を失ってしまうのでは?という思いもありましたが、クリスチャ
  ンは喜びに満ち溢れていました。また、信じるように心に迫るものがあり、
イエス・キ
  リスト
を罪からの救い主として受け入れました。

  『
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリスト
   は、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとお
   りに、三日目によみがえられたこと
・・・・』 コリント人への手紙 第一 15:3,4

  このみことばを、そのまま信じたのです。
  それから、それまで経験したことのない喜びや解放感を感じました。みことばが私の中で実現したと感じたのです。
  神を離れての人生は、むなしいことを知りました。
                                   

  私は、中学・高校の教員として、長年働いてきましたが、定年が近づくにつれて、フルタイムの奉仕者としての思い
  が与えられました。
  
ヨハネの福音書 21章のイエスさまとペテロのやりとりから、献身の祈りへと導いてくださったのです。罪深さと
  無力さに打ちのめされているペテロに、イエスさまは愛の眼差しをもって語られました。

       『・・・
あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。・・・・』 (21:15)
       『・・・
あなたは、わたしに従いなさい。・・・・・』 (21:22)

  年をとっていて無理ではないか、という思いに、神を信じているか、信頼しているか、が問われました。
ヨシュア
  諭し、励まし、助け導いてくださった主が、私をも導いてくださいました。

   『
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者
    には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
』 ヘブル人への手紙 11:6

   日々、信仰によって歩み、賛美と感謝にあふれて生活できますように。

                 



 2017.4.23 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ダニエル書 8章 ダニエルの戸惑い

  きょうの聖書箇所 ダニエル書は、旧約聖書の「預言書」に分類されます。1~6章
  は歴史的部分で、ダニエルの生涯にまつわる出来事が記されています。7~12章
  は預言的部分で、将来起こる事が、幻と預言をもって語られています。
      
  7章には、四つの獣(バビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマ)の幻が記され、8章
  では、ダニエルに、雄羊と雄やぎ(メド・ペルシャ、ギリシャ)の幻が現れます。それは
  国や王の勢力争いが続き、滅ぼし・滅ぼされるという歴史を預言していました。
  天地を創造された神ご自身が、すべての歴史を支配し、導いておられることを示され
  たのです。
          
  ダニエルは、まだ少年の頃、異国バビロンに捕囚の民として連れて行かれました。
  偶像礼拝が盛んな異教の地で、捕囚の全期間を過ごします。どのような状況の中で
  も、信仰を守り、主に仕え続けました。バビロンおよびペルシャ両帝国の要職に就き
  生涯、証し人として生きたのです。私たちも生かされている場所で、主を愛し、生活と言葉で証しできますように。

    『・・・
ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。
     その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。この方は人を救って解放し、天においても、
     地においても、しるしと奇跡を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。
』 (6:26,27)

    『
思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。
                                                                 (12:3)

                 



 2017.4.16 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
マルコ 16:1~8 キリストはよみがえられた

  イースターおめでとうございます。
  
イエス・キリストは、十字架刑と葬りの後、三日目によみがえられました
  主の復活は歴史的事実です。私たちは、その事を心から信じ、今、生きて共にいて
  くださる主の御名をほめたたえます。
     

  神の御子(みこ)イエス・キリストは、何の罪も犯されませんでしたが、十字架という
  最もむごい刑で死なれました。逮捕から不当な裁判、そして、十字架への道でも、
  十字架上でも、暴力・ののしり・あざけりを受けました。それは、私たちの罪のため
  です。私たちの罪を贖うための苦しみと死、だったのです。
        

  きょうの聖書箇所 マルコの福音書16章は、女性たちにスポットを当てて記されて
  います。日曜日の早朝、イエスさまの遺体に油を塗りに行こうとして墓に着きました。
  恐れから、逃げてしまった男の弟子たちとは対照的で、彼女たちの行動は一途で、立派な信仰です。
  しかし、そこで彼女たちは、驚くべき出来事に遭遇します。墓の中の青年(御使い)は語りました。

    『
驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。
     あの方はよみがえられました。ここにはおられません。
・・・・・』 (16:6)
                

  イエス・キリストの復活は、信じることが難しいことかもしれません。しかし、弟子たちが聖霊の力によって変えられ
  たことや、福音の力強い生命力・伝播力など、主の復活無しには、とうてい考えられない事柄が満ちています。
  主の復活は、福音のすべてを証明し、保証します。

  
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
                                                     ヨハネの福音書 11:25

           



 2017.4.9 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ダニエル書 1章 勇気をもって一歩を

  きょうの聖書箇所 ダニエル書は、前半(1~6章)は、歴史的な記述が、後半
  (7~12章)は、幻と預言が記されています。

  『
ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカデネザルが
   エルサレムに来て、これを包囲した。
』 (1:1)
  時は紀元前605年。エルサレムはバビロンに包囲され
ダニエルたち(王族・貴族)
  は、異国バビロンに連れて行かれます。ダニエルは、ユダ部族の王族の一人で、ま
  だ少年でした。バビロンに捕囚されたダニエルたちは、王宮に仕えるのにふさわし
  い人物となるために、教育を受けます。
      

  その中で、ダニエルと3人の友人は、食事の事で、宦官の長に希望を申し出ます。
  それは、偶像礼拝・汚れから身を守るためで、信仰による勇気ある決断でした。

  『
神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。』(1:9)

  神は、ダニエルたちを守り・支え・助け出し、祝福してくださったのです。勇気・冷静さ・識別力は、神が与えてくだ
  さいます。信仰によって、勇気ある一歩を踏み出すことができますように。

  『
神はこの4人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。・・・・』 (1:17)
                 
  今週は受難週であり、
イエス・キリストの十字架を深く思う時です。来週はイースター礼拝です。共にイエスさま
  のよみがえりを喜び、感謝いたしましょう。
  『
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり
   返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
   そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義の
   ために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

                                               ペテロの手紙 第一 2:22~24

              



 2017.4.2 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 119:1~32 信仰の体験談

  きょうの礼拝は、福音伝道教団の聖会中(群馬県伊香保にて)で、牧師が不在のた
  め、教会員の証し(信仰の体験談)でした。

  今年の聖会は、「
バーネット師来日100年記念聖会」です。「神の福音をもって、
  祭司の務めを果たす
」をテーマに行われました。私たちの教団の創立者バーネット
  師が遺してくださった宣教の情熱、主への献身、聖化の歩みを学び、恵みに溢れた
  幸いな集会でした。
    

     (証しは一部抜粋です)
  私は、18歳の時初めて教会に行くようになり、20歳の時、洗礼を受けました。クリス
  チャンになって、56年になります。私は、洗礼を与えられた時に頂いた『朝の祈り・
  夜の祈り』の本を毎日読んでおりますが、その中に、「私の人生を、あなたに仕え
  まつる奉仕に捧げます」という祈りがあります。信仰を与えられたばかりの頃は、この
  祈りも全身全霊をもって喜びに溢れて祈れましたが、今は自らの不信仰さに苦しさを覚えます。
                                  
   今まで長い間、生きるために忙しく、
キリスト・イエスさまにおすがりして、守っていただくばかりの一方的に甘え
  た生活で、信者としては幼いまま、身勝手に生きてきてしまいました。
  主人と2人で穏やかに、1日を過ごすことのできる時を与えられた今、成長には欠かせない、静まって聖書から
  みことばをいただき、じっと愛を注ぎ続けて下さった
キリスト・イエスさまにお答えすることのできる信仰者に成長
  させて頂けますよう、行動を変えていきたい、と願っています。・・・・・・
  今こそ方向をきちんと定めて、残された日、命ある間は、聖霊を注いでいただき、信徒として成長できますよう、
  学び・祈っていきたいと思っております。

        『
幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。』 詩篇 119:2

        『
まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。』  詩篇 119:24

             



 2017.3.26 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ゼカリヤ書 12章 その日、何が起こるのか

  ゼカリヤ書の後半 9章から14章には、『その日』『主の日』という言葉がたくさん
  記され、未来に起こる出来事が啓示されています。その中心は、
救い主(メシヤ)
  の来臨(到来)です。多くのメシヤ預言が記されていて、これらのあるものはキリス
  トの初臨(誕生)で成就し、他は再臨で成就します。
   
  『
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを
   賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
』 (9:9)

  この預言は、ゼカリヤの時代からおよそ500年後に成就しました。人としておいで
  になった
主イエス・キリストは、ろばの子に乗り、王としてエルサレムに入城されま
  した。
          
  11章には、メシヤを拒絶した群れに対するさばきが記されています。
  イスカリオテのユダが、主イエスを裏切って、銀30シェケルで売り渡した行動について預言されています。

  『
主は私に仰せられた。「彼らによってわたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に投げ与えよ。」そこで、
   私は銀30枚を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。
』(11:13)
                  

  14章には、終わりの日の出来事が記されています。
  『
その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。・・・・・』(14:4)

  主イエスは、私たちを罪から救うため、十字架にかかって死なれましたが、3日目によみがえられました。そして・・・
  『
その日』に再臨し、みことばは完全に成就するのです。

   『
この天地は滅び去ります。しかし、わたし(イエス・キリスト)のことばは決して滅びることがありません。
                                                  マタイの福音書 24:35

               



 2017.3.19 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ゼカリヤ書 5章 二つの幻とその意味

  旧約聖書 ゼカリヤ書は、預言者ゼカリヤに啓示された預言が記されています。
  前半(1~8章)は、当時のエルサレムとユダの人々に対して関わりがあり、後半
  (9~14章)は、未来に関する出来事について記されています。
     

  バビロンに捕囚されていたユダヤ人たちは、ペルシャの王クロスから帰還許可と
  神殿再建の命令を受け、帰国します。そして、神殿建設に着手しますが、反対・
  妨害により、18年間工事は中断してしまいました。信仰による故国再建という希望
  は忘れられ、神殿再建と神への礼拝よりも、自分の家を第一にする利己的な生活
  に陥っていました。このような民を励まし、神のみこころを語り、神殿工事を再開さ
  せたのが預言者
ハガイゼカリヤです。

   
それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに
   帰る。そこにわたしの宮が建て直される。
・・・・・』 (1:16)
          

  ゼカリヤ書は、前半部分に8つの幻について記しています。きょうの聖書箇所5章には、第6と第7の幻が語られて
  います。それらは、『
全地にある彼らの罪(5:6)』を表し、民が自分の罪を自覚し、悔い改めを促すものだったの
  です。『
エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した』(1:14)神さまは、いつも、人々が悔い改めて、ご自身
  のもとに立ち帰ることを願っておられるのです。

 
        『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。 (4:6)

             
  




 2017.3.12 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヤコブの手紙 4章 みこころならば、という生き方

  ヤコブの手紙の著者は、イエスさまの兄弟のヤコブです。この書は、口先だけでは
  なく、信仰の実である正しい行いをするように求めています。

  『
また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者
  であってはいけません。
』 (1:22)

  うわべだけのクリスチャンにならないようにと、教えられます。その毅然とした語りか
  けから、時に襟を正していただく必要もあるのではないでしょうか。
      

  きょうの聖書箇所 4章では、欲望に満ちた世俗的な生活や悪口を戒めています。
  自己中心の欲望から、争いや敵対が生じます。また、人に悪口を言うことは、神の
  律法をさばく、という罪を犯しているのです。神はいつも私たちに、へりくだることと、
  神を愛し隣人を愛することを求めておられます。

            『
神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』(4:6)
                 
  私たちが生きているのは、神さまが生かしてくださっているからです。この命を与えてくださった神さまのお考えに
  そって、生きて行くことが大切です。私たちがへりくだる時に、神さまは、みこころにかなう生き方へと導いてくださ
  るのです。

  『
むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、
   あのことをしよう。」
 』 (4:15)

              
          




 2017.3.5 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 33章 祝福のことば

  きょうの聖書箇所 申命記33章は、イスラエル人に対するモーセの祝福のこと
  です。『
神の人モーセが、その死を前にして・・・・』(1節)とあるように、モーセ
  の遺言でもありました。
  先ず、イスラエル全体への祝福が語られます。(2~5節)約束の地を目指し、荒野
  を旅する民に、常に神の臨在と祝福がありました。神は、民を愛し守られたのです

  『
まことに国々の民を愛する方、あなたの御手のうちに、すべての聖徒たちが
   いる。彼らはあなたの足もとに集められ、あなたの御告げを受ける。
』(3節)
       

  次に、イスラエル諸部族への祝福のことばが語られます。(6~25節)祝福のかた
  ちは違っていても、皆それぞれ祝福されているのです。

         『
昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。・・・』(27節)

  様々な困難な状況の中にも、いつも変わらず、私たちを守り・支えてくださる<
永遠の腕>があることは、幸いなこ
  とです。今も生きておられ、永遠なる神が、私たちを慰め・励ましてくださいます。
                 
  本章において、神が恵みと真実に富んでおられることが、再確認されます。神の民とされていることは、本当に幸い
  であり、感謝なことです。

           『
しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。
            主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。
・・・・』 (29節)

                    




 2017.2.26 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 28:58~68 主の御声に聞き従おう

  申命記28章には、祝福とのろいの宣告が記されています。神の御声・命令を守り、
  聞き従う者には祝福が約束され、不従順には、のろいが宣告されます。
  1~14節で、主の命令を守る者への祝福が、まず語られます。
  
  『
もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに
   命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々
   の上にあなたを高くあげられよう。
』 (1節)
  そして、具体的な祝福がその後に語られています。
       
  15節以下は、主の命令に従わない者への、のろいの宣告です。

  『
もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主の
   すべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに
   臨み、あなたはのろわれる。
』 (15節)
  そして、具体的なのろいがその後に続きます。祝福のことばよりも、のろいのことばの方が4倍も長いのです。主の
  道をまっすぐに歩めず、道を踏みはずしやすい私たちに語られた警告のことばとして、厳粛に受け止める必要があ
  るのでしょう。
  これから、新しい地に入って行こうとしているイスラエルの民が、幸せに生活するために、主の御声に聞き従うこと
  は何よりも大切なことです。
              
  主イエスさまの弟子たちも、色々な不安や心配ごとがありました。そんな彼らにイエスさまは言われました。

 『
小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。
   
                                                          ルカ 12:32

  主イエスさまは、私たちのためにのろわれたものとなり、私たちのすべての罪を負って、十字架にかかってくだ
  さったのです。罪を悔い改め、信じる者には、赦しと救いが与えられるのです。

     『
キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してください
      ました。
』 ガラテヤ 3:13

           
              



 2017.2.19 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 24章 証し宣教

  本日の礼拝は、舘野牧師が不在のため、証し宣教でした。2人の方の証しを抜粋
  して掲載します。
       
  2005年10月23日、羽生キリスト教会の礼拝に初めて出席してから、今年で12年に
  なります。兄弟姉妹の深い愛に支えられて現在に至っております。
  教会生活は、とても喜びのある日々の生活です。神さまと繋がれて、励ましと恵み
  が与えられている幸いを、日々覚えて感謝しています。
  私は毎年、軽度の病気をいただいています。けれども、私が一番大切に思っている
  家族がいつも守られていることを感謝しています。私自身は、体調不良で心が折れ
  てしまいそうな時でも、聖書のみことばは、私を励まし、支えてくださっています。
  神さまのご計画の中で、生かされている毎日毎日が感謝です。

  『
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたの
   ことを心配してくださるからです。
』   Ⅰペテロ 5:7

  今まで価値があると思ってきたものさえ、永遠のいのちに比べれば、取るに足りないものと感じられるのです。聖書
  (みことば)こそが本物の生きる糧だと、神さまは私に教えてくださいました。神さまからの預かり物を忠実に用いて
  また、いつも神さまから与えていただいている心の平安を大切にして、幸いな教会生活をこれからも続いて歩んで
  いきたいと思っています。

  『
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて
   益としてくださることを、私たちは知っています。
』    ローマ8:28
                
  私は、社会人になって間もないころ、老婦人牧師の勧めにより教会に行きました。聖書の勧めや説教があり、和や
  かな雰囲気で、日本家屋の畳敷きの部屋での集会でした。しかしその後、私は教会からしばらく遠ざかり、牧師も
  数人替わりましたが、暫くして再び教会の集会に行きました。
  野田牧師が着任した頃、路傍伝道や戸別訪問を精力的に行い、青年会の有志が集い、各種教会の奉仕活動に
  参加しました。当時、特別伝道集会は1年に1回行われました。牧師先生が聖書から分かりやすい話をされた後、
  私たちに、「今まで神から離れた生活をしていたのを見直して、十字架を信じ聖書を信じ、過去の様々な罪に対し
  て心を入れ替え、罪を悔い改め、信仰生活に入るように」と勧めがありました。そして、入信の決断をされた方が
  沢山おられました。

  『
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
                                                      Ⅰコリント 1:18

  また、聖書には「神があなたを愛しておられること、あなたが罪によって神から隔てられていること、イエス・キリスト
  が十字架上において、あなたのために死なれたこと、あなたがイエス・キリストを救い主として、自分を個人的に
  明け渡すとき、イエス・キリストはあなたを徹底的に変えることが出来る」と教えています。
  私は、数多くの聖書のみことばと牧師の勧めによって導かれ、悔い改めをし、十字架の贖い・救いを信じ、信仰を
  決心しました。
  また、聖書には、
  『
神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、
   教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって
   満たす方の満ちておられるところです。
』 エペソ 1:22,23  とあります。
  神さまの不思議な導きと聖書の深い真理の恵みを感じます。

          
               




 2017.2.12 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 17章 権威と秩序

  申命記は、イスラエルの指導者であったモーセの最後の説教です。神の大切な教え
  である<
十戒>を改めて確認しつつ、民が主を愛し、従い、主だけを礼拝すること。
  そして、隣人(となりびと)を愛することを語っています。

  『
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』(6:5)
      

  新しい地に入っていく前に、神に喜ばれる歩みをするために、どう生きていくか、教えら
  れ、整えられていく必要がありました。約束の地カナンを前にして、モーセの説教は
  続きます。
  きょうの聖書箇所 17章においては、<
権威>について語られています。何よりも
  神ご自身の権威が確認されました。全世界を創造され、私たちをも創造された神は、
  権威あるお方です。私たちは、生ける神とみことば(聖書)の権威に喜んで従うことが
  大切です。

         『
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。』(マタイ6:33)
               
  また、悪をさばく権威、王の権威についても語られています。祭司やさばきつかさが悪をさばきましたが、そのさば
  きは慎重に行われ、最終判決には徹底的に従うことが求められました。こうして、町に、人々に秩序が保たれるの
  です。王については、その権威とともに、制限についても語られました。王も高ぶることなく、神の権威・みこころに
  従うことが求められています。神は権威あるお方であるとともに、<
秩序>の神でもあられます。

         『
それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。・・・・・
          ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。
』 Ⅰコリント14:33,40

                 



 2017.2.5 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
Ⅱテモテ 4:1~8 パウロの終活

  「終活」とは、最初の頃は、終焉に向けて行う活動を意味していました。しかし、最近
  では、自分自身の棚卸しをして、今後をより豊かに生きるための活動をする、ととらえ
  る方が多いようです。
         
  きょうの聖書箇所
 テモテへの手紙 第二は、パウロが獄中から書いた手紙です。
  自分の死ぬ時が近いのを予期していたパウロは、牧会者テモテに、励ましと注意を
  語っています。また、個人的な用件を依頼しています。
  パウロは獄中において、若く気の弱いテモテを気遣い、遺言となる手紙を書き記しま
  した。『
終わりの日』『困難な時代』(3:1)にも宣教の務めをしっかり果たすようにと
  の勧めです。

  『
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
   寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
』(4:2)
                   

  パウロは自らの人生を振り返りながら、これから受け取る『義の栄冠』(4:8)を思い描いています。そして、この
  『
義の栄冠』は、イエス・キリストを救い主として信じ、従う私たちにも用意されているのです。

           『
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。』(4:7)

              
   



 2017.1.29 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 111篇 神のみわざにハレルヤ

  きょうの聖書箇所 詩篇111篇は、神ご自身と、神が成してくださったみわざを賛美
  しています。「
ハレルヤ」とは、「主をほめたたえよ」という意味です。

          『
ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。』 (1節)

  主のみわざは偉大であり、力があり、尊厳と威光に満ちています。具体的には、
  「創造・救済」「ゆずりの地への賦与」「贖いと契約」について語られています。神は
  天地を創造され、私たちをも造られました。また、
イエス・キリストによる救いの道も
  備えてくださったのです。私たちは、<
信仰によって>救われるのです。
          
  また、神ご自身についても、賛美されるべきご本質とご性質とが記されています。
  とこしえに変わることがなく、義であり、聖であり、あわれみ深く、契約を守られる神です。

  ハレルヤ


            『
御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。』 (7節)

  主を愛し、恐れ、み教えを守り行う日々でありますように。
            『
主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。
             主の誉れは永遠に堅く立つ。
』  (10節)
       
                 



 2017.1.22 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 5:22~33 主の道をまっすぐに歩もう

  申命記には、モーセの3つの説教が収められています。4章までの最初の説教では
  神さまが、これまでの40年の荒野の生活を守ってくださったことを回想しています。
  きょうの聖書箇所 
5章からは、最も長い二番目の説教です。それはシナイ山(ホレ
  ブ)でモーセに与えられた「
十戒」を思い起こさせることから始まります。

  1.
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(7節)
  2.
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。(8節)
  3.
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。(11節)
  4.
安息日を守って、これを聖なる日とせよ。(12節)
  5.
あなたの父と母を敬え。(16節)
  6.
殺してはならない。(17節)
  7.
姦淫してはならない。(18節)
  8.
盗んではならない。(19節)
  9.
あなたの隣人に対し、偽証してはならない。(20節)
  10.
あなたの隣人の妻を欲しがってはならない。(21節)

  40年の旅を終えて、新しい世代が約束の地に入って行く前に、今生きているひとりひとりと、神は契約を結ばれまし
  た。これから新しい地に入って行く民に、もう一度「
十戒」が語られたのです。
                
  それに続いて、その時の状況や民の反応が記されています。イスラエルの民は、畏敬の念に満たされて、神に
  従うことをモーセに約束します。それは神が喜ばれることでした。民がいつまでも神を恐れ、神のすべての命令を
  守り、しあわせに生きることを願われたのです。

  『
あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行いなさい。右にも左にもそれてはならない。
   あなたがたの神、主が命じられたすべての道を歩まなければならない。あなたがたが生き、しあわせになり
   あなたがたが所有する地で、長く生きるためである。
』 (32,33)

          
                




 2017.1.15 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
申命記 1:19~46 約束の地に入るその前に

  きょうの聖書箇所申命記は、イスラエルの指導者であったモーセの最後の説教です。
  エジプトで奴隷だったイスラエルの民は、神の力強い御手に守られ、導かれて約束の
  地カナンの手前までやってきました。出エジプト後の40年にわたる放浪の旅は、イス
  ラエルの民の不信仰・不平・不満・つぶやき・失敗の多い旅でした。しかし、愛なる神
  は、いつも民と共にいて導いてくださったのです。

  『
事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この
   広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。あなたの神、主は、この40年の間
   あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けたものはなかった。
』 (2:7)
      

  前の世代は、不信仰とその罪ゆえに約束の地に入ることは、許されませんでした。
  しかし、信仰によって主に従い通したヨシュアとカレブだけが、新しい地に入ることが
  できたのです。現在の世代が、約束の地に入る前に、神の民としてみこころに従って生きていくために、モーセは
  神の
お約束(契約)・恵み・御真実を改めて教えています。

  『・・・・
おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、
   主が、エジプトにおいて、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったそのとおりに、あな
   たがたのために戦われるのだ。
』 (1:29,30)
                  
  神は、私たちに関わるすべてのことをご存知です。私たちの祈りに応え、解決と慰めを与えてくださるお方です。
  いつも
信仰によって、歩むことができますように。

  『
それゆえ、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。
                                                      ヘブル人への手紙 3:19

            
      



 2017.1.8 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
Ⅰテモテ 3章 神の家の中で

  テモテへの手紙 第一の著者は、使徒パウロです。エペソの教会を牧会
  するテモテは、年若く経験も浅かったので、手紙を通して励まし、様々な
  注意や勧告を与えています。テモテの父はギリシャ人でしたが、祖母と母
  はユダヤ人で、熱心な信者でした。テモテは教会の監督(現代の牧師)で
  あり、様々な問題に直面していました。

  『
年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。
   かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者
   の模範になりなさい。
』 (4:12)
    

  きょうの聖書箇所 3章では、教会の監督と執事(現代の役員)について、さらに教会について、語っています。
  監督は、群れ(教会)を導く責任を持つ者であり、執事は、監督を補佐し共に教会形成に責任を持つ者です。
  光栄ある務めではありますが、責任も重く、求められる資質も多いのです。神の助けと支え、導きがなければ、
  誰一人なし得ない務めです。
                
  教会は
真理、すなわちキリストを信じて歩む者たちの家であり、この世に主を証しするための柱であり、土台です。

     『・・・
神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。』 (3:15)

  神を礼拝し、真理がまっすぐに語られている教会が、地域の方々に良き証しと伝道ができますように。

        『
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。』 (2:4)

              



 2017.1.1 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 107篇 神からの救い、神への感謝

  明けましておめでとうございます。
  今年も神さまの豊かな祝福がありますように、お祈り致します。

  
詩篇は、150の詩によって成り立っており、全体が5巻にまとめられてい
  ます。きょうの聖書箇所
107篇は、第5巻の冒頭の詩です。様々な苦難
  から私たちを救い出してくださる神に、感謝することを勧めています。
  特に4回繰り返される2つのみことばが、全体の鍵となっています。

     『
この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、
      主は彼らを苦悩から救い出された。
』(6,13,19,28)

     『
彼らは、主の恵みと、人の子らへのくすしいわざを主に感謝せよ。』(8,15,21,31)
                

  イエス・キリストを救い主として信じ受け入れた者は、永遠のいのちが与えられており、救われた者です。けれど
  も日々の生活の中で、目標を見失ったり、病気になったり、人生の海の嵐に遭遇することもあります。しかし、神に
  祈るときに、進むべき道が備えられ、助け出され、嵐を静めて問題を解決してくださるのです。神の大いなる恵み・
  みわざに感謝しつつ生活できますように。

         『
主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。』(1節)

                




 2016.12.25 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨハネ 1:1~18 ことばは人となられた

           クリスマスおめでとうございます。
  クリスマスは、
キリスト(救い主)のご降誕をお祝いするもので、きょうは
  世界中でクリスマス礼拝・祝会が行われています。新約聖書の記者たち
  は、クリスマスの出来事・喜びをそれぞれの表現で伝えています。
  きょうの聖書箇所 
ヨハネの福音書の著者は、イエスさまの弟子であった
  ヨハネです。一介の漁師にすぎず、<雷の子>と呼ばれ、激しい気性の
  持ち主であったように思われるヨハネですが、独特なそして、巧みな表現
  でクリスマスの本質を伝えています。聖霊によって愛の人に変えられ、執
  筆の背後に神の御手があったからです。

  『 
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られた
    ひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
』 (14節)
               

  ヨハネは、イエス・キリストを<ことば><>という言葉によって示しています。神であるお方が、人となって来て
  くださった・・・・これこそがクリスマスの喜びです。そして、イエスさまは、私たちの罪のために十字架にかかり、救い
  の道を備えてくださったのです。イエスさまだけが、罪を赦し永遠のいのちを与えることができるお方です。
  今も生きて働いておられるお方、いつも共にいて助け・導いてくださるイエスさまを覚えて生活できますように。

  『 
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与え
    になった。
』 (12節)

                 



 2016.12.18 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨブ記 42章 ヨブのことば、ヨブの祈り

  きょうの聖書箇所 ヨブ記42章は、ヨブ記の最後です。あらしの中から
  語られる神の声を聞いたヨブは、自分の足りなかったことを自覚し、神の
  御前で素直に悔い改めます。ちりと灰の中での心からの悔い改めが、ヨブ
  の新しい出発となりました。

  『
それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。』(6節)
      

  また、神は3人の友人たちのことも、心に留めておられました。真実を語ら
  なかった彼らに対して、神は怒りを燃やされましたが、友人たちの回復の
  道も備えてくださったのです。ヨブ自身の回復は、3人の友人のために祈
  ることから始まりました。ヨブは元どおりの繁栄と、2倍の所有物をいただきました。あとの半生は、さらに祝福さ
  れたのです。

  『
ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて
   2倍に増された。
』 (10節)
               
  ヨブは最後まで、1,2章に記された神とサタンとのやりとりを知ることは、ありませんでした。試練・苦悩の原因を
  知ることはできなかったのです。しかし、
創造者なる神の偉大な知恵と力・主権・愛・ご支配・・・・を知った時、
  無条件で御前にひれ伏したのです。
  私たちも様々な苦難・悲しみ・問題の中でも、喜びと感謝をもって主を礼拝し続けることができますように。

    
 「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
      (訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
    マタイの福音書 1:23

            
    



 2016.12.11 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨブ記 38:1~21 乗り越えなければ:ヨブ編

  ヨブと3人の友人との論争、エリフの発言のあと、最後に神とヨブとの対話
  が記されています。きょうの聖書箇所 
ヨブ記 38章からは、神ご自身が
  ヨブに語りかけ、苦難の中でヨブが願っていたことが実現します。

  『
知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。』(2節)

  『
潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた』(1:8)ヨブでさえも、
  神の語りかけを聞く中で、乗り越えるべきことが残っていたことが、明らか
  となります。
    

  神は天地を創造され、歴史を支配されるお方です。創造と摂理の中で、偉大な知恵と力を示され、人間にとって計
  り知れないお方なのです。その神の前に、被造物にすぎない人間・ヨブ。神はすべてをご存知で、神が良いと思わ
  れることを確実に達成してくださるのです。私たちは、この事を信頼し続けていけるのです。神は慈愛に富み、あわ
  れみに満ちておられるからです。

    『
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを
     聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ち
     ておられる方だということです。
』 ヤコブの手紙 5:11

  苦難の意味がわからなくても、神に信頼し信じることにより、さらに信仰が深まります。
                 
  
イエスさまは、私たちを救うためにお生まれになりました。自分で自分の罪を解決することは、できません。
  イエスさまの十字架を信じることによって、赦され救われるのです。イエスさまは、世の終わりまで私たちと共に
  いてくださいます。

              



 2016.12.4 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨブ記 33:12~33 エリフの主張

  ヨブは、神を恐れる潔白で正しい人でしたが、試練に会い、多くの苦しみ
  を経験します。
ヨブ記は、苦難の中でのヨブと3人の友人との論争が記さ
  れています。そして、さらに32章からは、若者
エリフが登場します。
  エリフは、ヨブに対しても、また3人の友人に対しても怒りを燃やし、自分
  の意見を語り続けました。(32章~37章)
  
  『
聞け。私はあなたに答える。このことであなたは正しくない。
   神は人よりも偉大だからである。なぜ、あなたは神と言い争うのか。
   自分のことばに 神がいちいち答えてくださらないといって。
   神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、
   人はそれに気づかない。
』 (33:12~14)

  人は、神の前に自分の正しさを主張し続けることは、できません。神は人よりもはるかに偉大な方です。また、神
  は語りかけてくださっているのに、人には気づかないこともあるのです。
            
  3人の友人は、固定観念から抜け出すことが出来ず、ヨブを批判しますが、エリフは違っていました。神のご真実さ
  に気づかせ、ヨブを神の御前に立たせようとしたのです。

       『
神は私のたましいを贖って よみの穴に下らせず、私のいのちは光を見る。』 (33:28)

  
イエス・キリストは、十字架によって私たちを罪から贖い、救いを与えてくださいました。クリスマスは、イエスさまの
  お誕生を心からお祝いする時です。

             『
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。』 ヨハネ 1:9

                 




 2016.11.27 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ローマ 15:14~21 祭司の務めを担う幸い

  本日からアドベント(待降節)が始まります。イエス・キリストのご降誕と
  再臨を覚える時です。イエスさまのお誕生は、毎年世界中でお祝いされま
  す。私たちは、死んだ人の誕生祝いはしません。イエスさまは、今も生きて
  働かれているのです。私たちの罪を負って、十字架にかかって死なれまし
  たが、3日目によみがえられたのです。4週間かけて、救い主イエス・キ
  リストのお誕生を祝うクリスマスの備えをし、待ち望みます。
      
  きょうの聖書箇所 
ローマ人への手紙15章には、使徒パウロの宣教者
  として使命と自覚が記されています。生粋のユダヤ人であるパウロは、異
  邦人に主イエスを伝え・信仰に導き、そして彼らが聖なる者とされ、神の
  働き人となるよう導くことが、自分の使命であると考えていました。また、宣教の務めは祭司の務めであり、パウロ
  は福音宣教により異邦人と神との仲介者となっています。異邦人をも、信仰によって、神に受け入れられる供え物
  としたのです。

 『
それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。
  私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、
  神に受け入れられる供え物とするためです。
』 (16節)
               
  また、宣教の務めは、神からの恵みであり、
聖霊の力によってなされたのです。
  私たちの教団の創立者
バーネット先生は、パウロの宣教スピリットを受け継いで、日本人伝道に生涯を献げ、
  『
キリストの御名がまだ語られていない所』(20節)に伝道されました。
  私たちは、宣教スピリットを受け継いでいるでしょうか。隣人に主イエスさまを証しできますように。

       『・・・・・
キリストは、ことばと行いにより、また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、
            御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。
・・・・・』 (18,19節)

                 



 2016.11.20 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ローマ 11:25~36 この奥義を知るように

  本日の礼拝に、日本国際ギデオン協会の2人の方が出席され、埼玉北支部の
  活動の証しを伺うことができました。羽生市の中学・高校にも聖書が配布されて
  感謝です。信仰に導かれる方々が起こされますよう、お祈りします。
      

  ローマ人への手紙>は、神学論文のようなもので、特に教理に重点が置かれ、
  論理的・体系的に書かれています。9~11章は「イスラエルに関する神の目的・
  選び」について記されています。
  きょうの聖書箇所 11章25節~には、「
奥義」という言葉がでてきますが、それは
  「啓示によらないでは知り得ない 神の目的に関する事実」のことです。神は聖書
  を通して、私たちに神のご計画・みこころを明らかに示してくださっています。ただ、
  将来についての神のご計画には、私たちにはわからない事が多くあります。やがて
  時が来ると明らかになる不思議な神の恵みも、また神の奥義です。
        
  11章の中心聖句は、29節です。 『
神の賜物と召命とは変わることがありません。
  キリストの福音を拒み、神に敵対するイスラエルであっても、父祖への契約・祝福のゆえに愛されているのです。
  イスラエル民族の特別性・独自性・役割が語られています。
  パウロは神の奥義に触れて、神の知恵の深さ・偉大さに感動し、神を礼拝します。人知では知り尽くせない神の
  恵みを覚え、感動したのです。

  『
すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえに
   ありますように。アーメン。
』 11:36

                 




 2016.11.13 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨブ記 31:24~40 証し宣教

  本日の礼拝は、舘野牧師が不在のため、証し宣教でした。2人の方の証しを抜粋し
  て掲載します。

   私は以前、午前中は病院の仕事をし、午後は看護学校に行く生活をしていまし
    た。ある日、看護学校の図書室にあった1冊の本に目が留まりました。その本は
    <
新約聖書>と書いてあり、中にはナイチンゲール誓詞が載っていました。
    国際ギデオン協会という所で配布した聖書でした。私は、学校の先生にお願い
    して、頂きました。約1年位で新約聖書を読み切り、その後椎間板ヘルニアを発
    症しましたが、痛みと苦しみの中でイエスさまを呼び求めました。その時、治療だ
    けで手術をせずに治りました。それから私は、持っている聖書の中に『おりにかな
    う助け』という所があって、そこを読んでいました。
            
    ある日、勤め先のチラシを配りに、羽生教会の近辺に来ました。後日、いくつかの
    キリスト教会に電話をし、この羽生教会に導かれ、
イエス・キリストを信じ受け入れました。

   『
 もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくだ
     さったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救わ
     れるのです。
』  ローマ 10:9,10

    その後、病気にかかったり困難もありますが、兄弟姉妹の愛と祈り、聖書のみことばによって慰めを受けていま
    す。
       『
わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』 イザヤ 43:4
                 

   きょうは、前回・7月の礼拝で証しさせていただいた続きをお話します。教会を離れて40数年の長き放浪の旅
    から、昨年10月に帰って来ました。昔懐かしい羽生教会に戻ったのです。新聖歌425番に「
手にあるともしび
    
照らし続けよ」とあります。私はある日から徐々に教会を離れて行くことになるのですが、教会を離れても、私の
    信仰のともしびは、きょうの日までずっと消えずにいてくれました。聖歌をもって賛美し、時に開く聖書から頂く
    みことばの助けがあったからこそ、今ここに立つことが出来るのです。
    詩篇119:105 『
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。』とあります。聖書はいつも
    私の行く先々の道しるべとなってくださったのでした。
                     

    学校卒業後、大好きな音楽との出会いと古本は、私に新鮮な知識を沢山教えてくれました。路傍伝道のチラシや
    贈呈用の聖書を頂いた事もありました。私の心を揺り動かす音楽の作曲家の共通点が、教会と深く結びついて
    いる事等が、教会への関心となり、その後教会に導かれ、信仰を持ちました。しかし、その後、日曜日の出勤・
    音楽の資格の取得・演奏活動・地域のクラブの指導と講演・・・・と慌ただしい毎日を送り、教会から離れてしま
    いました。けれども、聖書も聖歌も私と離れる事はありませんでした。
    そして・・・神さまは私の確かな復帰のために、第一回チャペルコンサートを準備してくださったのです。これは
    神さまからのプレゼントであり、教会の皆さんの祈りに神さまは応えてくださったのです。
    これからは
イエスさまと共に羽生教会の兄弟姉妹と共に歩んで行きます。「信仰の花びらは散ることはない
    と信じています。

             



 2016.11.6 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨブ記 26章 神について知り得ること

  ヨブ記 25章は、友人ビルダデの3度目の言葉です。3人の友人たちの弁論は、
  ここで終わります。ビルダデは、神の超越性・絶対的主権、そして神のご威光につ
  いて語っています。その言葉は正しいものでしたが、ヨブにとっては、何の助けにも
  ならず、慰めにもなりませんでした。友人たちは、ヨブの言葉に心から耳を傾ける
  共感と、愛の心が欠けていたのです。
  言葉をもって人を励ますことが出来ないこともあり、黙ってそばにいることだけしか
  出来ないこともあると思います。
         

  きょうの聖書箇所 26章は、ビルダデの言葉を受けて、ヨブの応答が記されていま
  す。ビルダデが強く訴えている神について、ヨブの方が、友人たち以上に理解して
  いるのです。全世界を創造された神、歴史を支配し導いておられる神、その偉大な
  る神の主権・ご計画の一端しか、人間は知り得ないのです。ヨブは苦難をとおして、
  さらに謙遜に信仰が深められていきます。

    『
主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。』 詩篇33:13

    『
主はその御目(おんめ)をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に
     御力をあらわしてくださるのです。
』 Ⅱ歴代誌16:9


          
 



 2016.10.30 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ローマ 10:1~13 救いの確信
 

  本日は講壇交換礼拝で、太田キリスト教会(群馬県)の先生がお話してくださいま
  した。
  きょうの聖書箇所 
ローマ人への手紙の著者は、使徒パウロです。10章では、
  イスラエルの救いを熱望するパウロが、<
信仰による義>について語っています。
  きょうは、イエス・キリストを信じ受け入れたクリスチャンが、もう一度原点に立ち戻
  って、イエスさまによって救われた・・・ということはどういうことであるのかを確認し
  たいと思います。
     

  私たちの熱心さ・真面目さによって、神の救いを頂けるのでは、ありません。自分
  の良い点を神の前に持ち出して、救って頂けると思うことがあるでしょうか。もっと
  聖書理解が進めば・・・・というような、足し算の救いではないのです。

   『・・・
自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかった・・・』(10:3)

  私たちは、イエスさまを信じる、ということだけによって救って頂いたのです。
信仰による救いです。はっきり言えば
  それ以外のものはいらない、ということです。

   『
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』(10:10)
                   

  自分が神の前に立つ時に、最後に残るものは・・・自分の罪・・・というように、引き算の救いです。その時、イエス・
  キリストの十字架
の意味と恵みを深く知ることが出来ます。

   『
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。』(10:13)

  そうです。だれでも、救われるのです。この救いを頂いたことを感謝し、主を仰いで、新しい思いで従っていきたいも
  のです。そして、この恵みをまわりの方々に伝えていくことができますように。

                    



 2016.10.23 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨブ記 14章 どこに望みがあるのか

  きょうの聖書箇所 ヨブ記14章は、3人目の友人ツォファルの言葉(11章)を受け
  て、ヨブの返答です。
  『
潔白で正しい』(12:4)ヨブの苦しみは、友人たちにも・私たちにも、全てを理解
  できるものではありません。確かに、自らが蒔いたものを刈り取るということ、罪の
  結果としての苦難ということも、すべて否定することは出来ません。しかし、友人た
  ちはその考えに縛られていました。悩み苦しむ人の心に寄り添い、理解・共感する
  ことは、私たちにとっても易しいことではありません。
     

  ヨブは、『私たちふたりの上に手を置く仲裁者が 私たちの間にはいない。
  (9:33)と語っていますが、現代に生きる私たちには、
イエス・キリストの十字架
  の恵み
があり、罪の赦しと神のあわれみを、さらに深く知ることが出来るのは幸い
  です。
          

  友人たちの言葉に傷つき・悩みながらも、ヨブの信仰は揺るぎませんでした。神に
  対して忠実・誠実だったのです。彼らがいたからこそ、友人たちとの論争を通して、ヨブはさらに神を求め、信仰が
  突き抜けていったのです。

     『
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、
      何をしても栄える。
』 詩篇1:3

     『
ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物も
      すべて二倍に増された。
』 (42:10)

                          



 2016.10.16 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨブ記 8章 ビルダデの問題点

  きょうの聖書箇所は、ヨブ記8章です。ヨブのもとに3人の友人たちがやって来ますが
  8章には、
ビルダデが語った言葉が記されています。それは、ヨブへの返答(反論)
  でした。
  ビルダデの言葉は正論であり、しかも明晰で説得力があり、自信と確信に満ちていま
  した。しかし、不幸の背後には必ず罪があるという、因果応報の考えから抜け出すこ
  とが出来ませんでした。友人たちもヨブも<神が信仰を試すために、サタンの迫害
  を許容された
>という事実を知らないのです。
                           (聖書を読む私たちには分かりますが・・・)

    『
もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために
     起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。
』 (8:6)
        
  ビルダデの言葉は、ヨブを慰めることは出来ませんでした。表面的には正しいように
  見えても、神は私たちの心の内をご覧になるお方です。神の知恵と知識のすべては、人知では知り得ないのです。

  『
ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、
    その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
』  ローマ人への手紙 11:33

  全世界の創造者なる神が、その絶対的な力と知恵をもって、私たちの人生を導いてくださいます。
愛なる神は
  いつも最善をなしてくださる
、と信じて歩むことができますように。

              



 2016.10.9 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ヨブ記 2章 神への挑戦
  

  きょうの聖書箇所は、ヨブ記2章です。ヨブ記は「正しい人がなぜ苦しまなければなら
  ないのか」という、信仰者の苦難の意味を考えさせられる書です。ヨブ記は、友人たち
  との対話・神との対話が中心となっています。
  人生には苦難は付きものであり、ある場合、それは人間の罪の結果であることもあり
  ます。社会的には因果応報の思想があり、正しいことをすれば良い人生・悪いことを
  すれば災難に遭う、と考えがちです。
      
  ヨブは、どのような人だったのでしょうか?
  『・・・
彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも
   地上にはいない
・・・』(1:8)とあります。神を心から信じ、家族にも財産にも恵ま
  れ、すべてが順調でした。

  しかし、このような時、サタンから神に対する挑戦がありました。「ヨブは沢山の財産と家族が与えられているから
  神を信じ、礼拝するのだ。」というもので、すべてを失えば、きっと神をのろい・離れていく、と言うのです。サタンから
  見た人間は御利益主義で、純粋な信仰など持ち得ない、と考えたのでしょう。
            

  神は、このサタンからの挑戦に『彼のいのちには触れるな。』(2:6)という条件で許容されます。その結果、ヨブは
  家族・財産を失い、自らも全身を悪性の腫物で打たれるという、大きな試練に遇います。しかし・・・・ヨブはこのよう
  になっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかったのです。

              『
私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。
               主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。
』 (1:21)
                     

  私たちの人生には、「なんでこんな事が起こるのだろう。」と思うことがあります。ヨブは悩みの中で信仰を深めてい
  きました。苦難の中でも礼拝者であり続けました。創造者なる神は、慈愛に富み・いつくしみ深いお方です。その事
  を忘れることなく、苦しみを通して、さらに
神の深い愛を知ることが出来ますように。

   『
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを
    聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちて
    おられる方だということです。
』   ヤコブの手紙 5:11

             



 2016.10.2 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ローマ人への手紙 6:15~23 神がくださるもの
 

  きょうの聖書箇所 ローマ人への手紙 6章は、<罪からの解放>につ
  いて記されています。前半では、キリストと霊的に一つとされたこと、後半
  では、奴隷によるたとえによって書かれています。
  
  イエスさまを信じ受け入れ、キリストと一体化された者は、キリストが十字
  架で死なれたように古い自分が死に、キリストが復活して今も生きておら
  れるように、キリストにあって新しい命に生きているのです。

  『
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、
   神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
』 (6:11)
                
 
  現代の私たちにとって、「奴隷」という言葉は、余り実感を持たない言葉だと思います。パウロは、私たちの過去
  (かつて)と現在(今)を「奴隷」という言葉で解説しています。イエス・キリストの贖いを自分のものとする以前は、
  「罪の奴隷」でしたが、神の恵みをいただいた今は、「
義の奴隷・神の奴隷」となったのです。
  2つの奴隷の行き先は、全く異なります。前者は<永遠の死>であり、後者は<
永遠のいのち>です。私たちの
  行き着く所は、今の生き方に影響を及ぼすと思います。神のくださる賜物・永遠のいのちを感謝し、主に従って歩ん
  でいきたいものです。

    『
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある
                                                永遠のいのちです。
』(6:23)

              




 2016.9.25 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ローマ人への手紙 3:9~20 神の恵みによる救い
 

  日本には、「鰯(いわし)の頭も信心から」という言葉がありますが、何を・誰を・どのよ
  うに信じるかは、とても大切な問題です。
  きょうの聖書箇所 
ローマ人への手紙の著者は、使徒パウロです。この書は教理
  に重点が置かれ、論理的・体系的に書かれているため、内容的には<手紙>という
  より論文のような形になっています。ですから、手強い手紙だと思われる方も多いこ
  とでしょう。しかし、聖霊の助けの中に、この書を正しく理解し、消化して身につけて
  いくことが出来るようにと願っています。
      

  パウロは、まず全人類の罪を指摘し、すべての人が神の前に罪人であると語ります。
  『
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず・・・』
                                               (3:23)

  聖書の示す罪は、神を神として認めない人間の高ぶりや偶像礼拝など、神は私たち
  の心の内をもさぐられます。また、私たちは言葉においても、人を傷つけたり裁いたりして罪を犯しやすいものです。
  しかし、その罪を認めることが救いの第一歩です。救いの道は、神によって備えられています。
イエス・キリスト
  信じる
信仰によって、私たちは赦され<>とされるのです。十字架で流された血潮は、私たちを罪から贖うため
  です。この恵みと祝福をあなたもいただくことができますように。

  『
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。』 (3:24)

                      『
義人は信仰によって生きる。』 (1:17)

             



 2016.9.18 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
詩篇 102篇12~28 悩む者の祈り
  

  きょうの聖書箇所 詩篇102篇は、標題に『悩む者の祈り。彼が気落ちして、
  自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの
』とあります。前半は、『私が・・・
  私の・・・私は・・・
』と、作者は自らの悩み・窮状を神に訴えています。それは心も
  身体も傷つき、大変深刻な状況であったことが分かります。

  『
主よ。私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。
                                                (1節)
    
  しかし、後半(12節)からは、神への賛美と確信が語られています。個人的な悩みか
  らの救出だけではなく、シオン(エルサレム)の回復を願う祈りともなっていきます。
  現実の過酷な状況に苦しみながらも、イスラエル民族の捕囚からの解放を願い、そ
  れを確信して祈ります。

      『
なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現れ、
       窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。
』 (16,17節)
        
  神はどのような状況であっても、変わることはありません。私たちの苦しみ・悲しみ・問題のすべてをご存知です。
  『
しかし、主よ。あなたは・・・・・』と、私たちの目を自分の悩みから、神に向けていく時、それは解決の一歩です。
  神はいつも私たちの祈りを聞き、私たちを愛し、導いてくださるのです。

           『
しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。』(27節)

                   



 2016.9.11 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
歴代誌 第二 33章 証し宣教

  本日の礼拝は、舘野牧師が不在のため、証し宣教でした。2人の方の証しを抜粋し
  て掲載します。

  『
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
   使徒の働き 16:31 このみことばは、一人がイエスさまを信じれば、自動的に
  家族全員が救われる、ということではありません。救いは個々である、ということです
  今朝はこのみことばから、子供の頃、私の家族になされた救いの証しをさせていた
  だきます。
  私は3歳年上の姉と両親の4人家族で、家の宗教はと言うと、神棚・仏壇があり、お
  守りを持ち・・・と日本人の家庭によくみられる曖昧な宗教観の中に暮らしていました
  そんな家族がやがて、我が家は皆キリスト者です、と信仰告白することになるのです
  が、決してそれは4人同時に、ということではありません。最初は母、次に私、そして
  姉、やがて父へと信仰のバトンは手渡されていきました。
       
  私は中学2年生の時、母に誘われて初めて教会に行きました。クリスマスの夜の集
  会です。そこで天地創造の神について、人類を造られた神のことを聞き、私の信じるべき神はこれだと、その場で
  受け入れることができました。その日から毎週教会に出席し、罪のこと・十字架の贖いのことを知り、悔い改めて
  主を信じました。

  私は今まで姉と喧嘩をしても、あやまることをしませんでした。けれど信仰を持ってから、自分でも不思議なくらい、
  素直に「ごめんなさい。」と言えるようになりました。それと共に、今まで本当に姉に対して悪かったという思いが
  湧いてきて、それからは喧嘩をしなくなりました。最近は私たち姉妹の会話は、イエスさまの話しと再臨のことです。
  そして祈って、「
ハレルヤ!」と言って別れます。
                  
  今家族の中で、あなた一人がクリスチャンであっても、あきらめず家族の救いのために祈り続け、あなた自身がクリ
  スチャンとしての姿を生活の中で見せていくことで、きっとあなたの話しに耳を傾けてくれる日が来ることでしょう。
             
   私は3代目クリスチャンとして生まれました。物心つく頃には、日曜日は家族で教会に行くことが当たり前だっ
  たので、イエスさまのお話しは疑うことなく素直に受け入れ、信じていました。
  私たち家族は、毎晩居間に集まって、一緒にその日の恵みを感謝し祈る時を大切にしています。その日、喧嘩と
  か気まずい空気が流れている時であっても、神の前に出て祈ることによって、お互いを赦し合うことができるので、
  和解と平安が訪れ、怒りを翌日に持ち込まなくて済みます。お祈りの後、皆で手を繋いで「
ハレルヤ!」と叫ぶのが
  日課です。
             
  『
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、
   もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたの
   です。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
』 コリント人への手紙 第一 6:19,20

  受洗後、教会学校の教師・聖書学院の聴講生としての学び・牧会協力者研修コースの受講など、良き学びと奉仕
  の時が与えられました。
                   
  毎日の聖書通読は私の習慣となり、今はイエスさまが再び来られる日まで、毎日を喜び・祈り・感謝をささげて生き
  ていこうと思います。一人一人がキリストのからだのそれぞれの器官であって、互いに尊重し、この羽生教会がま
  すます神に愛される教会になるように、私も「主よ。私をあなたの御声に聞き従う者とさせてください。」と祈り続け
  ます。

              
      



 2016.9.4 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
歴代誌 第二 28章 アハズ王の生涯
  

  きょうの聖書箇所 歴代誌第二 28章には、南ユダ王アハズの生涯が記されていま
  す。第12代目の王であり、20歳で即位し、16年間王位に就きました。
  『
父祖ダビデとは違って、主の目にかなうことを行わず・・・・』(1節)は、彼の一生を
  一言で言い表したものです。まことの生ける神に背を向け、偶像礼拝が盛んに行われ
  ました。外敵から攻撃を受けた時も、主に拠り頼むことなく、周辺の国々や偶像に助け
  を求めたのです。
      

  アハズ王の時代は、周辺諸国さらに北イスラエル王国からも攻撃を受け、国家的な危
  機の中にありました。しかし、それはアハズをへりくだらせ、神に立ち返らせるためだ
  ったのです。
  『・・・
主がユダの王アハズのゆえにユダを低くされたためであり、彼がユダで
   ほしいままに事を行い、主に対して不信の罪を犯したからである。
』(19節)

  しかし、アハズは悔い改めて、神に立ち返ることをしませんでした。
                
   『
苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。』 
                                                              詩篇 50:15

  どのような時にも神に信頼し、拠り頼むことを、神は求めておられます。試練の中で私たちは立ち止まり、主と向き
  合い祈ります。試練の意味を知らせていただき、どのような状況でも、感謝と喜びの心が与えられますように。

  『
私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。』 ヤコブの手紙 1:2

                 



 2016.8.28 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
歴代誌 第二 21章 ヨラム王の生涯
  

  きょうの聖書箇所 歴代誌 第二 21章には、南ユダ王ヨラムの生涯が記されてい
  ます。第5代目の王であり、32歳で即位し、8年間国を治めました。この時代は、南
  ユダ王国にとって暗黒の時代です。王となってヨラムがした事は、弟たちを殺し、民に
  は偶像礼拝を強要し、人々を迷わせたのです。
  それは、『
主の目の前に悪を行う』(6節)ことであり、その結果、自らとユダ王国に
  わざわいを招くことになります。
      
  ヨラム王は、周囲の国々から攻撃を受け、財産や妻子が奪い去られます。そして、
  彼の子どもは、末子エホアハズ(アハズヤ)を残して全員殺されてしまったのです。し
  かし、ダビデ家の存続のために、エホアハズが残されたことは、神のあわれみです。
  ダビデの子孫から救い主が生まれるという、神のお約束が成就するためでもあるの
  です。
  『
主は、ダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれな
   かった。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束され
   たからである。
』 (7節)
                   
  ヨラム王は、神のさばきを受け大病を患います。不治の病の中でも、彼は悔い改めて神のもとに立ち返ることをし
  ませんでした。そして、悲しい最期を迎えます。   『
彼は人々に愛されることなく世を去った。』(20節)

  義であり聖なる神は、罪をさばくお方ですが、悔い改める者には豊かに赦してくださる、あわれみ深い愛なるお方
  です。その愛は、私たちの罪を負って十字架にかかって死んでくださった、
イエス・キリストに現されています。
  私たちは、信仰によって、
神の愛と救いを受け取ることができるのです。

     『
神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
                                                   ヨハネの手紙 第一 4:11

              




 2016.8.21 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
使徒の働き 26:1~18 パウロの救いの証し
  

  きょうの聖書箇所 使徒の働き26章は、パウロがローマへ導かれる途中の出来事
  です。神のご計画の中にカイザリヤに於いて、救いの証しをする機会が与えられます
  敵の計略を越えて、神のみこころは実現していくのです。

  『
わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては
   来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功
   させる。
』 イザヤ書 55:11
        

  パウロはアグリッパ王の前で、弁明する機会が与えられました。自分がイエス・キリ
  ストに出会う前とその後、すなわちイエスさまを信じ、全く変えられた事を大胆に証し
  します。世の権力者たちに、大胆に福音を語りました。

  パウロはかつて、律法を厳格に守る熱心なユダヤ教徒でした。それは自他共に認め
  るところで、クリスチャンたちを迫害するほどだったのです。

  『
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け
    入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
』 テモテへの手紙 第一 1:15
                

  しかし、その生き方にピリオドを打つ時がきました。イエスさまと出会い、回心し全く変えられたのです。まさに、
  <
目からうろこ>の経験をしたのです。自分が迫害していたイエスこそ、生ける神・救い主であることを、はっきり
  啓示されたのです。それは、パウロが主イエスの証人・宣教者として、ユダヤ人をはじめ異邦人に、罪の赦しと
  永遠のいのちの恵みを語るためだったのです。

  暗闇から光に移された私たちは皆、小パウロではないでしょうか。遣わされた場所で、イエスさまを証しできます
  ように。

   『
それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰に
    よって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためで
    ある。
』  使徒の働き 26:18

              
  



 2016.8.14 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
テモテへの手紙 第一 2:4 神さまの望み
 

  きょうは、牧師が他教会でご奉仕のため、奉仕学院生のお話しでした。
  聖書は、生ける神のみことばであり、神という存在について教えています。<救い>
  という、私たちの命に関わる大切なことについても、聖書は教えています。

  『
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
  (Ⅰテモテ2:4) きょうはこのみことばから、
とは、救いとは、真理を知るとは、
  どのようなことなのか、考えていきたいと思います。
        
  <
>について
  聖書の最初(創世記1章1節)に、『
初めに、神が天と地を創造した。』とあるように
  全世界を造られ、歴史を司っておられるお方です。全知全能なるお方です。日本には
  多くの神々が存在しますが、まことの神は唯一です。
  『
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としての
   キリスト・イエスです。
』 (Ⅰテモテ 2:5)
              

  救い>について
  すべての人が救われてほしいと、神は望んでおられます。人生の終わりの時、自分はどうなってしまうのか、どこ
  に行くのか分からずにいる方は、自らの人生を閉じる前に救われる必要があるのです。使徒パウロは、すべての
  人が罪を犯したと言っています。神を認めない、自分本位の生き方も、聖書は罪であると言っています。

  『
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・
   イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
』 ローマ 3:23,24
                    
  <
真理>について
  聖書には、私たちが知るべき本当の事・大切な事が記されています。真理は、聖書のみことばであり、救い主
  イエス・キリストです。どうしたら救われることが出来るのかも教えられています。それは、私たちの罪の身代わり
  となって、十字架にかかって死んでくださったイエスさまを信じ、受け入れることです。
      『
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。』 Ⅰテモテ 2:6

  聖書の約束は100%信頼できるのです。決断をして、この救いを受け取っていただきたいと願っています。
  神は、人々がご自身のもとに帰ってくるのを、熱心に待っていてくださるのです。

              『
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。
               わたしが神である。ほかにはいない。
』 イザヤ書 45:22

                   



 2016.8.7 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
使徒の働き 20:13~24 悔い改めと信仰
  

  使徒の働き 20章は、第3回伝道旅行からの帰路での出来事が記されています。
  使徒
パウロはエルサレムに向かう途中、港町ミレトに、エペソ教会の長老たちを招き、
  最後の説教を語りました。パウロの遺言とも言うべきもので、自らの思いの丈を彼らに
  伝えます。きょうの聖書箇所を3つのポイントから見ていきます。
            
   
伝道者としての姿勢
    『
私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身に
     ふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。
』 (19節)

   パウロは多くの試練・困難の中でも忍耐強く、あきらめずに伝道したのです。
  
 伝え続けた福音
    『
ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエス
     に対する信仰とをはっきりと主張したのです。
』 (21節)

   人々の益となることを教え、罪を悔い改める事と、イエスさまへの信仰によって日々歩むことを、はっきりと語りま
   した。
   
強い使命感と覚悟
    『
私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果た
     し終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
』 (24節)

   パウロは、宣教による苦難が待っていると分かっていました。しかし聖霊の助けと導きによって、福音を証しする
   任務を全うすることを、第一に考えていたのです。私たちも、各々神さまから与えられた使命を果たすことが出来
   ますように。

    『
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性
     を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
     この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が
     私たちの心に注がれているからです。
』     ローマ人への手紙 5:3~5

                 



 2016.7.31 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
ルカの福音書 9:23~25 わたしについて来なさい
  

  本日は講壇交換礼拝で、佐野オリーブ教会(栃木県)の先生がお話して下さいました
  きょうの聖書箇所 
ルカの福音書9章は、イエス・キリストのガリラヤ伝道とさらに、
  御顔をエルサレムに向けて進まれたことが記されています。
      
  イエスさまは、5つのパンと2匹の魚で、男だけでもおよそ5千人いた人々を養うという
  奇跡を行われました。お腹を満たすパンを求めて、またローマからの解放という政治
  的な救い主として、イエスさまに従っていた人々がいました。しかし、イエスさまは
  人々に語られます。

  『
だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を
   負い、そしてわたしについて来なさい。
   自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのち
   を失う者は、それを救うのです。
   人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得が
   ありましょう。
・・・』 (23~25)

  自分中心に生きることをやめて、イエス・キリストを心に受け入れる時、イエスさまが私たちの内で生きてくださる
  のです。私たちが生まれながらに持っている心の闇に、光を注いでくださるのです。
                 

  神の御子イエスは、私たちを罪の滅びから救い、永遠のいのちを与えるために十字架にかかって死んでください
  ました。

   『
キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかった
    のです。
』 ヨハネの手紙 第一 3:16

    このお方を心にお迎えしていのちを得、日々、栄光のイエスさまにお従いして行きましょう。

            『
ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。
             しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。
』 詩篇 20:7

                 



 2016.7.24 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
使徒の働き 15:12~21 変わるものと変わらないもの

  きょうの聖書箇所 使徒の働き15章は、教会会議(エルサレム会議)について記さ
  れています。すでに異邦人伝道を行っていたアンテオケ教会のメンバーとエルサレム
  教会のメンバーによって開かれた会議でした。
  異邦人キリスト者にも割礼を求めるべきで、それも救いの条件であると強固に主張す
  る者たちがいたからです。
   『
パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受け
    させ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
』(5節)
     
  激しい論争のあと、ペテロは、イエス・キリストを信じる
信仰によって救われること。
  ユダヤ人であっても、異邦人であっても、ただ
神の恵みによって救われたことを人々
  にはっきりと語りました。

  『
私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださった
   のです。
』 (9節)
            

  続いて、バルナバとパウロは、神が異邦人の間で行われたしるしと不思議なわざについて証ししました。そして
  最後にヤコブが会議をまとめて語ります。異邦人に割礼と律法を要求して、悩ませてはいけないこと。さらに、避
  けるべき4つの事柄(偶像に供えて汚れた物・不品行・絞め殺した物・血)を示しました。
  それは、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が平和的に解決されるように、ユダヤ人キリスト者がきらっている
  ことを避けるようにとの提案でした。また、それらは偶像礼拝との関わりがあり、神の民としてきよい生活をし、神を
  証ししていくために避けるべき事だったのです。

       『
キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く
        信仰だけが大事なのです。
』   ガラテヤ人への手紙 5:6

               



 2016.7.17 (日) 礼拝式のお話   聖書箇所  テーマ
使徒の働き 13:1~12 聖霊に遣わされて
  

  使徒の働き13章・14章には、使徒パウロの第一次伝道旅行について記されてい
  ます。きょうの聖書箇所は、
バルナバパウロの派遣式、そしてキプロスでの伝道
  について語られています。
     
  迫害のため、エルサレムから逃げて散らされた弟子たちは、異邦人(ユダヤ人以外
  の人々)にも伝道しました。そこで生まれた教会が、アンテオケ教会です。人種・
  国籍も多様なアンテオケ教会は、ある日、宣教師を派遣することになりました。
  選ばれたのは、バルナバとパウロ(サウロ)です。それは聖霊の命令であったと、
  著者ルカは記しています。

   『・・・
聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した
    任務につかせなさい。」と言われた。
』 (13:2)

  教会全体で、心から主を礼拝し・祈り・決議し・
聖霊の導きに従ったのです。
             
  
聖霊に遣わされた2人の最初の伝道地は、キプロスでした。宣教の邪魔をするものも現れましたが、そこで出会
  った地方総督は、主のみわざと教えに驚嘆して信仰の道に入ったのです。パウロの伝道は、
聖霊に満たされて
  
成されたのです。

       『
しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、・・・・』 (13:9)

       『
もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
                                                     ガラテヤ人への手紙 5:25

                      



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