神は愛です

羽生キリスト教会のホームページへようこそ


    

皆さまのおいでをお待ちしています

2023年度のみことば
心を新たにすることで、自分を変えて
いただきなさい。そうすれば、神のみ
こころは何か、すなわち、何が良いこ
とで、神に喜ばれ、完全であるのかを
見分けるようになります。

(ローマ人への手紙 12章2節)

 2024.3.24 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 18:28~40 総督ピラトと主イエス

  今日も先週と同じ聖書箇所ヨハネの福音書18章です。イエス・キリストは逮捕
  され、裁判が行われました。その裁判は、ユダヤ人指導者たちの悪意に満ちた、
  イエスを死刑にするための裁判でした。『
ピラトは、彼らがねたみからイエスを
  引き渡したことを知っていた
』(マタイ27:18)のです。また、妻からも『あの
  正しい人と関わらないでください
・・・』(同27:19)とも言われていました。
        
  ピラトは、イエスに何の罪も認めませんでした。過越の祭りの慣わしを用いて、
  イエスを釈放することを提案します。恩赦の特権が、強盗で極悪人のバラバの
  ものになるとは思いもしなかったでしょう。しかし、群衆は、主イエスではなく、
  強盗のバラバを釈放するようにと叫んだのです。イエス・キリストの
十字架への道、
  神の救いのご計画
が進められていたのです。
             
  主イエスは、不当な裁判にかけられ、人々にあざけられ、ののしられたのです。私たちを救うために
  多くの苦しみに耐えてくださいました。神さまの計り知れない大きな愛を感謝いたします。
  『
・・・キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、
   苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架の
   上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。
   その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
』(Ⅰペテロ2:22~24)

  主イエスは、父なる神のご計画に従い、十字架へと進まれるのです。十字架にかかり、よみがえられた
  主イエスだけが、
天国への道・救いへの道です。イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。
  来週3月31日(日)は、
イースター礼拝です。主イエスの復活を心から喜び、感謝するときです。
  どうぞ、イースター礼拝にお気軽におでかけください。お待ちしております。


          



 2024.3.17 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 18:28~40 ピラトとイエス

  今日の聖書箇所ヨハネの福音書18章は、ピラトの前での裁判です。主イエス
  逮捕され、アンナス(前大祭司)とカヤパ(現大祭司)の尋問を受けたあと、ピラト
  がいる総督官邸に連れて行かれ、そこで尋問・裁判となりました。しかし、その
  裁判は、ユダヤ人指導者たちの悪意に満ちた、イエスを死刑にするための裁判
  だったのです。
  『
さて、祭司長たちと最高法院全体は、イエスを死刑にするため、彼に不利
   な証言を得ようとしたが、何も見つからなかった。多くの者たちがイエスに
   不利な偽証をしたが、それらの証言が一致しなかったのである。

                   (マルコ14:55,56)
     
  ピラトは『
おまえたちがこの人を引き取り、自分たちの律法にしたがってさばく
  がよい。
』(ヨハネ18:31)と言いましたが、ユダヤ人たちは、あくまでも裁判・
  死刑を求めていったのです。
  『これは、イエスがどのような死に方をするかを示して言われたことばが、成就するためで
   あった。
』(18:32)のです。
十字架への道、神の救いのご計画が進められていたのです。
             
  ピラトは、イエスに何の罪も認めませんでした。過越の祭りの慣わしを用いて、イエスを釈放する
  ことを提案します。しかし人々は、強盗バラバを釈放するようにと叫んだのです。
  私たちは、毎週日曜日に礼拝式で『
・・ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け十字架につけられ・・
  と使徒信条を告白します。群衆の声に負けてしまったピラトですが、主イエスの十字架への道と
  つながっていくのです。

  『
わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者
   はみな、わたしの声に聞き従います。
』(18:37)

  主イエスは、父なる神のご計画に従い、十字架へと進まれるのです。十字架にかかり、よみがえられた
  主イエスだけが、
天国への道・救いへの道です。イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。


          



 2024.3.10 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 18:15~27 ペテロの危機

  今日の聖書箇所は、ペテロの否認です。イエス・キリストは逮捕され、ユダヤの
  権力者の手に引き渡されてしまいました。『
そのとき、弟子たちはみなイエスを
  見捨てて逃げてしまった
』(マタイ26:56)のです。その中で、ペテロともう
  一人の弟子は、事の成り行きをみるためにイエスについて行きました。

  『・・・
門番をしていた召使いの女がペテロに、「あなたも、あの人の弟子では
   ないでしょうね」と言った。ペテロは「違う」と言った。
・・・』
                              (ヨハネ18:17)

  主イエスのためなら、いのちも捨てると言ったペテロでしたが、しもべや下役たちと
  一緒に火のそばで暖まり、イエスを知らないと否定したのです。
       
  一方、大祭司による、イエスへの厳しい尋問が進められていました。イエスは弟子たちのことには
  何も触れませんでしたが、教えに関しては、公然と明白に語ったことを答えられたのです。
  
  『
イエスは彼に答えられた。「わたしは世に対して公然と話しました。いつでも、ユダヤ人がみな
   集まる会堂や宮で教えました。何も隠れて話してはいません。
』(18:20)
            
  さらにペテロは、イエスの弟子であることを問われ、3度目の追求に対してさらに強く否定したのです。
  『
主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度
   わたしを知らないと言います」と言われた主のことばを思い出した。そして、外に出て行って
   激しく泣いた。
』(ルカ22:61,62)

  主イエスは、父なる神のご計画に従い、十字架へと進まれるのです。十字架にかかり、よみがえられた
  主イエスだけが、
天国への道・救いへの道です。イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。

  『
しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。・・・・
                            
  ルカ22:32


    
  



 2024.3.3 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 18:1~11 捕らえられたイエス

  今日の聖書箇所ハネの福音書18章はイエス・キリストの逮捕で、主の受難の
  始まりのところです。キデロンの谷の向こうにあるゲッセマネの園は、『
イエスが
  弟子たちと、たびたびそこに集まっておられた
』(2節)祈りの場所でした。

  『・・・
そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。一方、イエスを
   裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。
・・・』(1,2節)

  しかし、これが園での最後の祈りであることを知っておられたイエスは、
  『・・・
苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように
   地に落ちた。
』(ルカ22:44)のです。
       
  イエスを裏切ろうとしていたユダは、大勢の兵士や役人たちを連れ、明かりとたいまつと武器を持って、
  やって来ました。
  『
イエスはご自分に起ころうとしていることをすべて知っておられたので、進み出て、「だれを捜して
   いるのか」と彼らに言われた。
』(4節)

  祈りの中で、父のみこころを確信したイエスは、この時を臆することなく進んで迎えられたのです。
            
  しかしシモン・ペテロは剣を抜いて、大祭司のしもべに切りかかり、イエスに戒められました。
  『
剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。』(11節)

  主イエスは、父なる神のご計画に従い、十字架へと進まれるのです。十字架にかかり、よみがえられた
  主イエスだけが、
天国への道・救いへの道です。イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。

  『
父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、
   みこころがなりますように。
』ルカ22:42


         



 2024.2.25 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 17:21~26 イエスの祈り

  今日の聖書箇所は、ヨハネの福音書17章の最後のところです。十字架を
  目指して歩む
イエス・キリストの祈りも終わりに近づいてきました。このあと、
  主イエスは逮捕され、裁判そして十字架へと進まれるのです。

  『
父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、
   すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるように
   してください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになる
   ためです。
』(17:21)

  父なる神と御子イエス・キリストが一つであるように、主にあるすべての人々が
  一つとなるように祈られました。互いに愛し合い、仕え合うことにより一つとなる
  ことは、イエスを証しすることでもあるのです。『
あなたがわたしを遣わされた
  ことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。
』(17:23)
  人々が、父なる神の豊かな愛を知ることができるようにと、祈られました。
            
  『
わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを
   愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。
』(17:26)

  この世は、自分の知恵で神を知ることはできません。御子イエスが人となって世に来てくださった
  のです。そして神ご自身と神の愛を示してくださいました。主イエスは十字架で死なれましたが、
  よみがえられ、今も生きて私たちとともにいてくださるのです。
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。イエスにある平安と
  喜びにあふれて日々生活できますように。

  『
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも
   召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
』コロサイ3:15


             



 2024.2.18 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 17:13~20 イエスの祈り

  今日の聖書箇所も先週の続きで、「イエスの祈り」です。この世に遣わされた
  御子イエスは、与えられた使命を全うして父の御許に戻られますが、その時が
  近づいていました。十字架を目前にしていました。しかし、弟子たちはこの世に
  残されるのです。主イエスは『
わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるため
  (17:13)この世にあって弟子たちに、大切な真理・教えを話されたのです。

  『
わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。世は彼らを憎みました。
   わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないから
   です。
』(17:14)

  罪が支配するこの世にあって、神の真理に従って歩む者は憎まれることも
  あるのです。外側からの攻撃・迫害は、いつの時代にもなされています。
         
  『
わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から
   守ってくださることです。
』(17:15)

  主イエスを信じ・従う者は、この世にあって生かされていますが、この世のものではないのです。
  神のみことばに導かれ、神のみこころのうちを歩んでいます。いつも
聖霊のとりなしがあり、恵みの
  中に守られ・支えられているのです。
                
  『
真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。』(17:17)

  真理のみことばによって、彼らが聖別されるようにと、イエスは祈られました。
  私たちも
聖霊とみことば(聖書)によって導かれ、聖別されて歩むことができますように。
  日々、主の豊かなとりなしの中で、守られ・支えられていますことを感謝いたします。
  いつも主イエスにある平安と喜びにあふれて生活できますように。


          



 2024.2.11 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 17:6~12 イエスの祈り

  今日の聖書箇所は先週の続きで、「イエスの祈り」です。十字架に向かう前に
  祈られた主イエスの祈りは、ご自分のためだけではなく、弟子たちのため、そして
  すべての人たちのための「
とりなしの祈り」でした。

  『
あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。
   彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたのもとから出て来たことを本当に
   知り、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。
』(17:8)

  主イエスは弟子たちに、父なる神からのみことばを与えました。彼らはそれを
  受け入れ、父なる神と主イエス・キリストは一つであると信じたのです。
  弟子たちは、世から選び出された者たちであり、父なる神のみことばを守り
  ました。
       
  『
わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。
   聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。
   わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。
』(17:11)

  この地上での歩みを終えようとしておられるイエスは、この後、父なる神が弟子たちを守ってくださる
  ようにと祈ります。「
彼らが一つになるため」と語られています。互いに愛し合うこと・仕え合うこと
  によって一つになるのです。そして、御父とイエスが一つであることを証しして宣教の働きがなされる
  のです。日々、私たちのためにとりなしていてくださる主イエスの愛を感謝いたします。
  主イエスだけが、天国への道・救いへの道なのです。イエスは人となって、この地上においでくださり、
  神ご自身を人々に示してくださったのです。主イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。


             



 2024.2.4 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 17:1~5 イエスの祈り

  今日の聖書箇所 ヨハネの福音書17章は、イエス・キリストの祈りです。
  十字架を目前にして、イエスは弟子たちに告別のメッセージを語り、続いて
  父なる神に祈りをささげました。

  『
これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。「父よ、
   時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してくだ
   さい。
・・・』(17:1)

  ご自分のための祈りから始まり、残される弟子たちのため、さらにすべての
  人たちのためにと祈りが続きます。民のためにとりなしをした旧約の大祭司
  のように、とりなしの祈りをささげられました。
        
  『
あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、
   あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。
』(17:2)
  イエスは、父なる神の栄光を現すことを願っておられますが、それは、『
永遠のいのち』を与えるため、
  と語られています。そして、永遠のいのちについて、

  『
永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知る
   ことです。
』(17:3)と明らかにされました。

  主イエスは、
罪を贖う救い主として、この世に遣わされたのです。多くのみわざ・奇跡を通して、
  神の栄光を現してきました。さらに、
十字架による救いのみわざ・大いなる愛のみわざがなされようと
  していたのです。

  『
父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に
   持っていたあの栄光を。
』(17:5)

  私たちも神の栄光を現す歩みができますように。神のみこころに従い、神に喜ばれる歩みができます
  ようにと祈ります。


             



 2024.1.28 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 16:25~33 勇気を出しなさい

  今日の聖書箇所は先週の続きで、ヨハネの福音書16章の最後のところです。
  
イエス・キリストの、弟子たちに対する告別のメッセージの結びです。十字架を
  目前にして、イエスは弟子たちに大切な教え・励ましのメッセージを語られま
  した。
  『
父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを
   愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。
』(27節)

  さらに、
十字架の「」を意識して、イエスは語られました。
  『
わたしは父のもとから出て、世に来ましたが、再び世を去って、父のもとに
   行きます。
』(28節)

  『
見なさい。その時が来ます。いや、すでに来ています。あなたがたはそれぞれ散らされて自分の
   ところに帰り、わたしを一人残します。しかし、父がわたしとともにおられるので、わたしは一人
   ではありません。
』(32節)

  弟子たちは、イエスが神から来られたことを信じ、告白しています。しかし、十字架を前にイエスを
  残して逃げてしまうのです。
           
  イエスは弟子たちの弱さもすべてご存知で、告別のメッセージの最後に励ましのことばを語られ
  ました。弟子たちは、福音宣教の働きの中で、多くの苦難に出会います。しかし、主イエスは
  世に対して、すでに勝利してくださっているのです。
  
  『
これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。
   世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。
』(33節)

  私たちも日々の生活の中で、
主イエスにある平安と勇気をいただいて、歩んでいくことができます
  ように。


         



 2024.1.21 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 16:17~24 悲しみは喜びに変わる

  今日の聖書箇所には、主イエスが語られた、弟子たちに対する励ましのことば
  が記されています。イエスは11人の愛する弟子たちと最後の時を過ごします。
  弟子たちの不安な思いも十分に知っておられ、一人ひとりに心を配っておられます。

  『
イエスは、彼らが何かを尋ねたがっているのに気づいて、彼らに言われた。
  「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、
   わたしを見る』と、わたしが言ったことについて互いに論じ合っているの
   ですか。
』(16:19)

  悲しみで心がいっぱいの弟子たちは、イエスのことばの意味を理解することが
  できませんでした。『しばらくすると』ということばが繰り返し語られています。
  神のみわざには、「
とき」があるのです。
      
  『
あなたがたも今は悲しんでいます。しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの
   心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
』(16:22)

  イエスの十字架の死は、弟子たちにとって大きな悲しみであり失望でした。しかし、イエスの復活により
  大きな喜びと希望が与えられたのです。主イエスにある新しいいのち・永遠のいのちを与えられた者は、
  誰も奪い去ることができない喜びに満たされるのです。

  『・・・
求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。
                                      (16:24)
  イエスは、どのような時にも祈り求めるようにと、私たちを励ましてくださっています。失望せずに、
  「
求め続ける・祈り続ける」ことができますように。主イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活
  できますようにお祈りいたします。


           



 2024.1.14 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 16:12~15 イエスの栄光を現す御霊

  きょうの聖書箇所は、先週の続きで、真理の御霊の働きについて語られて
  います。十字架を目指して歩む
主イエスは、弟子たちに告別の説教を語られ
  ました。ご自身が去ったあとにおいでになる助け主、聖霊について話されて
  います。

  『
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての
   真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いた
   ことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてください
   ます。
』(16:13)

  御霊はイエスを正しく理解する助けとなり、イエスが語られたことを明らかに
  してくださるのです。イエスの死と復活による救いのご計画も明らかにして
  くださいました。
         
  『
御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださる
   のです。
』(16:14)
  御霊は、主イエスの栄光を現され、私たちに福音の真理を伝えてくださるのです。
  私たちも神の栄光を現す歩みができますように。神のみこころに従い、神に喜ばれる歩みができます
  ようにと祈ります。

  『
同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか
   分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださる
   のです。
』ローマ8:26

  日々、神さまの豊かな守りと助けがありますようにお祈りいたします。


             



 2024.1.7 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 16:1~11 その時のために

  あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

  きょうの聖書箇所は、ヨハネの福音書16章の最初のところです。
主イエス
  弟子たちに、迫害がくることと
助け主なる聖霊について語っておられます。
  イエスは「時」を意識するように、3つの時が来ることを話されました。

  『・・・
あなたがたがつまずくことのないためです。
   人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。
・・・』(16:1,2)

  第一に迫害の時代が来ることを語られました。
  『
これらのことをあなたがたに話したのは、その時が来たとき、わたしが
   それについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。


  イエスは私たちの弱さを知っておられます。のちに弟子たちが思い出して力を得るようにと語ってくだ
  さいました。困難な時代にあっても、
三位一体の生ける神が、共にいて支え導いてくださるのです。
       
  第二にイエスが去って行く時、第三に助け主が与えられる時です。
  『・・・
わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去っていかなければ、
   あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたの
   ところに助け主を遣わします。
』(16:7)

  助け主なる聖霊は「罪について」「義について」「さばきについて」人々に誤りを示してくださるのです。
  十字架にかかり、よみがえられた主イエスだけが、天国への道・救いへの道です。イエスは人となって、
  この地上においでくださり、神ご自身を人々に示してくださいました。主イエスにある平安と喜び
  あふれて日々生活できますように。

  今年一年も、神さまの豊かな恵みと祝福がありますようにお祈りいたします。


       



 2023.12.31 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
マタイ 2:1~12 博士たちの礼拝

  きょうは今年最後の礼拝式でした。プログラムの中の「証し・賛美」の時間は
  通常より長い時間をとり、4人の方が証し(信仰の体験談)・賛美をしてくだ
  さいました。今年一年間の神さまの豊かな恵みを感謝いたします。
       
  
救い主に最初の礼拝をささげたのは、羊の群れの夜番をしていた羊飼いたち
  でした。きょうの聖書箇所は、もう一つのクリスマス、東方の博士たちの
  礼拝が記されています。どちらの場合も、神さまの特別な導きがありました。

      『・・・
すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、
       ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
       その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
』(2:9,10)
            
  博士たちは、大いなる喜びをもって、黄金・乳香・没薬をささげ、ひれ伏して礼拝しました。
  それらの贈りものは、まさに王であるお方、救い主なるお方にささげるのに、ふさわしい物
  だったのです。
  『
それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を
   開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
』(2:11)

  今年一年、羽生キリスト教会のホームページをご覧くださり、ありがとうございました。
  来年もよろしくお願いいたします。神さまの恵み豊かな年となりますように、お祈りいたします。


          



 2023.12.24 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ルカ 2:8~20 大いなる救いの喜び

    クリスマスおめでとうございます。
  クリスマスはキリスト(救い主)のご降誕をお祝いするもので、きょうは
  世界中でクリスマス礼拝が行われています。
私たちの罪を赦し、永遠の
  いのち
を与えるために『神が人となってくださった』のです。信仰によって
  この恵みと祝福をいただくことができますように。

     
  ルカは救い主の誕生を、歴史的背景とともに語っています。
  『
そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥス
   から出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。

           (2:1,2)
  ユダヤ人もその命令に従わなければならず、マリアとヨセフはベツレヘムに行ったのです。身重の
  マリアにとって大変な長旅だったことでしょう。
  『
ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤの
   ベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
』(2:4)

  これは、
旧約聖書 ミカ書において預言されていたことが成就するためでした。
  『
ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたから
   わたしのために イスラエルを治める者が出る。
』(ミカ5:2)
              
  しかし宿屋はどこもいっぱいで、マリアは家畜小屋で出産したのです。みどりごのベッドは飼葉桶で
  した。主イエスは、すべての人の罪を赦すために、この世に生まれてくださったのです。
             

  ベツレヘムの野では羊が放牧されていました。羊は、いけにえとして神殿で献げられるものでした。
  羊飼いの仕事は重労働であり、律法を重んじるユダヤ社会にあって社会的地位は低く、さまざまな
  差別を受けていました。皆が眠りにつく夜、
  『
羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた』(2:8)のです。

  しかし、そんな彼らに最高の喜ばしい知らせが最初に届けられました。主の栄光が周囲を照らし、
  御使いのことばを聞いたのです。
  それこそが『
大きな喜びの知らせ』です。神は、低い者・小さい者・弱い者を顧みてくださるのです。
  クリスマスの恵みと祝福が豊かにありますように。主イエスを信じ・受け入れ、救いと恵みをご自分の
  ものとすることができますように、お祈りいたします。

     『
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。
      この方こそ主キリストです。
』(2:11)


            



 2023.12.17 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
マラキ 4:1~6 救い主を待ち望む

  本日は、アドベント第3主日です。
  39巻からなる「旧約聖書」と27巻を有する「新約聖書」の両方をもって
  「聖書」となります。聖書は
生ける神のみことばであり、キリスト者の信仰と
  生活の唯一の規範です。きょうの聖書箇所は、旧約聖書の最後のところで、
  マラキは、旧約時代最後の預言者です。

     『
見よ、その日が来る。かまどのように燃えながら。
      その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は藁となる。
      迫り来るその日は彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。
      ―― 万軍の主は言われる ――
 』(4:1)

  「その日」は、神のさばきの日であることが宣告されています。
  
  『
しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある・・・』
  (4:2)とあり、神の民にとっては救いの日であることが約束されています。
          
  『
見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。』(4:5)

  預言者エリヤは、救い主の先駆者のバプテスマのヨハネだと考えられています。彼は、人々に
  悔い改めを求め、イエス・キリストのために道備えをしました。

  
旧約聖書では救い主の到来と働きが預言されています。新約聖書は、主イエスの先駆けの
  バプテスマのヨハネの活動から始まっています。イエス・キリストは、人となられた神であり、
  
私たちを罪と滅びから救うために来てくださった救い主です。
  
クリスマスは、イエスの御降誕を心から感謝し、祝う時です。

 
 ★来週24日()は、クリスマス礼拝がもたれます。ぜひお出かけください。

  『
しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神のこども
   となる特権をお与えになった。
』ヨハネ1:12


          



 2023.12.10 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
イザヤ 9:1~7 救い主の4つの呼び名

  今週はアドベント第2週目です。きょうの聖書箇所は、イザヤ書です。
  イザヤは預言者であり、活動していた時代は、救い主の誕生の約700年前
  です。約50年もの間、預言者として活動しました。
  きょうの箇所、9章の最初のところは、「メシア預言」と呼ばれています。
       
  当時、北イスラエルの地方はアッシリア帝国によって滅ぼされ、「苦しみの
  あったところ」「闇」「辱め」(9:1)と記されています。しかしその中で、
  イザヤは希望のメッセージを語ります。

  『
闇の中を歩んでいた民は 大きな光を見る。
   死の陰の地に住んでいた者たちの上に 光が輝く。
』(9:2)

  また、『
ひとりのみどりご』、イエス・キリストの誕生を預言しています。4つの名称は、この方こそ
  神ご自身であり救い主であることを表しています。

  『
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。 ひとりの男の子が私たちに与えられる。
   主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と
   呼ばれる。
』(9:6)

  「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」である
イエス・キリストは、私たちを罪から
  救うために、この世に来てくださいました。今年のクリスマスにおいても、主イエスの御名が
  豊かにほめたたえられますように。
  主イエスだけが、天国への道・救いへの道なのです。イエスは人となって、この地上においでくださり、
  神ご自身を人々に示してくださったのです。主イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。



          



 2023.12.3 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ゼカリヤ 9:1~10 救い主到来の預言

  今週からアドベント待降節)です。イエス・キリストのご降誕と再臨
  覚える時です。イエス・キリストのお誕生は、毎年世界中でお祝いされます。
  私たちは死んだ人の誕生祝いはしません。主イエスは、今も生きて働かれ
  ているのです。私たちの罪を負って十字架にかかって死なれましたが、
  3日目によみがえられました。アドベントは、
救い主イエス・キリスト
  お誕生を祝うクリスマスを、感謝と喜びをもって待ち望む時です。

     
  きょうの聖書箇所は、ゼカリヤ書9章です。ゼカリヤ書の前半は、悔い改め
  の勧告が記され、幻を通して当時の人々にメッセージが語られています。
  9章からは、未来に起こる出来事の預言が記されています。


          
 『娘シオンよ、大いに喜べ。  娘エルサレムよ、喜び叫べ。
            見よ、あなたの王があなたのところに来る。
            義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。
            雌ろばの子である、ろばに乗って。
』(9:9)

  バビロン捕囚後、エルサレムに戻り神殿再建に取り組む人々に語られた預言は、イエス・キリストが
  救い主として誕生し、エルサレム入城の際に成就しました。それは、イエスが十字架に向かわれる
  最後の時でした。王として迎えられたイエスは、罪人を救うために十字架にかかられたのです。

  イエスは人となって、この地上においでくださり、神ご自身を人々に示してくださったのです。
  主イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できますように。

  『・・・
イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。
   「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。 イスラエルの王に。」
   イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。
   「恐れるな、娘シオン。 見よ、あなたの王が来られる。 ろばの子に乗って。」
』ヨハネ12:12~15


          



 2023.11.26 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 15:18~27 イエスからの励まし

  イエス・キリストは、人々に「神の国の福音」について語りました。また、多くの
  みわざ・癒やしを行われました。常に、愛と義による宣教と働きを成されましたが
  ユダヤ人たちの敵意や憎しみを買ったのです。律法学者やパリサイ人たちは、
  イエスは神を冒瀆する者だと、訴えたのです。

  『
もしあなたがたがこの世のものであったら、世は自分のものを愛したでしょう。
   しかし、あなたがたは世のものではありません。わたしが世からあなたがたを
   選び出したのです。そのため、世はあなたがたを憎むのです
。』(15:19)

  弟子たちを最初に迫害したのは、ユダヤ人でした。イエスの素晴らしいみわざを目撃
  しながら、イエスを神の御子と認めず、ねたみ憎んだのです。弟子たちがこの世のものでなく、イエスの
  ものであるなら、イエスと同じように世に憎まれると語られました。
            
  この世界は、
創造主なる神が造られました。しかし、その神を否定し、拒絶する世でもあります。
  弟子たちは、多くの迫害と試練の中で、宣教の働きを成していきます。主イエスのことばに聞き従う者
  には様々な試練があっても、「
助け主」なる「真理の御霊」が守り・支え・導いてくださるのです。

  『
わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方が
   わたしについて証ししてくださいます。
』(15:26)

  来週からアドベント待降節)を迎えます。イエスは人となって、この地上においでくださり、神ご自身を
  人々に示してくださったのです。主イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できますように。


         



 2023.11.19 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 15:12~17 わたしがあなたがたを選びました

  イエス・キリストは「」について繰り返し語られました。律法の専門家がイエス
  を試そうとして「律法の中で、どの戒めが一番重要ですか。」と尋ねたとき、
  
  『・・・
「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、
   主を愛しなさい。」これが、重要な第一の戒めです。
   「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」という第二の戒めも、
   それと同じように重要です。
・・・』と語りました。

  きょうの聖書箇所は、「互いに愛し合うこと」が命令として与えられています。
  『
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、
   これがわたしの戒めです。
』(15:12)

  自分のいのちさえ惜しまない愛は、最高の愛です。主イエスは私たちのために十字架にかかり、
  いのちを与えてくださいました。神の愛を明らかに示してくださったのです。
           
  私たちは、神さまの一方的な愛と守りの中に、支えられ導かれています。「まことのぶどうの木」
  であるイエスの愛にとどまり続けること、そして、実を結ぶ生涯でありますように。

  『
あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを
   任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、
   また、あなたがたがわたしの名によって、父に求めるものをすべて、父が与えてくださ
   るようになるためです。
』(15:16)

  
主イエスだけが、天国への道・救いへの道なのです。イエスは人となって、この地上においでくださり、
  神ご自身を人々に示してくださったのです。主イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。


       



 2023.11.12 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 15:7~11 わたしの愛にとどまりなさい

  きょうの聖書箇所は先週の続きです。イエス・キリストは『わたしにとどまる』
  『わたしの愛にとどまる』、『わたしのことばがあなたがたにとどまるなら』と
  語りました。主イエスに「とどまる」ようにと、繰り返し語られています。

  『
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。
   わたしの愛にとどまりなさい。
』(15:9)

  父なる神が御子イエスを愛したように、イエスも弟子たち(私たち)を愛して
  くだっています。その愛に基づく命令なのです。
      
  イエスの愛に「とどまる」とは、イエスの「戒めを守る」ことだと話されました。

  『
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、
   あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
』(15:10)

  イエスの愛にとどまり続ける生活とは、日々イエスの戒め(教え)を守り続ける生活なのです。
  神のことばである聖書に聞き従い、そのことばを実際の生活の中で行うことができますように。
  主イエスだけが、天国への道・救いへの道なのです。イエスは人となって、この地上においでくださり、
  神ご自身を人々に示してくださったのです。主イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。

  『
私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちに
   とどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。
』Ⅰヨハネ4:16

  本日は、私たちの教団が属している日本福音同盟(JEA)が加盟している世界福音同盟(WEA)の
  呼びかけによる「迫害下にある教会のための国際祈祷日」でした。
  迫害下で信仰を守っているクリスチャンたちのためにお祈りいたします。


         



 2023.11.5 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 15:1~6 わたしはまことのぶどうの木

  きょうの聖書箇所は、ヨハネの福音書15章の最初です。イエス・キリスト
  『
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。』(1節)と語りました。
  イエスはご自身を「まことのぶどうの木」、父なる神を「農夫」だと語っておられ
  ます。

  『
わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶ
   ものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
』(2節)

  ぶどうの木が豊かな実を結ぶために、農夫は様々な手入れや剪定を行います。
  それは、より多く良い実を結ぶために行われます。2節のみことばの、
  『刈り込みをなさいます』の直訳は『きよくなさいます』です。キリスト者は、試練や困難などの
  苦しみを通してもきよめられ、成長させていただくのです。神の愛による剪定なのです。
        
  『
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまって
   いるなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない
   のです。
』(5節)

  主イエスは「まことのぶどうの木」であり、私たちは「枝」です。イエスのうちにとどまり続けるなら、
  多くの実を結ぶことが出来るのです。『・・・
御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
  柔和、自制です。
・・・』(ガラテヤ5:22,23)
  また、魂の救いのみわざは、
伝道の実です。私たちは、時を生かして、主イエスを証しできますように。

  『・・・
苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
   練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることが
   ありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれている
   からです。
』(ローマ5:3~5)


            



 2023.10.29 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 14:25~31 わたしの平安を与えます

  十字架を目前にしてイエスは、弟子たちに告別の説教を語りました。きょうの
  聖書箇所はヨハネの福音書14章の最後のところで、先週に続いて「
聖霊」に
  ついて語られました。

  『
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、
   あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべての
   ことを思い起こさせてくださいます。
』(26節)

  イエスが弟子たちに真剣に、真実に教えられたことは、やがて遣わされる聖霊
  の働きによって思い起こされ、さらに深い理解へと進ませてくださるのです。
  聖霊の導きを信じて、聖書を読む習慣をつけることは、とても大切なことです。
       
  『
わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと
   同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
』(27節)
                                           
  主イエスを信じる者には、世のものとは違う「
イエスの平安」が与えられます。イエスは十字架の
  贖いによって、悔い改める者に、罪の赦しと神との和解を与えてくださいました。イエスにある
  自由と平安のなかに、守られ・支えられ・導かれているのです。神の愛が私たちを取り囲んでいる
  のです。
            

  10月31日は「宗教改革記念日」です。マルティン・ルターの言葉「たとえ明日世界が滅亡
  しようとも、きょう私はリンゴの木を植える」は有名です。ルターは永遠の「
天の御国」を信じ、
  地上における神の御国のあり方を生きる勇敢な改革者でした。ルターの「聖書のみ」「信仰のみ
  「万人祭司」の主張は、宗教改革の3大原理として、プロテスタント教会の共有財産となっています。
  
  また、2014年10月26日、現在の会堂で最初の礼拝がささげられました。9年経ちましたが、
  神さまの豊かな恵みと導きを覚え、感謝いたします。


       



 2023.10.22 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 14:20~24 イエスを愛する者は・・・

  イエス・キリストは、弟子たちに対する告別の説教の中で、もう一人の助け主
  「
聖霊」について話されました。天地創造の神は父・子・聖霊の三位一体の神
  です。十字架を目前にしてイエスは、ご自分と御父との関係を語られました。

  『
その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そして
   わたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。

                       (20節)
  イエスが父なる神のうちに、弟子たち(信じる者たち)がイエスのうちに、
  そして、イエスが弟子たち(信じる者たち)のうちにおられるのです。
      
  『
わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。
   わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、
   私自身をその人に現します。
』(21節)

  主イエスと弟子たち(信じる者たち)は、愛で結びついた関係です。イエスを愛するとは、イエスの
  ことばを守ることであると繰り返し語られています。

  『
わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、
   わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。
』(24節)
  
  イエスのことばは、イエスを遣わされた父なる神のことばなのです。
神のことばである聖書に聞き従い、
  そのことばを実際の生活の中で行うことができますように。
  主イエスだけが、天国への道・救いへの道なのです。イエスは人となって、この地上においでくださり、
  神ご自身を人々に示してくださったのです。主イエスにある平安と喜びにあふれて日々生活できます
  ように。

  本日、羽生キリスト教会において、洗礼式が執り行われました。神様の豊かな恵みを感謝いたします。

                    



 2023.10.15 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 14:15~19 もう一人の助け主

  きょうの聖書箇所もヨハネの福音書14章で先週の続きです。イエス・キリスト
  の弟子たちへの告別の説教が続きます。きょうの箇所は「
聖霊について語ら
  れました。

  『
もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
                               (15節)
  主イエスは十字架の死によって、いのちを捨てるほどに、私たちを愛してくだ
  さっています。『
神は愛だからです。』(Ⅰヨハネ4:8)
  その愛に応えて、神を信じ・愛し、戒め(
聖書の教え)に聞き従って歩んで
  いきたいと願います。
    
  『
そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主が
   いつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。
・・・』
                                     (16、17節)

  「
助け主」は、「援助者」「とりなし手」を意味することばです。主イエスが地上を去られてからは、
  
助け主(聖霊)が弟子たちに力を与えて、神の働き・宣教が前進していきました。「使徒の働き」は
  まさに「聖霊の働き」でもありました。
  
父・子・聖霊の三位一体の神がいつも私たちとともにいて、守り・助け・導いてくださるのです。
  主イエスの十字架による贖いの死によって、すべての人に救いの道が開かれました。イエスを信じ
  悔い改めて、日々、聖霊の助けと導きのなかに、生活できますように。
  主イエスだけが、天国への道・救いへの道なのです。イエスは人となって、この地上においでくだ
  さり、神ご自身を人々に示してくださったのです。主イエスにある平安と喜びにあふれて、毎日、
  生活できますように。


         



 2023.10.8 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 14:7~14 父とわたし

  きょうの聖書箇所はヨハネの福音書14章で先週の続きです。イエス・キリスト
  ご自身を「
道・真理・いのち」(6節)と示されました。さらに『・・・すでに
  あなたがたは父を見たのです。
』(7節)とことばを続けられました。弟子たちは、
  すぐに理解できなかったのでしょう。ピリポは『
主よ、私たちに父を見せてください。
  そうすれば満足します。
』(8節)とイエスに尋ねました。
     
  そんなピリポに、イエスは言われます。
  『
ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らない
   のですか。わたしを見た人は、父を見たのです。
・・・』(9節)

  イエスは、今までにも『
わたしと父は一つです』と語ってこられました。
  イエスを知ることは、父なる神を知ることと同じでした。父なる神のわざを行い、神の真理・ことばを
  語ってこられたイエスを見たことは、父なる神を見たことと同じだったのです。
              
  『
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。
   父が子によって栄光をお受けになるためです。
』(13節)

  主イエスは十字架の死により昇天されましたが、私たちには、
もう一人の助け主・聖霊が与えられ
  ました。主の御名によって祈り求めるとき、その祈りに応えてくださるという、すばらしい約束を
  いただいているのです。
  主イエスの十字架による贖いの死によって、すべての人に救いの道が開かれました。イエスを信じ、
  悔い改める者には、
永遠のいのちが与えられます。


           



 2023.10.1 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 14:1~6 道・真理・いのち

  きょうの聖書箇所はヨハネの福音書14章の初めです。イエスの弟子たちへの
  告別説教が続きます。天国についての約束が語られました。十字架を目の前に
  して、イエスは弟子たちに、
  『
あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じ
   なさい。
』(14:1)と語ります。

  『
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたを
   わたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるように
   するためです。
』(14:3)

  イエスの十字架の贖いによって、すべての罪が赦され、信じる者に
永遠のいのち
  与えられます。天国の住まいが備えられ、主イエスは常に共にいてくださるのです。
      
  弟子の一人であるトマスはイエスに、
  『
主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができる
   でしょうか。
』と尋ねました。

  『
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してで
   なければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
・・・」 』(14:6)

  主イエスだけが、天国への道・救いへの道なのです。イエスは人となって、この地上においで
  くださり、神ご自身を人々に示してくださったのです。主イエスにある平安と喜びにあふれて
  日々生活できますように。


              



 2023.9.24 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 13:36~38 イエスからペテロへ

  きょうの聖書箇所はヨハネの福音書13章の最後です。イエスシモン・ペテロ
  の問答が記されています。十字架を目前にして、主イエスの告別の説教が続き
  ます。
  『
ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。
   あなたのためなら、いのちも捨てます。」
 』(13:37)

  ペテロは殉教の覚悟があると語りましたが、すべてをご存知のイエスは、彼が
  否認することを知っておられました。
        
  『
イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、
   まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知ら
   ないと言います。」 
』(13:38)

  このイエスのことばは、この後、現実となっていきます。しかしイエスは、ペテロが立ち直れるように、
  信仰がなくならないように、先に祈っていてくださったのです。

  『
シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、
   聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように
   祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

                             ルカの福音書22:31,32

  ペテロは失敗や苦しい経験を通して、真の謙遜を学んでいきます。主イエスを愛し・従う者をいつも守り・
  支え・導いてくださる、イエスの愛を感謝いたします。
  主イエスのことば(聖書)を聞き、従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて
永遠のいのちをいただくことができますように。


          



 2023.9.17 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 13:31~35 新しい戒め

  きょうの聖書箇所は先週の続きです。過越の食事(最後の晩餐)の大広間から
  ユダは出て行きました。
イエスは、11人の弟子たちに告別の説教を語られました。

  『
今、人の子は栄光を受け、神も人の子によって栄光をお受けになりました。』
     (13:31)

  「
人の子」とはイエス・キリストです。主イエスの受難(十字架)により、神の大
  いなる愛が現されました。それは神ご自身が栄光をお受けになったことでもあり
  ます。イエスは十字架の贖いを成し遂げて、罪(サタン)に対して圧倒的な勝利
  を与えてくださったのです。
      
  『
わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。
   わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
』(13:34)

  主イエスは、ご自分のいのちを捨てるほどに、私たちを愛してくださったのです。イエスは死を目前に
  して、告別の説教としてこのことばを語られました。
             
  旧約聖書レビ記の中に
  『
あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を
   自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。
』(レビ記19:18)とあります。

  聖書は初めから、人を愛することの大切さを教えています。しかし、旧約時代の律法を超えて、
  主イエスが弟子たちを、また人々を愛された、その愛の実践が「
新しい戒め」なのです。

  『
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、
   互いに愛し合うべきです。
』 Ⅰヨハネ4:11


         



 2023.9.10 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 13:21~30 イエスを裏切る者

  きょうの聖書箇所は『ユダの裏切り』が記されています。弟子たちには分から
  なかったのですが、
イエス・キリストはユダの裏切りを知っておられました。

  『
イエスは、これらのことを話されたとき、心が騒いだ。そして証しされた。
   「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、
   わたしを裏切ります。」
 』(13:21)

  弟子たちの心も、穏やかではなかったでしょう。弟子たちは、それが誰かを
  知ろうとして、イエスに尋ねました。

  『
その弟子はイエスの胸元に寄りかかったまま、イエスに言った。「主よ、
   それはだれのことですか。」 
』(13:25)
            
  『
イエスは答えられた。「わたしがパン切れを浸して与える者が、その人です。」それからイエスは
   パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダに与えられた。
』(13:26)

  「パン切れを浸して与える」とは、主人が客に示すもてなしの行為でした。イエスはご自分を裏切る
  ユダに愛の行為をされたのです。イエスとユダとの会話がなされますが、他の弟子たちのなかで、
  分かった者はだれもいませんでした。

  『
ユダはパン切れを受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。』(13:30)

  「夜」という闇の中で、ユダは裏切りを実行に移していくのです。十字架の時が近づいていきます。
  主イエスの十字架による贖いの死によって、すべての人に救いの道が開かれました。イエスを信じ、
  悔い改める者には、永遠のいのちが与えられます。


             



 2023.9.3 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 13:1~11 弟子たちの足を洗われたイエス

  きょうの聖書箇所 ヨハネの福音書13章から主イエスの告別の説教が始まり
  ます。十字架を目前にした木曜日、イエスは弟子たちと最後の夕食をともにされ
  ました。

  『
さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、
   ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たち
   を愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。
』(13:1)

  イエスのことばや行いのすべては、愛に根ざしたものでした。すべての人の罪を
  赦す贖いの十字架に向かわれたイエスは、弟子たちを、そして私たちを豊かに愛
  してくださっています。『
最後まで愛された』は、『極みまで愛された』とも訳
  されることばです。
           
  この夕食の席で、イエスは弟子たちがびっくりするような行動を取られたのです。

  『
イエスは夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
   それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいで
   ふき始められた。
』(13:4,5)

  当時、足を洗う行為は、身分の低い奴隷がすることでした。ペテロはイエスに、『
決して私の
  足を洗わないでください。
』と言いましたが、イエスは、『わたしがあなたを洗わなければ、
  あなたはわたしと関係ないことになります。
』と答えられました。

  主イエスは、卑しいしもべとして仕える者となってくださいました。十字架上で罪を贖う子羊となって
  くださったのです。イエスの流された尊い血潮のゆえに、私たちはすべての罪が赦されています。
  主イエスの十字架を信じ、悔い改めて、永遠のいのちをいただくことができますように。


             



 2023.8.27 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 12:44~50 光として世に来られたイエス

  十字架を目前にして、イエス・キリストは大切な真理を人々に語り続けました。
  きょうの聖書箇所では、『
イエスは大きな声でこう言われた』(12:44)と
  あります。
  『
わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのです。』(4:45)と語り
  御子イエスは、父なる神との関係性を明らかにしています。
     
  『
わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中に
   とどまることのないようにするためです。
』(12:46)

  主イエスの十字架を信じ、悔い改める者には、
罪の赦し永遠のいのち
  与えられます。罪の闇から解放されて、光なるイエスとともに歩む恵みが
  備えられているのです。
          
  『・・・
わたしが来たのは世をさばくためではなく、世を救うためだからです。
   わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。
・・・』
           (12:47,48)

  主イエスは、人々を永遠の滅びから救うために、この世に来られました。十字架の贖いを成し遂げて
  くださったのです。しかしイエスを拒み、救いのことばを受け入れない者には、神のさばきがあります。
  最後の時に、私たちは神の前に立ち、いのちか滅びかに分けられていくのです。
  
主イエスの十字架を信じ、悔い改めて、永遠のいのちをいただくことができますように。

  『
まことに 主は私たちの神。 私たちは その牧場の民 その御手の羊。
   今日 もし御声を聞くなら あなたがたの心を頑なにしてはならない。
・・・』(詩篇95:7,8)


               



 2023.8.20 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 12:20~26 一粒の麦が死ねば・・・

  きょうの聖書箇所は先週の続きです。イエス・キリストの最後の一週間の出来事
  です。過越の祭りの直前に、最後のエルサレム入りをなされた主イエスは、人々に
  大切な教えを語りました。ここには、ギリシア人が登場します。

  『
さて、祭りで礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシア人が何人か
   いた。
』(12:20)

  過越の祭りに来ていたユダヤ教改宗者とみられるギリシア人たちがいたのです。
  彼らは、イエスにお会いしたいとピリポにお願いし、ピリポはアンデレのところに
  行って話しました。
      
  すると、イエスは『
人の子が栄光を受ける時が来ました。』(20:23)と、宣言されたのです。
  人の子とは、
イエス・キリストのことであり、十字架の時を示しています。

  『
まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒の
   ままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。
』(12:24)

  主イエスの十字架による贖いの死によって、すべての人に救いの道が開かれたのです。イエスを信じ、
  悔い改める者には、
永遠のいのちが与えられます。
              
  また、イエスを信じ・従う者は、自己中心の生活ではなく、イエスを愛し、従うようにと語られました。

  『
それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、
   自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
』マタイ16:24


            



 2023.8.13 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 12:12~19 イエスのエルサレム入城

  イエス・キリストは、その生涯でエルサレムに来られたことは何度もあったでしょう。
  きょうの聖書箇所は、イエスの地上生涯における最後のエルサレム入りです。
  最後の一週間がついに始まり、主イエスは十字架への道を進まれます。
  多くの群衆は、イエスを熱狂的に迎えました。彼こそ、イスラエルをローマ帝国の
  支配から解放するメシアだと期待していたのです。

  『
なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。
   祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」

       (12:13)

  「ホサナ」は、「どうか救ってください」の意味です。群衆は、イエスが罪からの
  救い主という本当の意味が分からず、圧政からの救いを求めていたのです。
        
  『
イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。
   「恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
 』(12:14,15)

  ろばの子に乗られてのエルサレム入りは、
預言者ゼカリヤの預言の成就であり、柔和な王の姿です。
  イエス・キリストは、
罪による滅びから人々を救うために、この世においでになったのです。
  
主イエスのことば(聖書)を聞き、従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて
永遠のいのちをいただくことができますように。

  『
娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに
   来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。
   わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。
   彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。

             ゼカリヤ9:9,10


         



 2023.8.6 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 12:1~11 ナルドの香りが家に満ちた

  今日の聖書箇所には、マリアが主イエスに高価な香油を注いだ出来事が記されて
  います。イエスは「過越の祭り」の直前に、再びベタニアに来られました。そこは
  『ツァラアトに冒された人シモンの家』(マルコ14:3)で、人々はイエスの
  ために夕食の用意をします。マルタは給仕をし、よみがえったラザロもいました。
  そこで突然、マリアは、誰も予想すらできない大胆な行動をとったのです。

  『
一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ取って、
   イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りで
   いっぱいになった。
』(12:3)
     
  麗しい出来事ですが、直ぐに非難が起こりました。
  『
弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。「どうして、この香油を
   300デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
 』(12:4,5)

  約1年分の報酬に価するほどの高価な香油が注がれたのです。しかし著者ヨハネは、ユダの
  不正行為をはっきり指摘しています。
  『
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを
   預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。
』(12:6)
           
  『
イエスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、
   それを取っておいたのです。」 
』(12:7)

  主イエスは、マリアがささげたその心も、喜び受け入れてくださいました。私たちも、いつも豊かな
  ものを備え・与えてくださるイエスに、感謝と喜びをもって献げ、共に歩むことができますように。

  『
まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、
   この人がしたことも、この人の記念として語られます。
』マタイ26:13


               



 2023.7.30 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 11:38~44 ラザロよ、出て来なさい

  今日の聖書箇所は、先週の続きで「ラザロの死とよみがえり」の出来事です。
  
イエスがベタニア村に着いたときには、ラザロが墓に入れられてから4日も
  経っていました。墓は、ほら穴で、石が置かれてふさがれていました。
  イエスは、『
その石を取りのけなさい。』と言われます。しかし、マルタは、
  『
主よ、もう臭くなっています。4日になりますから。』と言いました。
       
  『
イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに
   言ったではありませんか。」 
』(11:40)

  人々が石を取りのけたあと、イエスは目を上げて、父なる神に祈りをささげ
  ました。そして、『
ラザロよ、出て来なさい。』(43節)と大声で叫ばれたのです。

  『
すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。・・・』
  (44節) 死んで埋葬されたラザロが、確かによみがえったのです。
               
  ラザロは、この時よみがえりましたが、後の日に肉体の死を迎えました。すべての人は必ず死ぬの
  です。しかし、主イエスを信じ、罪を悔い改めるなら
永遠のいのちをいただくことができます。
  
イエス・キリストは十字架の死からよみがえり、今も生きて、私たちとともにいてくださるのです。

  『
わたし(イエス)はよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
    (11:25)


            



 2023.7.23 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 11:30~37 イエスは涙を流された

  今日の聖書箇所はヨハネの福音書11章、先々週の続きです。悲しむマルタと
  マリアを慰めようと、大勢のユダヤ人が寄り添っていました。
  『
マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で
   座っていた。
』(20節)
  行動的なマルタは、村に近づいたイエスに会うため、出かけました。マリアは
  彼女を慰めていたユダヤ人とともに家にいました。
     
  『
マルタは・・・帰って行って姉妹のマリアを呼び・・・「先生がお見えになり、
   あなたを呼んでおられます。」
 』(28節)と伝えました。ベタニア村に入られた
  イエスに会うため、マリアは急いで立ち上げって出て行ったのです。

  マリアは、イエスの足もとにひれ伏して言いました。『
主よ。もしここにいてくださったなら、
  私の兄弟は死ななかったでしょうに。
』(32節)

  イエスは、マリアやユダヤ人たちが泣いているのをご覧になって、『
霊に憤りを覚え、心を騒がせ』た
  (33節)のでした。そして、『
イエスは涙を流された。』(35節)のです。
            
  次週は、ラザロが墓から出て来る、復活の場面です。墓の中に入れられて4日もたっていたラザロが
  よみがえるのです。神のみわざ・栄光が現されます。そして・・・イエス・キリストは十字架の死から
  よみがえり、今も生きて、私たちとともにいてくださるのです。主イエスを信じる者には、永遠のいのちが
  与えられています。

  『
キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、
   大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。

      ヘブル5:7


          



 2023.7.16 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
創世記 2:16~17 神様の約束

  本日は、舘野牧師が不在(群馬県の教会でご奉仕)のため、役員の方が宣教の
  ご奉仕を務めました。
    
  今春、教団の聖会が、4年ぶりに集まって開催されました。10数年ぶりに参加
  することができ、一泊二日、5回の集会は濃厚な恵みの時間でした。その中で
  心に残った言葉がありました。早天祈祷会で語られた「
約束を守られる神様
  です。本当にその通りと、改めて思いました。そのことの証しと、神様の約束を
  破ってしまった人間の最初の罪について語りたいと思います。

  『
神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま
   食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木
   から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
 』創世記2:16,17

  アダムとエバは、この神の命令を破ってしまいました。ヘビ(サタン)の誘惑に負けてしまったのです。
  二人は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠しました。神はすべてのことをご存知ですが、
  『
あなたはどこにいるのか』(3:9)と呼びかけられたのです。二人は、神の前に謝罪することなく、
  かえって責任を転嫁し、自分を正当化しました。神に背を向けて自分本位に行動することこそ罪です。
         
  『
わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。
   彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。
』(3:15)

  ここは
原福音と言われている箇所です。聖書最初のメシア預言です。イエス・キリストの救いが約束
  されています。罪を犯した人間に、愛なる神は救いの道を備えてくださったのです。
              
  『
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』使徒16:31

  パウロとシラスが伝道旅行のなか、捕らえられ投獄されてしまします。これは看守に語られたみことば
  です。このみことばの真実さ、約束を守られる神様を実感しています。自分は高校生の時に洗礼を受け
  ましたが、両親はずっと反対していました。しかし、40年以上の時を経て、両親ともに主イエスを信じ、
  病床洗礼を受けることができました。信じた者は、罪が赦され、天国に行くことができるのです。


           



 2023.7.9 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 11:17~27 死は終わりではない

  今日の聖書箇所は、先週の続きです。病気にかかっていたラザロが死んで、
  墓に葬られたのです。マルタとマリアを慰めようと、大勢の人々が来ていました。
  
イエスもそこにおいでになりましたが、ラザロが墓の中に入れられて、すでに
  4日もたっていたのです。腐敗が始まろうとしていました。

  『
マルタはイエスに言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は
   死ななかったでしょうに。」
 』(21節)

  兄弟の死の悲しみのあまり、なぜもっと早くに来てくださらなかったのかと嘆き、
  思いをイエスに訴えています。
       
  『
イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」 』(23節)

  マルタは『
終わりの日のよみがえり』を信じていました。しかしイエスは彼女に言われたのです。
  『
わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。・・・』(25節)

  イエスを信じる者にとって、終わりの日のよみがえりだけではなく、今、「
永遠のいのち・新しいいのち
  に生かされているのです。
  
  『
また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、
   このことを信じますか。
』(26節)

  主イエスのことば(聖書)を聞き、従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。


             



 2023.7.2 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 11:1~16 友の病気の報に接して

  今日の聖書箇所は、ヨハネの福音書11章最初のところです。ベタニアに住む
  マリア、マルタ、ラザロの3人のきょうだいが登場します。このマリアは、イエス
  に香油をささげたマリアであり、兄弟ラザロが病んでいたのです。姉妹たちは、
  イエスのもとに使いを送り、
  『
主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。』(3節)と
  訴えました。一刻もはやく、イエス来ていただいて癒やしてくださることを願った
  ことでしょう。
      
  しかし、これを聞いて、イエスは言われました。
  『
この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。
   それによって神の子が栄光を受けることになります。
』(4節)

  イエスは、この3人のきょうだいを愛しておられましたが、すぐにベタニアに行こうとはせず、
  2日間その場所にとどまられたのでした。それは、死からの復活という神の栄光が現されるため
  なのです。
              
  2日遅れて、イエスはベタニアに向かいます。イエスは弟子たちに言われました。
  『
ラザロは死にました。あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に
   居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。
』(14,15節)

  このあと、墓の中に入れられて4日もたっていたラザロがよみがえるのです。神のみわざ・栄光が
  現されるのです。そして・・・
イエス・キリストも十字架の死からよみがえり、今も生きて、私たちと
  ともにいてくださるのです。

  『
信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。』(40節)


               



 2023.6.25 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 10:31~39 イエスを拒絶する理由

  イエス・キリストは、たくさんの愛によるみわざ・奇跡を行い、神の国の真理を
  語られました。しかし、敵意を持つユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようと
  したのです。イエスは神を冒瀆している、と彼らは繰り返し訴えてきました。

  『
ユダヤ人たちはイエスに答えた。「あなたを石打ちにするのは良いわざの
   ためではなく、冒瀆のためだ。あなたは人間でありながら、自分を神とし
   ているからだ。」 
』(10:33)

  レビ記に、『
自分の神をののしる者はだれでも罪責を負う。主の御名を
  汚す者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその人に石を投げて
  殺さなければならない。
・・・』(24:15,16)と記されています。

  しかし主イエスは、まさに神であり、決して神をののしる者でも、主の御名を汚す者でもありません
  でした。神を冒瀆することなどあり得なかったのです。
       
  主イエスのことばを聞こうとせず、自分たちこそが正しいと主張するユダヤ人たちに、イエスは
  語りました。
  『
もしわたしが、わたしの父のみわざを行っていないのなら、わたしを信じてはなりません。しかし、
   行っているのなら、たとえわたしが信じられなくても、わたしのわざを信じなさい。それは、父が
   わたしにおられ、わたしも父にいることを、あなたがたが知り、また深く理解するようになるため
   です。
』 (10:37,38)

  
主イエスの愛を、しっかりと知り、また深く理解することができますように、お祈りいたします。
  
私たちは、聖霊の助けにより、神のみことば(聖書)を正しく理解し、従うことができますように。


         



 2023.6.18 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 10:22~30 わたしと父は一つです

  今日の聖書箇所は先週の続きです。ヨハネの福音書10章は、『わたしは門です』
  『わたしは良い牧者です』という
イエス・キリストのことばで始まっています。
  仮庵の祭りから2ヶ月半後の冬、場所はエルサレム、宮きよめの祭りがありました。
  イエスは宮の中で、ソロモンの回廊を歩いていたとき、ユダヤ人たちに取り囲まれ
  たのです。

  『
あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。あなたがキリストなら、
   はっきりと言ってください。
』(24節)

  イエスは答えられました。
  『
わたしは話したのに、あなたがたは信じません。・・・・・あなたがたが
   わたしの羊の群れに属していないからです。・・・・
』(25,26節)

  ユダヤ人たちは、自分たちこそが正しいと主張し、神のことばを素直に誠実に聞こうとしませんでした。
  主イエスを敵対視して、神のことばを拒みつづけたのです。主の群れから離れた状態でした。
              
  『
わたしの羊たちは、わたしの声を聞き分けます。・・・・』(27節)

  良い牧者であるイエスは、羊(私たち)を愛し、守ってくださるお方です。私たちも主イエスを愛し、
  主の声を聞き、群れにとどまるのです。

  『
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも
   彼らをわたしの手から奪い去りはしません。
』(28節)

  イエスは良い牧者として、十字架でいのちを捨てられました。それは、私たちが永遠のいのち
  得るためです。
十字架が自分の罪のためであることを知り、悔い改めて永遠のいのちをいただく
  ことができますように。


     
     



 2023.6.11 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 10:16~21 イエスのことばに対する反響

  ヨハネの福音書10章は『良い牧者』について語られています。イエス・キリスト
  
は父なる神から遣わされた良い牧者であり、羊(私たち)のためにいのちを捨てる
  救い主です。
主イエスの十字架は、私たちの罪を赦し、永遠のいのちを与えるため
  なのです。
  
  『
だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てる
   のです。
』(10:18)
     
  『
わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊たちがいます。それらも、
   わたしは導かなければなりません。
・・・』(10:16)

  「この囲いに属さないほかの羊たち」とは、異邦人のことです。十字架は、ユダヤ人だけでなく、
  すべての人のためであり、信じる者は主イエスにあるいのちを得ることができるのです。
  
  『
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。
                                テモテへの手紙 第一2:4
           
  イエスのことばは、ユダヤ人たちの間に分裂を生じさせました。自分たちこそが正しいと考える
  ユダヤ人たちは、イエスご自身やイエスのことばを正しく理解することができませんでした。
  私たちは、
聖霊の助けにより、神のみことば(聖書)を正しく理解し、従うことができますように。

      『
主よ、お話しください。しもべは聞いております。』サムエル記 第一3:9


           



 2023.6.4 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 10:1~15 わたしは門、わたしは良い牧者

  6月1日は羽生キリスト教会の創立記念日であり、本日の礼拝は創立記念礼拝
  でした。福音伝道協会(現福音伝道教団)による羽生開拓が、1927年(昭和2年)
  6月に開始され、今年は96周年です。羽生教会の最初の献堂式は1936年(昭和
  11年)、第2回は1964年(昭和39年)、そして3回目の現会堂は、2014年(平成
  26年)です。
主の豊かな恵みの中に、支えられ導かれてきたことを感謝いたします。
      
  今日の聖書箇所は
ヨハネの福音書10章です。イエス・キリストは『わたしは門
  です
』(9節)と言われました。門は重要な役割をなし、ただ一つでした。盗人や
  強盗は門から入らず、ほかのところを乗り越えて来たのです。しかし、門から入る
  本当の牧者は、羊たち一匹一匹の名前を呼び、養い守ったのでした。

  『
わたしは門です。だれでもわたしを通って入るなら救われます。また、出たり入ったりして、
   牧草を見つけます。
』(9節)
            
  また、主イエスは『
わたしは良い牧者です』(11節)とも言われました。牧者でない雇い人は、狼が
  来ると、羊を置き去りにして逃げてしまったのです。自分の身の安全を守ることが第一でした。
  しかし、主イエスは、羊たち(私たち)がいのちを得るため、それも豊かに得るために来てくださった
  のです。
  『
わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。』(11節)

  イエスは良い牧者として、十字架でいのちを捨てられました。それは、私たちが
永遠のいのち
  得るためです。十字架が自分の罪のためであることを知り、悔い改めて永遠のいのちをいただく
  ことができますように。

  『
イエスは・・・言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」 』(14:6)


              



 2023.5.28 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 9:35~41 霊的開眼

  本日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。ペンテコステとはギリシャ語で、五旬節・
  50日目の意味です。五旬節は、過越の祭りから50日目に祝われるユダヤ人の
  祭りで、キリスト教会の誕生を記念する日でもあります。
イエス・キリストの復活、
  昇天の後、約束の
聖霊が与えられました。聖霊は、いつも私たちと共にいて、助け・
  守り・導いてくださるお方です。


  『しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。
                            
使徒の働き1:8
      
  
ヨハネの福音書9章は、生まれつき目の見えない人が、主イエスの癒やしにより、
  見えるようになった出来事が記されています。きょうは、9章の最後のところです。
  盲目で生まれた人は、
  『盲目で生まれた者の目を開けた人がいるなどと、昔から聞いたことがありません。
   あの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできなかったはずです。
   (8:32,33)とはっきりと語りました。

  ユダヤ人たちが持っていたイエスに対する敵意は、目が見えるようになったこの人に対しても向けられ、
  『
彼を外に追い出した』のです。
           
  そんな彼をイエスは見つけ出して、信仰告白へと導かれました。
  『
彼は「主よ、信じます」と言って、イエスを礼拝した。』(9:38)

  盲目だった人は、肉体の目が見えるようになっただけではなく、霊の目も開かれて、主イエスを
  正しく理解することができました。イエスをはっきりと知り、信じたのです。
  
主イエスの招き・聖書のみことばに心を開き、聞き従うことができますように。

   『今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。』ヘブル3:7


              



 2023.5.21 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 9:24~34 恵みに応える生き方

  本日は「召天者記念礼拝」でした。外部の関係者の方々をお招きして開催する
  ことができました。この日は、天国に召された方々を偲び、私たちは地上でいか
  に生きていくかを考える時です。今生かされている私たちが、みことばを深く
  味わい、神の恵みと励ましをいただいて『走るべき道のりを走り終え、信仰を
  守り通す
』(Ⅱテモテ4:7)ことができますように。

  『・・・
彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。
                       ヘブル 11:4
    
  今日の聖書箇所は先週の続きです。生まれつき目の見えない人が、主イエスの癒やし
  により、目が見えるようになったのです。この素晴らしい出来事にすべての人が喜ぶ
  はずでしょう。しかし、これが事件に発展してしまったのです。イエスが癒やしのわざを行ったのが、
  安息日だったからでした。イエスに敵意を持つユダヤ人指導者たちは、イエスを罪人だと語って
  います。そんなユダヤ人たちに対して、
  『・・・
私は盲目であったのに、今は見えるということです。』(9:25)とイエスのみわざを、
  はっきりと証ししました。
           
  『
神は、罪人たちの言うことはお聞きになりませんが、神を敬い、神のみこころを行う者がいれば、
   その人の言うことはお聞きくださいます。・・・・・・ 
   あの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできなかったはずです。
』(9:31、33)

  盲目だった人は、肉体の目が見えるようになっただけではなく、霊の目も開かれて、主イエスを
  正しく理解することができました。イエスをはっきりと知り、信じたのです。
  信仰生活は、神の恵みへの応答です。
  私たちの罪を赦し、新しいいのち・永遠のいのちを与えてくださるのは、イエス・キリストだけです。
  主イエスのことば(聖書)を聞き、従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  『
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たこと
   ではなく、神の賜物です。
』 エペソ2:8


         



 2023.5.14 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 9:13~23 素直に喜べばいいのに・・・

  今日の聖書箇所は先週の続きです。生まれつき目の見えない人が、主イエス
  の癒やしにより、目が見えるようになったのです。病気が癒やされたとき、本人
  も家族も喜ぶのは当然です。しかし、パリサイ人たちは喜ぶことができませんで
  した。彼らには愛する心がなかったのでしょう。
     
  『
イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。』(9:14)

  パリサイ人からすると、泥を作り、それを目に塗り、洗うことは、安息日の律法
  に違反することでした。盲人が癒やされるという素晴らしい奇跡から、論争が
  始まり、分裂が生じたのです。

  『
ユダヤ人たちはこの人について、目が見えなかったのに見えるようになったことを信じず、
   ついには、目が見えるようになった人の両親を呼び出して・・・
』(9:18)

  心かたくななユダヤ人たちは、彼の両親に証言させようとしました。しかし、『
もう大人ですから、
  息子に聞いてください
』と答えるのみでした。
  『
彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、
   イエスをキリストであると告白する者がいれば、会堂から追放すると決めていた。
』(9:22)
           
  
イエス・キリストは、多くの人々に神のみことばを語り、素晴らしいみわざを成されました。
  しかし、それらを否定する人々もいました。主イエスの宣教の働きは、苦難の道のりでした。
  私たちも、日々の生活で、さまざまな苦難や問題が降りかかってくるでしょう。どのような時にも
  いつも共にいてくださる主イエスを信じて、平安のうちに歩むことができますように。
  私たちの罪を赦し、
新しいいのち・永遠のいのちを与えてくださるのは、イエス・キリストだけです。
  主イエスのことば(聖書)を聞き、従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  『
今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。』ヘブル3:7


           



 2023.5.7 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 9:1~12 盲人の目に光が

  今日の聖書箇所ヨハネの福音書9章には、イエス・キリストの奇跡が記されてい
  ます。生まれたときから目の見えない人が癒やされたのです。場所はエルサレム
  「
シロアムの池」です。弟子たちは通りすがりに盲人を見かけて、イエスに尋ねま
  した。
  『
先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。
   この人ですか。両親ですか。
』(9:2)

  病気や不幸な出来事が、罪の結果であるという「因果応報」につながっています。
  しかし、イエスは弟子たちの質問を、きっぱりと否定したのです。

  『
この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが
   現れるためです。
』(9:3)
    
  目の見えない人は、イエスのみわざによって見えるようになりました。
  イエスの言われたとおり、シロアムの池に行って洗うと、癒やされたのです。
  イエスは肉体の目だけでなく、霊の目も開いて、全き信仰へと導いてくださるお方です。
  私たちの罪を赦し、新しいいのち・永遠のいのちを与えてくださるのは、イエス・キリストだけです。
  主イエスのことば(聖書)を聞き、従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて永遠のいのちをいただくことができますように。

  『
主は目の見えない者たちの目を開け、主はかがんでいる者たちを起こされる。』詩篇146:8


     



 2023.4.30 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 8:25~30 イエスの自己証言~核心部分

  イエス・キリストは人々に、罪の悔い改めと救いについて語りましたが、ユダヤ人
  たちは、なかなかそれを正しく理解することができませんでした。知恵と権威に
  満ちた主イエスのことばは、かえってユダヤ人指導者たちの反感を買い、ねたみや
  憎しみとなっていきました。
  きょうの聖書箇所では、イエスはユダヤ人たちに語っておられます。

  『
あなたがたは下から来た者ですが、わたしは上から来た者です。
   あなたがたはこの世の者ですが、わたしはこの世の者ではありません。

  (8:23)

  主イエスは、ご自分を上から、すなわち天から来た者であると語っておられます。
  また、私たちはこの世の者であり、罪の世界に生きているのです。
      
  イエスは父なる神から遣わされ、神のことばを語り、神のみわざを成されたのです。
  『
わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。
   しかし、わたしを遣わされた方は真実であって、わたしはその方から聞いたことを、
   そのまま世に対して語っているのです。
』(8:26)

  父なる神と主イエスは一つとなって行動しておられます。イエスの願いは、父の思いをいつも共有し、
  父の喜びを行うことなのです。

  『
わたしを遣わした方は、わたしとともにおられます。わたしを一人残されることはありません。
   わたしは、その方が喜ばれることをいつも行うからです。
』(8:29)

  主イエスのことば(聖書)を聞き、従うことができますように。十字架が自分の罪のためであることを知り、
  悔い改めて
永遠のいのちをいただくことができますように。


          



 2023.4.23 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 8:12~19 イエスの自己証言~世の光

  ヨハネの福音書には、イエス・キリストが『わたしは・・・です』と、ご自身を
  証言することばが多くあります。きょうの聖書箇所でも、
  『・・・わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことが
   なく、いのちの光を持ちます。
』(8:12)と人々に語られました。

  光は周りを明るく照らします。また、神の光で内面を照らす時、罪の暗闇が
  明らかにされます。自分の力ではどうすることもできない罪の問題を、イエス
  は解決してくださるのです。主イエスに従う者は、決して闇の中を歩むことが
  ない、と約束してくださいました。十字架にかかって死んでくださったイエスは
  悔い改める者の罪を赦してくださるお方です。
     
  すると、パリサイ人はイエスのことばに対して「自分で自分のことを証しして
  いるので、その証しは真実ではない」と反論しました。そんな彼らに、イエスはご自分の証言が
  真実であると答えられました。

  『わたしは自分について証しする者です。またわたしを遣わした父が、わたしについて証しして
   おられます。
』(8:18)

  主イエスをこの世にお遣わしになった父なる神が、ご自分の証言者であると語っておられます。
  イエスは神の御子であり、権威ある存在なのです。
             
  ヨハネの福音書は、12弟子の一人であったヨハネによって書かれました。
  『
イエスは神の子である』ということが、はっきり語られています。
  
イエス・キリストは、罪人を救うために世においでくださり、十字架にかかって死なれたのです。
  真実な悔い改めをもって、罪の赦しと永遠のいのちをいただくことができますように。

  これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが
   信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
 (20:31)


       



 2023.4.16 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 8:1~11 注目されたイエスのことば

  きょうの聖書箇所はヨハネの福音書8章最初のところです。場所は宮(神殿)で
  イエスが人々に教え始められた時のことです。宮は祈り・献金の場であり敬虔な
  場所です。エルサレムの宮には毎朝、祈りと黙想のために、多くの人々が訪れた
  ことでしょう。
  『・・・人々はみな、みもとに寄って来た。イエスは腰をおろして、彼らに
   教え始められた。
』(8:2)
     
  すると、そこに姦淫の場で捕らえられた女性が連れて来られたのです。
  律法学者とパリサイ人は、『イエスを告発する理由を得ようと、イエスを試みて
  (8:6)言いました。
  『モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするよう私たちに命じています。
   あなたは何と言われますか。
』(8:5)

  イエスは沈黙して、指で地面に何かを書いておられましたが、彼らが問い続けるので、
  『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい。』(8:7)と言われました。
             
  彼らはそれを聞くと、年長者たちから始まり、一人、また一人と去って行き、真ん中にいた女と
   ともに、イエスだけが残された。
』(8:9)

  石を投げる者も、その場に残る者も、誰もいませんでした。そしてこの女性は、イエスから
  
わたしもあなたにさばきを下さない。』(8:11)と、罪の赦しをいただいたのです。
  
イエス・キリストは、罪人を救うために世においでくださり、十字架にかかって死なれたのです。
  真実な悔い改めをもって、罪の赦しと永遠のいのちをいただくことができますように。

  神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、
   和解のことばを私たちに委ねられました。
』Ⅱコリント5:19


           
 



 2023.4.9 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ルカ 24:1~12 復 活
      

         イースターおめでとうございます。
  
  
イエス・キリストは、十字架刑と葬りの後、3日目によみがえられました
  主の復活は歴史的事実です。私たちは、その事を心から信じ、今、生きて
  共にいてくださる主の御名をほめたたえます。

  神の御子イエス・キリストは、何の罪も犯されませんでしたが、十字架という
  最もむごい刑で死なれました。逮捕から不当な裁判、そして十字架への道でも、
  十字架上でも、暴力・ののしり・あざけりを受けました。それは私たちの罪の
  ためです。私たちの罪を贖うための苦しみと死だったのです。

  『
主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、
   よみがえられました。
』ローマ4:25
             
  きょうの聖書箇所 
ルカの福音書24章には、主イエスの復活の出来事が記されています。
  イエスの死は確認され、墓に納められ、簡単な処置のみがなされました。墓は大きな石によって封印され、
  番兵によって、しっかりと墓の番がなされました。
  日曜日の早朝、女性たちは、ご遺体に油を塗りに行こうと思い、墓に行きました。すると、石が墓から
  わきに転がされていて、中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかったのです。そこに、2人の
  御使いが現れて言いました。
  『
・・・ここにはおられません。よみがえられたのです。・・・人の子は必ず罪人たちの手に
   引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。
』(6、7節)
              
  彼女たちは、墓から戻って、弟子たちや他の人たちに、これらすべてを報告します。しかし、この時、
  弟子たちは、彼女たちを信じることが出来なかったのです。
               
  十字架にかかって死なれたイエスは、約束通り、日曜日の朝(3日目)によみがえられたのです。
  そして、その御姿を弟子たちに現してくださいました。
  主イエスの恵みと祝福が豊かにありますように、お祈りいたします。

        『
イエスは・・・言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。
         わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
 』ヨハネ11:25


        



 2023.4.2 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
詩篇23篇 証し(信仰の体験談)
  

  きょうの礼拝は、福音伝道教団の聖会中(群馬県伊香保にて)で、牧師が不在
  のため、教会員の証し(信仰の体験談)でした。
  2人の方の証しを、一部抜粋して掲載いたします。
     
  現在の世界は、戦争や紛争、異常気象など、さまざまな憂慮すべき事柄があり
  ます。今、私たちは終末の時代を生きていると言えます。
  日本においては、私たちは多くの神社仏閣に囲まれています。しかし、聖書の
  中の創造主なる神は、今も生きておられ、唯一なるお方です。旧約聖書イザヤ書
  に、こう記されています。

  『
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。
   わたしが神だ。ほかにはいない。
』イザヤ書 45:22

  『・・・金細工人を雇って、それで神を造り、ひざまずいては、これを拝む。
   彼らはこれを肩に担いで運び、それがあったところに安置すると、それはそこに立ったままで
   ある。これはその場所から動かない。これに叫んでも答えず、苦しみから救ってもくれない。
     
イザヤ書 46:6,7

  また、今、多くの子どもたちや若者が悩み・苦しみを抱えています。子どもたちが教会に導かれ、
  主イエスさまを信じることができるようにと祈ります。
  イエス・キリストを信じる者には、『
新しい天と新しい地』(黙示録21:1)という永遠の希望があります。
  艱難な時代の中にあっても、聖書を読み、しっかり主イエスさまに従っていきたいです。
         
  きょうは、祈りがきかれた証しをしたいと思います。信仰生活で一番大切なものは? という問いに
  『
祈り』だと聞いたことがあります。
  60年以上も前のことです。私はホーリネス教団の教会で信仰を持ちました。教団では「リバイバル」
  という月報を発行しています。洗礼を受けて間もない頃、その月報の中に、新年聖会の案内がありました。
  是非、参加したいと思いましたが、住んでいた田舎から東京に行くことは容易なことではありませんでした。
  そんな折、東京に住む姉が流産をし、母は心配して、私に「様子をみてきて欲しい」と言ったのです。
  東京に行くと、姉は元気に生活していました。そして、聖会に参加することができたのです。
  神さまは、このように祈りに応えてくださり、みわざを見させてくださいました。この経験は、その後の
  私の信仰生活の大きな力となっています。
  さまざまな試練の時にも、神さまは、いつも逃れの道を備えてくださったのです。

  『
しかし この私はあなたの力を歌います。朝明けには あなたの恵みを喜び歌います。
   私の苦しみの日に あなたが私の砦   また 私の逃れ場であられたからです。 

         詩篇59:16

  今週は受難週で、私たちの罪のために十字架で死なれたイエスさまの受難を深く思う時です。
  そして、来週(4月9日)は
イースター、キリストの復活を記念し、祝う日です。
  朝10時30分からのイースター礼拝に、是非おいでください。


        



 2023.3.26 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 7:45~52 最高法院でも混乱

  きょうの聖書箇所は、ヨハネの福音書7章の最後のところです。ユダヤの祭司長
  たちとパリサイ人たちは、イエスを捕らえようと機会を伺っていました。
  彼らはイエスを敵対視していました。下役たちを遣わして、イエスの強行連行を
  企んだのです。しかし、彼らの筋書き通りには、事は運びませんでした。
  イエスを連れてくることができなかった下役たちは、答えています。
  『
これまで、あの人のように話した人はいませんでした。』(7:46)
     
  この場に、
ニコデモがいました。最高法院を構成するメンバーの一人です。
  ヨハネの福音書3章に、ニコデモは登場します。夜、イエスのもとに来て、大切な
  質問をしました。「
新しく生まれる・神の国を見る」ということについて、主イエス
  は答えられました。
  『・・・
人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。』(3:5)
         
  この場にいたニコデモは、祭司長たちや律法学者たちに言いました。
  『
私たちの律法は、まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知ったうえでなければ、
   さばくことをしないのではないか。
』(7:51)
  律法に照らして考えることを提案しています。

  ユダヤ社会の指導者であった祭司長たち・律法学者たち・長老たちは、イエスを試したり、言葉尻を
  とらえて、イエスを捕らえようとしていたのです。彼らは、イエス・キリストこそが、待ち望んでいた
  救い主であることが分かりませんでした。大きな勘違い・思い違いをしていたのです。

  『
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖霊も神の力も知らないので、そのために
   思い違いをしているのではありませんか。」 
』マルコの福音書12:24

  
主イエスをキリスト(救い主)と信じ、罪を悔い改め、御霊に満たされて歩むことができますように。


        



 2023.3.19 (日) 礼拝式のお話  聖書箇所  テーマ
ヨハネ 7:37~44 渇望している者への招き

  きょうの聖書箇所は先週の続きで、一週間続く「仮庵の祭り」の最終日の出来事
  が記されています。「仮庵の祭り」はモーセの時代、約束の地に入る前に荒野を
  さまようイスラエルの民を、神が守ってくださったことを感謝し祝うものです。
  一週間は、木の枝で造る仮小屋に住み、最終日には厳かな集会が行われました。
  この時、
イエス・キリストは立ち上がり、大きな声で言われたのです。

  『
だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
   わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、
   生ける水の川が流れ出るようになります。
』(7:37,38)

  主イエスのことばは、力強く権威に満ちていました。その日、イエスは、たましい
  の渇きをいやす水を与えると約束されたのです。さらに、罪の赦しを経験し、御霊に満たされると、
  自分自身だけではなく、他の人にもその恵みが及ぶという素晴らしい祝福にあずかることができる
  のです。
         
  イエスのことばは、聞く人々に様々な反応を引き起こし、分裂が起こりました。
  主イエスを「預言者」と言う者、あるいは「キリスト」と認める者、正しい理解がなく疑う人々、
  イエスを捕らえたいと思う人たち・・・群衆の間に分裂が生じたのです。
  十字架を目指して歩み始めるイエスは、弟子たちに質問されました。

  『
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
   シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
』マタイ16:15,16

  主イエスをキリスト(救い主)と信じ、罪を悔い改め、
御霊に満たされて歩むことができますように。


           



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聖書の引用:聖書新改訳2017 (c)2017新日本聖書刊行会